16 熊野参詣(第一回目)           もくじへ戻る トップページへ戻る

 私は 永暦(えいれき)元年十月十七日より 精進をはじめて 法印覚讃
(ほういんかくさん)を案内人にし 二十三日に熊野へ向けて出発いたしま
した。
 二十五日には廐戸(むまやど)王子の宿におりましたが 左衛門府の三
等官として随行していました 為保(ためやす)の従えていた案内人が 夢
を見たと言うのです。
 「このたび この王子へお参りになられたのは うれしい事ではあるので
すが古歌(ふるうた)をお歌いにならないのは なんとも残念なことです。」
 というような 王子の夢であったと申します。
 実は 供をしている近臣の者達が
 「もともと 熊野までの道中にある王子の社では 楽や歌などを仏に供え
るのであろうに 御所様の今様の歌いなどが あってもよいものではない
か。」
 などと 言う者があれば
 「あまりに身分低き様子の者達がおりますのに 目立ちすぎはいたしま
せんか。」
 などと 言う者もあって そのままになっていたのですが この夢の事を
聞いて あれこれ言わずに歌おうと思い 廐戸(むまやど)を夜更けに出発
して 長岡の王子社に夜のうちに到着したのです。

 この折の熊野参詣は ともに連れ立って来ておりました太政大臣清盛が 
まだ大弐(だいに)と申しておりました頃の事です。
 私は 参拝して清盛と顔を会わせた折り 先ほどの夢の事を相談してみ
ましたところ この様な返事をいたしました。
 「その様な事がございましたのなら そうなのでございましょう。あれこれ
言うには及ばぬ事でございます。」
 しかし 清盛は心の内では
 「たいそう身分低き者達が 数多く居るというのに どのようなものであろ
うかな。」
 などと 思っていたようなのでした。
 まあ この様に思っていた清盛ではあるのですが ついふっと 寝入って
しまいました。
 そうして この様な夢を見たのです。
 正式の朝服を身に着けた先払いを従えて 唐車に乗った者が これは
なにか御幸(ごこう)であるらしい といった様子で この王子社の御前に 
乗っていた唐車を止めました。
 私の歌う今様の歌いを聞くために 唐車を止めたのかと 清盛が思った
ところで ふと眼がさめました。
 眼をさましてみれば 私が今様を歌っておりました。
 その今様の歌は この歌です。

  ・・・熊野の権現は
    名草(なぐさ)の浜にぞ降りたまふ
    若の浦にしましませば
    年はゆけども若王子・・・

  ・・・熊野の権現様は
    名草の浜に 御降りになっていらっしゃる
    若の浦におられるので
    年が過ぎてもいつまでも お若い王子でございましょう・・・

 清盛は目覚めて後 この事を共に来ていた資賢(すけかた)卿に話した
ところ 大変驚かれたのでした。
 先ほどの夢の話と この清盛の夢の話が 同じ事をいわれている様に
思われて 人々みな これはまことの熊野権現の霊験であろうと 話し合っ
たのでした。

 十一月二十五日に熊野大社で 神様に幣(みてぐら)を奉り そして神前
で経を読んで神様に供え また御神楽などを奉納いたしました。 
 それが終わってから 礼殿に参り そこで私がまず先に歌い 古柳から
はじめて今様・物様まで数多く歌いつくしました。 
 そして今様を歌う間に いろいろと琴、琵琶、舞、猿楽、など行い すっか
り残すところなく神様に奉納したのでした。
 はじめての熊野参詣での出来事でございます。


