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五月の花の頃 江口・神崎の遊女(あそび)、美濃の傀儡子(くぐつ)が 集まりまして 仏前に花を供える法会をしたことがあります。 今様の歌いについて あれこれ話をすることがありまして そこで近臣の 者がこの様な事を言いました。 「延寿(えんじゅ)が ‘恋せば‘と申します足柄を いまだに歌うことが できないでいるので 御所様にお習い致したいのですけれど この事を 言い出せないでいるのだと申しておりまして これを誰や彼やと 聞いて おりまする。」 まあ、この様な事を聞きはしたのですが 心にとめる事もなくそのままに しておりましたところ とうとう季時(すえとき)入道を通して延寿がこの事を きちんと申し出てきたのです。 しかたがないので 私はこの様に返事をいたしました。 「どうしてそのような事があるものかよ。それでは 師弟さかさまな事に なる。私にとっては名誉な事ではあるのだが きまりがわるいではないか。 さはのあこ丸が歌うであろうよ。さはのあこ丸に習えばよいことだ。」 するとまた 延寿が申すには 「なんとしても御所様にお習い致しましてこそ この世の喜びでございま す。あこ丸は 大進(だいじん)も小大進(こだいじん)もどちらもみな知らぬ のです。ですから 誰にこの歌いを習ったのか はっきりせずに不安なの でございます。それに 私の芸人仲間もそのように申しますので いずれ に致しましても お教えいただきたいのでございます。」 延寿がこの様に申すので 私は、 「後日にしょうではないか。芸人仲間が居る時では その者たちに聞き 取られてしまうであろうよ。延寿、お前が一人で居る時に それでは教え よう。」 と、言ったのですが 延寿は芸人仲間と共に国に帰らず ここに残り留ま って習うのだと しきりに言うので 私は乙前に 「延寿が しきりにこの様に言うのだよ。どうしたものであろうかな。」 と この事を話したのです。 すると乙前は 「そのように申しますのならば 教えて上げてくださいませ。その様にどうし てもと申しますのなら それなりの理由があるのでございましょう。」 と 申しますので 夜になるたび 二、三日夜通しで教えたのでした。 延寿が私の歌いに似せて歌えぬところがあっても なんだかきまりが悪く 思えて 直してやる事もできずに 延寿が自分でうまく歌えるようになるまで 私の方が何度も繰り返して歌ってやり 教えたのでした。 それから後 延寿が国に帰るのに別れのあいさつをしに来て すぐに行こ うとするので 呼び返して‘恋せば‘を歌わせて 聞いてやりました。 「感心なよき歌いではないか。」 聞き終えて後 私にこの様に言われて 延寿は歌をひとつ歌いました。 ・・・四大声聞(しだいしゃうもん) いかばかり 喜び 身よりも余るらん 我らは来世のほとけぞと たしかに聞きつる今日なれば・・・ ・・・四大弟子の方達は どれほどの 身に余る喜びを得た事であろうか 私たち四人は来世には仏と成ると 確かに釈尊より言われた言葉を聞いた今日なのだから・・・ この歌を聞いて延寿の思いに 深くこころ動かされて 唐綾(からあや)の 藍の染付けをした二衣(ふたつぎぬ)を褒美として与えたのでした。 折に触れ 楽しい事であったと 思い出すのです。 この様に 男女だれもかれも 私に今様の歌いを習う者が 数多くいると いっても みな思うところが中途半端で 始めから終わりまで全て習う者は いなくて 歌いを受け継ぐ者がいないのです。 長年 好きで歌ってきたことであるのに この歌いを確かに伝える弟子が いないのは残念でございます。 |
