27 続・新たな弟子            もくじへ戻る トップページへ戻る 

 太政大臣の藤原師長は 今様を琵琶の楽譜で書き表そうとしておりましたが 後に、私より今様を習い 大曲の今様はみな歌われました。
 七五調四句一章の歌詞の狭義の今様についても主だった歌の紗羅林、片下、早歌などの今様は、節の良いものは歌われました。

 この二人の今様の歌いが 私の今様の歌いの振とほぼ違わないものでございます。
 この二人と同じ歌い方をする事が 私の今様の歌い方を よく習得した事だと思い 歌い方が違う者は、私の今様の歌い方ではないと疑うべきでございましょう。

 誰も彼も、私の今様の歌い方だと言う者がなんと多い事でありましょうか。
 今現在でも、私の今様の歌い方だということで いろいろな正しくない歌いの振を言い広めていて まして、私の亡き後は どの様な間違いな事になってしまうのであろうかと心配なことでございます。


・太政大臣
 太政官の最高の官のことで 太政官というのは、神祇官と並ぶ中央の
 最高行政機関です。
 太政大臣は太政官の長官ですが これに次いで左右大臣となります。

・藤原師長(ふじわらのもろなが)
 太政大臣の藤原師長はかなりの力があったのだと思います。
 また前出の資時(すけとき)より、かなりの年長者であったので 上記の
 文でも‘歌われました。‘っと書きました。
 ここの元文は‘うたはれにき‘と‘うたはれき‘です。

 しかしながら、藤原師長は藤原頼長の子でございまして 保元の乱では
 父・頼長と共に崇徳上皇側で 後白河院と戦っております。
 保元の乱で敗戦して流罪となりますが 後に罪を許され京に戻り、後白
 河院の側近となり、太政大臣まで勤めるわけでございます。
 清盛の力が大きくなり師長は平家と対立、今度は清盛により流罪となり
 ます。
 その後、出家し 三年後に許され京に戻り 五十五歳で死去しました。
 政治家としては波乱万丈でございますけれど 学識があり、特に音楽関
 係の分野では著名であり箏や琵琶の名手でもありました。
 上記文中に‘今様を琵琶の楽譜で書き表そうとしておりましたが‘っとご
 ざいますのは この様な背景があるからでございます。

・‘この二人の今様の歌いが‘
 ‘この二人‘というのは 前出の 源資時(みなもとのすけとき) と 藤原
 師長(ふじわらのもろなが) のことでございます。

・ この「27 続・新たな弟子」と前回のお話「26 新たな弟子」は 後年、
 追記されたものと考えられているそうでございます。






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