・永暦(えいれき)元年十月
  一一六〇年  院、三十四歳
  前年十二月、平治の乱が起こっています。
  いよいよ清盛以下 平氏が勢力を強めていく時期です。
  熊野参詣は九月〜十月(今は十月〜十一月です)に行くのが季節的に
  一番いいのだそうです。
・精進(しょうじん)
  一般には仏事、神事などのために酒、肉食をやめ菜食にして 心身を清
  らかにすることです。
  で、ここに書いてある精進と言うのは‘熊野精進‘と言って どうも普通の
  精進よりキツカッタらしいのです。
  院ももちろんそうなのですが それ以前の上皇なども精進する場所は
  熊野参詣の出発点 鳥羽離宮でありました。
  なので、熊野参詣は まずはじめに七日間ほどの鳥羽離宮での熊野精進
  からはじまって その後淀川を船で下る事になります。
・法印(ほういん)
  この場合は‘法印大和尚位(ほういんだいかしょうい)の略。
  僧位の最高位で 僧位とは法印(ほういん)、法眼(ほうげん)、法橋(ほっ
  きょう)の三階のことです。
・覚讃(かくさん)
  園城寺(おんじょうじ)の僧で 那智千日の行者、大峰(吉野から熊野まで
  続く 大天井岳・大普賢岳・八剣山・釈迦ヶ岳・笠捨山と続く山脈)数度の
  先達であるそうです。
  先達と言うのは 旅の案内人であり初心の者を教え導く人で 実際には
  精進の導師や旅の途中での祓え・水垢離・王子での奉幣などを行いまし
  た。
  園城寺は現在の滋賀県大津市園城寺町にあり俗に三井寺とよばれる
  お寺です。
・廐戸(むまやど)王子
  熊野九十九王子の一つ。
  鳥羽離宮を出発してはじめの王子・窪津王子から数えて十九番目もしくは
  二十番目の王子で 現在の大阪府泉南市中小路に王子跡の石碑がある
  そうです。
  ここは数ある王子の中でも‘信達の宿‘といって熊野参詣の時の宿泊地で
  あったそうです。
  とくにここは最初の宿泊の王子であるので 奉幣・経供養・神楽などの
  奉納がよく行われました。
・王子
  仏教用語で‘童子‘のこと。
  仏を法王としてその王子の意味。
  菩薩のこと。
  ここでは 熊野権現の御子神と言う事になります。
・九十九王子
  京から熊野までの間にある熊野権現の御子神を祭った社です。
  (熊野権現を仏・法王としてその御子神(菩薩)・王子と言うことです。)
  ちなみに その数は九十九より多いです。
  この九十九王子は 熊野までの幾つかある道筋の中の
  紀伊路・中辺路
    京都(淀川を下る)→大阪→紀伊路を海岸沿いに→
    和歌山県田辺市辺りから山に入って中辺路→本宮
    →熊野川沿いに新宮→再び海岸を通って那智
    →大雲取山を越えるか新宮へ戻り熊野川を遡って再び
    本宮→中辺路を通ってもどる
  上記のコースに道筋に沿ってありました。
  王子では奉幣などの儀式が結構にぎやかに行われました。
  で、なんでこの王子が上記のコースに多いかと言えば
  ‘熊野御幸‘によるもので この時の先達の勤行の流儀によるのだそう
  です。
  このコースは熊野御幸の公式ルートでありました。
・古歌(ふるうた)
  ‘むかし懐かしい歌‘と言った様なことです。
・‘熊野までの道中にある王子の社では 楽や歌などを仏に供え‘
  熊野参詣では途中王子社で奉幣、経供養、楽、舞、歌いなどを奉納しま
  した。
  こうして 行く先々の王子で信心をしながら 熊野にたどりつくわけです。
  ちなみに 熊野からの帰りは 王子には寄らずに戻るのだそうです。
・‘あまりに身分低き様子の者達がおりますのに・・・‘
  熊野参詣は別に当時の貴族だけが 行っていたわけではないので 
  老若男女 身分に関係なく誰でも志ある者が皆同じ道筋で 同じ様に
  熊野まで行きました。
  熊野は女性でも詣でることができました。
  それなので 王子社に来る人ももちろん様々で 皆そこで同じ様に参拝し
  必要であれば宿を取り熊野まで向かったのでした。
  チョッと想像すると 他の身分のあまり高くない普通の人の中に 院に伴う
  ‘熊野御幸‘の行列が まじってゾロゾロ歩いているのもかなり凄いような
  気がします・・・。
  ちなみに熊野参詣は 院の時代・平安時代には熊野御幸と呼ばれた貴族
  の参詣が 鎌倉時代以降は武士 室町時代末期になると庶民の参詣が
  盛んになり‘蟻の熊野詣‘と 言われました。
  この上皇や法皇などの熊野御幸は宇多上皇から始まって亀山上皇まで
  続くのですが 時代とともに華美になり大掛かりになりました。
  多い時には人馬千を数えたそうです。(馬は伝馬です)
  しかし 熊野御幸の道中は徒歩でなくては功徳がないとされていたので
  みな歩きでした。(さすがに 上皇・法皇などは輿であったのでしょうが 
  山道などでは歩かないとだめな時もあったでしょうね。院も歩いたのでしょ
  うか・・・)
・長岡の王子社
  熊野九十九王子の一つ。
  前出の廐戸(むまやど)王子より二つ先の王子です。