・‘・・・これを誰や彼やと 聞いておりまする。・・・‘ 延寿は院の近くにいる人たちにそれとなく 自分の気持ちを伝えて 院の耳にとどく事を期待していたのでしょう。 ・‘師弟さかさまな事‘ 元の文は‘さかさま事‘と書いてあるのですが 延寿はもちろん今様の 歌いを生業としている芸人で 院は例え上手であっても素人なわけで プロとして教えるはずの延寿が 素人の院を師として今様を習うのは 話が逆ではないかということです。 それなので 院は‘きまりがわるい‘と言っているのでした。 ・‘・・・あこ丸は 大進(だいじん)も小大進(こだいじん)も・・・‘ 前出5,6話でシクジッテしまってから イマヒトツ信用されなくなって しまったあこ丸さんですが 院はそんな事ゼンゼン気にしていなくて ‘恋せば‘もあこ丸が歌えるから あこ丸に習いなと言っていたりするの です。 でも延寿は 院に習いたいのも手伝って あこ丸では不安だと言って いるわけです。 ・‘・・・乙前に・・・‘ 時期が戻っております。この話の時は まだ乙前が生きているころの話 です。 ・‘・・・延寿が私の歌いに似せて歌えぬところがあっても・・・‘ 院は延寿に今様を教えるのに 相手がプロであるので なんとなくきまり がわるいし かなり気も使ったようで こんな所を読むと 例えそれが 主権者の院と今様歌い人の延寿であっても アマとプロの違い あるい は 弟子と師 教わる者と教える者の立場の違いを 院がごくあたりまえ に ここで書いているのが わかるのです。 弟子は師を仰ぐものであるということ ここでそれが逆になってしまって ‘あらやりにくい‘ と言ったところなのです。 なんとなく こういうキッチリとした上下関係と言うのは わたし的には カッコいいかなと 思うのでした。 ・‘・・・四大声聞(しだいしゃうもん)・・・‘ 歌詞集巻第二の法文歌の内法華経二十八品一一五首の授記品四首 85歌(第三句小異) この歌は院が厳島の神前で歌った歌でもあります。 声聞と言うのは 仏の教えの声を聞いて修行する弟子のことで 四大と は 迦葉(かせふ)・須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんえん)・目連の 四人のことです。 延寿はこの時 自分を四大声聞に 院を釈尊に例えて院から‘恋せば‘ の正統な歌いを伝授できたという‘感心なよき歌いではないか。‘の一言 に感激した気持ちを歌ったのです。 今様の歌いは どうもこんなふうに 元歌をアレンジしてその場の心情 などを歌う機転のきいた歌いができる事が要求されたようです。 ・唐綾(からあや) 中国渡来の綾織物、またはその織り方で日本で織ったものです。 光沢があり浮き出た美しい文様がある絹織り物です。 ・二衣(ふたつぎぬ) 同色の袿(うちき)や衵(あこめ)で二枚重ねて着るもの 袿(うちき) 平安時代以来、 ・男性が直衣(のうし)や狩衣(かりぎぬ)の下に着る衣服。 ・女性の女房装束では、唐衣(からぎぬ)の下に着る衣服。 多くは袷(あわせ)仕立てで、色目を合わせて何枚も重ねて着た。 普段には表衣としても用いた。 単に衣(きぬ)ともいわれる。 衵(あこめ) 中古の、 ・男子の中着。 束帯のときは下襲(したがさね)と単(ひとえ)の間、衣冠・直衣 (のうし)のときは袍(ほう)・直衣と単の間に着た。 通常は腰丈で袴(はかま)の中に入れて着た。 ・女子の中着。 表着(うわぎ)と単の間に何枚も重ねて着た。 また、女童が着た 袿(うちき)より裾を短く仕立てた衣服。 汗衫(かざみ)の下に着たが、のちには表着とした。 ・‘褒美として‘ 元の文は‘纏頭(てんとう)‘と書いてあります。 で、これは 芸事の褒美として与える 衣服や金品の事で 元は衣服を 与えていたようで もらった者が頭に纏(まと)ったことからきています。 頭に纏うって‘桃太郎侍‘の出のところみたいな感じなのでしょうか? あ〜なんて古いはなしでございましょう・・・。 あるいは‘業平餅‘の茶屋の娘の様な感じでしょうか・・・。 まあ とりあえず ここでは ‘光沢があって模様が浮き出た絹の綾織で 藍色の模様の染め出しをした袿か衵を二衣で着るように褒美であげまし た‘ と言うことです。 |