  現在の大阪府泉南市信達岡中あたりにあったそうです。
  廐戸王子からは直線距離で約3キロ弱です。
  で、なんで わざわざ宿泊施設のある(そんなすごい物では もちろんない
  のでしょうが・・・)廐戸王子を夜更けに出て3キロほどしかない長岡の王子
  社に来たのかと思ったわけです。
  さすがに 歌を歌いたいから来たわけではないのだろうにと・・。
  しかし・・・それしか考えられないのでした。
  院は夢の話を聞いて すぐにでも今様を奉納しようと思い立ち 夜更けに
  わざわざ長岡の王子まで来たのでしょう。
  今様のために 大移動したのでしょうか・・・?
・大弐(だいに)
  大宰府の次官のこと。
・朝服
  有位の官吏が朝廷に出仕する時 着た公服です。
・先払
  貴人の外出の時その列の先にいる通行人などを追い払う役目の者です。
・唐車(からぐるま)
  唐破風(からはふ)の屋根で 周りを美しく装飾した大型の牛車。
・‘御幸(ごこう)‘
  ‘御幸‘と言うのは 上皇、法皇などが外出する事をいいます。
  ‘熊野御幸‘は この頃盛んであった熊野参詣に上皇、法皇などが行く事
  をいいます。
・‘・・・熊野の権現は 名草(なぐさ)の浜にぞ降りたまふ
          若の浦にしましませば 年はゆけども若王子・・・‘
   歌詞集第二巻 四句神歌 神分 二五九歌に同じ(第二句小異)
・権現
  仏・菩薩が衆生を救うため日本の神の姿となって現れたものであるという
  本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に基づいた神の称号。
  ‘権‘は‘仮に‘の意味です。
  本地垂迹説の本地とは 仏・菩薩のことで 垂迹とは元々日本にあった神
  のことです。
  日本では神を信仰していたので 仏がこの在来の神に姿を変えて衆生を
  救う事です。
  これを神仏習合思想と言います。
・熊野の権現
  熊野三山・熊野三所権現の各々主神は以下のごとく
       ・本宮
        本地 阿弥陀如来
        垂迹 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
                         スサノオノミコト
       ・新宮
        本地 薬師如来
        垂迹 熊野速玉大神(はやたまのおおかみ)
                         イザナギノミコト
       ・那智
        本地 千手観音
        垂迹 熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ)
                         イザナミノミコト
  このほかに 九つの本地の仏を合わせて 熊野十二所権現といいます。
  熊野三山と言うのは上記三社 
  「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」
  の三社のことです。
  熊野権現は この三山をあわせて言います。
  この三社は元は各々別の社でありました。
  ですから主神が違うのですが 各々が残る二社の主神を互いに勧請して
  三神を一社内に祭っているために どの社でも熊野三所権現が祭られる
  事となります。
  祭神を同じくした事でこの三社は 熊野三山としての形成をみることとなり
  ます。
  さらに 天照大神(本地:十一面観音)をお迎えし「若宮(又は若一王子
  とも言う)」とし 天神・地祗八神をお迎えし十二神となり これを合わせて
  「熊野十二所権現」と言います。
  だだしこの十二所権現は はじめの三神と天照までは同じなのですが
  その他の天神・地祗八神と本地仏 さらに各社によって元からの祭神が
  祭られていることなどから 多少の違いがあります。
   (@なんで天照大神を‘若宮・若一王子‘としたのか疑問に思いました
   ところ アマテラスはイザナギとイザナミの子・御子神であるところから
   きているようで ひょっとすると古事記を読むとわかることなのかと思っ
   たりいたしました。
   A那智大社は 元々は那智の滝を地主神とした自然信仰から発して
   いるそうで そのため 今も第一殿は‘滝宮‘になっていて 第二殿から
   第十三殿までを熊野十二所権現とし これに 先の第一殿を加えて
   ‘十三所権現‘といっています。
   B三社の由来などは 書くとメチャクチャ長くなりそうなので 割愛いた
   します。)
・名草(なぐさ)の浜
  和歌山県和歌山市の紀三井寺のある名草山近辺の浜。
・若の浦
  上記 名草の浜のある和歌浦のこと
  (名草の浜と和歌浦は同じ場所と言う事です)
・‘年はゆけども若王子‘
  和歌浦→若の浦におられるので 地名にかけて 年が過ぎても若い王子
  である と言う意味。
  ここで言う‘若王子‘は 熊野十二所権現の中の‘若宮‘(上記 若宮・祭神
  は天照大神)の事ではないかと思います。
  ‘熊野の権現・若宮の権現様が 若の浦・和歌浦においでになるので
  いつまでもお若い王子です。‘ 
  といった様な 洒落の歌です。
  ちなみに この王子は 今の和歌浦の紀三井寺あたりより ほんの少し先
  に行った所の 海南市にある藤代若一王子(九十九王子の中でも五躰王
  子といわれた王子の一つで特に格式が高かった王子です)ではないかと
  思います。
  (こんな勘違いをしたのは 私だけかもしれないのですが はじめに読んだ
  時 この‘若王子‘を京都左京区にある 院が勧請してつくった‘熊野若王
  子神社‘だと思って 何を歌っているのかわからなかったのでした・・・。)
・‘これはまことの熊野権現の霊験であろうと・・・‘
  元の文は‘現兆(げんちょう)なる‘です。
  ‘現‘を‘現し(うつし)‘として そこから‘まことだ‘
  ‘兆‘を‘兆候‘として そこから‘しるし‘さらに‘霊験‘と読みました。
・‘十一月二十五日に‘
  これはおそらく 本宮でのことであると思われるので 院は京を出発して
  から約一ヶ月で 熊野に来た事になります。
  だいたい 熊野参詣は一ヶ月ほどかけて行われた様なのですが 往復で
  一ヶ月のことであった様で それからみると これは少しスローペースかも
  しれません。 
  まあ 御幸であるのでしかたないのでしょうか。
  それとも 田辺から中辺路へ行かずにそのまま海岸沿いを大辺路という
  コースでまわったのでしょうか・・・?
  これはチョッと考えられないので(本宮に行くのが大変になりますから)
  やはりスローペースであったのでしょう・・・。
・‘幣(みてぐら)を奉り‘
  ‘幣‘は‘へい‘‘ぬさ‘とも読みます。
  これはどちらも 神に捧げる供え物や 祓え(はらえ)に用いる品のことで
  麻、木綿、織った布、紙、などの事です。
  ‘みてぐらを奉り‘とは 麻、木綿、紙、などを神前にお供えしましたという
  様なことです。
・‘神前で経を読んで神様に供え‘
  本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)による神仏習合のもとでは 神様は
  仏様の仮の姿であるわけなので 神様の前でお経を読むのは ゼンゼン
  不思議なことではないのでした。
  特に 院は極楽往生を願っておりましたので 院にとっては とても大事な
  事であったのではないかと思います。
・神楽
  神を祭るための楽です。
・‘琴、琵琶、舞、猿楽、など行い・・・‘
  この様な芸能はすべて神様に奉り 神様に喜んでもらうために行われま
  した。
  今様を歌うのも 同じ事であると 院は信じているのです。
・猿楽
  物まねなどの滑稽劇のこと。
  能・狂言の元です。
・‘はじめての熊野参詣‘
  元の文は‘初度のことなり‘です。
  院はこの時を第一回目として 三十四回の熊野参詣をしております。
  これは割合にすると だいたい一年に一回くらいのことになるそうです。
  この熊野参詣の路は かなり厳しく しかも御幸となればそれなりの仕度
  もあるわけで 大変な事であるのです。
  片道三百キロ近い道のりを 往復一ヶ月かけて参詣したのです。
  にもかかわらず これだけ多く参詣するのは やはり熊野という地が簡単
  には入り込めないほどの秘境であり それゆえの たどり着くまでの行と
  そこから得られる 阿弥陀の浄土への到達 これを願っての事であったの
  だと思うのです。
  まあ、政治的な事もあったのではありましょうが 院の願いは極楽往生で
  ありました。
・あ〜すみません! 今回はメチャクチャ注釈が長くなりました・・・。
 読む前はケッコウ楽かと思ったのですが 読み始めたら 書いてある事の
 背景が全くわからないのです。
 それで とにかく書かれている事が 頭の中でイメージとして浮かぶくらいの
 事を調べました。
 でも・・・もしかして こんな事を知らなかったのは 私だけかも知れません。
 トホホ・・・。(~_~;)
 熊野って何? 熊野参詣(熊野詣)って何?
 九十九王子って何? だいたい熊野ってどこにあるの? 
 で、ほんの少しではあるのですが 今までゼ〜ンゼン知らなかった事を知る
 事ができたわけです。
 ‘あ〜道成寺かぁ 小栗判官かぁ そうかそうか・・・‘と言った感じです。
 このあたりで 私が知っていたのは歌舞伎に出てくるものばかりでございま
 した(笑)・・・。
 熊野の事を調べていて気が付いたのですが どの本にも梁塵秘抄と後白河
 院の事が書いてあるのです。
 私は今様から梁塵秘抄に入ったのですけれど 熊野からの入口もあって 
 こちらの方が正面玄関であったかもしれないと思ったのでした。
 ズラズラ書いてあって お読みになる方は めんどくさい限りではあるので
 しょうが 私はとても楽しゅうございました。

・参考になればと思って‘熊野参詣道筋マップ‘と‘九十九王子‘を
 書いてみました。

   「熊野参詣道筋マップ」


   「九十九王子」
 熊野御幸出発点:京都・鳥羽離宮

 大阪の熊野路九十九王子社
 1窪津王子          2坂口王子        3郡戸(こうづ)王子
 4上野王子          5阿倍王子        6津守王子
 7境(堺)王子         8大鳥居新王子     9篠田王子
 10平松王子         11井ノ口王子      12池田王子
 13浅宇川王子        14鞍持王子       15近木(こぎ王子
 16貝田王子         17佐野王子       18籾井(もみい)王子
 19廐戸(うまやど)王子    20信達一の瀬王子   21長岡王子
 22地蔵堂王子        23馬目(まめ)王子

 和歌山 紀伊路・田辺の熊野路九十九王子社
 24中山王子       25山口王子        26川辺(かわなべ)王子
 27中村王子       28吐前(はんざき)王子   29川端王子
 30和佐王子       31平緒王子        32奈久智(なくち)王子
 33松坂王子       34松代王子        35菩提房(ぼだいぼう)王子
 36祓戸王子       37藤代若一王子     38塔下(とうげ)王子
 39橘本(きつもと)王子  40所坂(ところざか)王子  41一壷王子
 42蕪坂塔下       43山口王子        44糸我王子
   (かぶらざかとうげ)王子 
 45逆川(さかさがわ)王子  46久米崎(くめざき)王子  47井関王子
 48河瀬(ごのせ)王子  49馬留王子         50沓掛王子
 51西の馬留王子    52内ノ畑(うちのはたの)王子  53高家(たいえ)王子
  (間はざまの王子)    (槌つち王子)
 54比井王子       55小中王子         56松原王子
 57善童子         58愛徳山(あたぎやま)王子  59九海士(くあま)王子
   (ぜんどうじ)王子
 60岩内王子       61塩屋王子        62上野王子
 63津井(ついの)王子   64叶王子          65斑鳩(いかるが)王子
                                  (富王子)
 66切目王子       67切目中山王子     68岩代王子
 69千里王子       70三鍋王子        71芳養(はや)王子
   (貝王子)

 中辺路の九十九王子社
 72出立(でたち)王子    73秋津(あきづ)王子   74万呂(まろ)王子
 75三栖(みす)王子     76八上王子        77稲葉根王子
 78一ノ瀬王子       79鮎川(あいが)王子   80滝尻王子
 81不寝(ねず)王子     82大門王子        83十丈(じゅうじょう)王子
 84大坂本王子       85近露(ちかつゆ)王子  86比曽原王子
 87継桜(つぎざくら)王子  88中川王子        89小広王子
 90岩神(いわがみ)王子  91湯川王子        92猪鼻(いのはな)王子
 93発心門(ほっしんもん)王子 94水呑王子        95伏拝王子
 96祓戸王子        97湯峰王子

 大辺路の九十九王子社(新宮から那智に向かって)
 98浜王子          99佐野王子       100浜ノ宮王子
 101市野々王子      102多富気王子





  参考資料
   熊野古道TU     向陽書房
   熊野古道V      向陽書房
   熊野への道      向陽書房
   熊野古道        岩波新書
   熊野詣         講談社カルチャーブックス
   熊野大社        滑w生社
   熊野三山歴史めぐり 碧天舎






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