| |
清重は これらの者達より後から 歌いに交じったのですが元から今様上 手でありましたし 歌いは丁寧できちんと歌いあげ 間違う事もあまりありま せん。 私が 他の者に教えているのも自分で聞き取り いつもそれに声を添えて 歌い 間違う事がないのです。 娑羅林(しゃらりん)の今様の歌いなどは とりわけ上手に歌います。 間違えのない歌いをするのです。 藤原親盛(ちかもり)も 私のところで今様の歌いを習いましたので あま り違った歌いをすることはありません。 でも今様の歌いで 知らない歌いも多くあるようです。 ちょっと寄り集まって この者達三,四人で連れ立って 今様を習うので あれば あまり違う所もないのですが やはり所々それぞれの振が似て いないのです。 ともに歌うのであれば違いはないのですが おのおのが歌うとなると 違っ て異なる歌いの振りが 多いのです。 「○○」*は 歌数は多く習っているのですが 声が弱くて あまり良い歌い には 聞こえません。 早くから気の向くままに今様を習っているのですが みな忘れ去ってしまっ ているのです。 足柄などは 乙前の所におりました 室町という歌い人に習ったのです。 しかし この室町の歌いも 私の歌いとは似ていないなどと言って 習わな くなってしまいました。 藤原為保(ためやす)は よきにつけあしきにつけ とにかく 私の歌いを 徹底的に習い覚えた者です。 それなので 足柄の振などは 悪くはないのです。 今様の歌いを本当に極めたなどと言うわけでは もちろんありませんが それなりの歌いをいたします。 只の今様など 知らない歌も多いようですが たいして他の者に習った歌 はありません。 藤原能盛(よしもり)は 努めてどうこうしたというわけではないのですが 日ごろ一日中 私の側近に居て 多くの歌いを習い集めたのです。 物様の歌いは 数多く知っているのではないでしょうか。 古柳などは よい歌いをするものもあります。 只の今様も習ったものは 歌いなどよく知っておりますが 声はあまり しなやかではない様な歌いをいたします。 集中して覚えるというのでもないのですが たいして歌いの節を間違う事 はありません。 能盛も 私より他の者に歌いを習ってはおりません。 平業房(なりふさ)は 同じ様に私から歌いを習って歌っておりますけれど 声の調子や感じが良くて 悪いところはありません。 只の今様、神歌などは 今様の歌い上手に たいして劣らず 良く聞こえ ます。 娑羅林(しゃらりん)の歌いは よく習っておりました。 物様の歌いは 私の歌いに声を添えて歌い 私の歌いを聞き取って覚え 歌っておりましたが あまり歌を知りませんでした。 平知康(ともやす)は 昨今 今様を習いだした者ですが 声が悪くない うえに 恥ずかしがる様子もなく歌うので 習った歌いの程度よりは上手 にみえる所があって 悪くありません。 藤原実教(さねのり)もまだ未熟でありましたけれど 法住寺殿で催され た今様合わせの会に出席できる者の中に入ったほどなので もう何も 支障はないでしょう。 まだ十分に歌えぬ程度の者よりは 拍子など間違える事はありません。 源雅賢(まさかた)は おおかたは元々歌えたのですが 娑羅林、早歌、 高砂、双六などの今様の歌いは 私にも習いました。 歌う時に 節があまりぐらつく事がありません。 少し 声が弱かったのですが それも良くなって しかも雅賢は代々伝わ る郢曲(えいきょく)の家柄でありますので 私があれこれ言う事はありま すまい。 定能(さだよし)は 声量がまったく足りなくて 何とかなりそうにもなかっ たのですが 一心に声を嗄らして歌い 思いのほか声のつかい方を すっ かり身につけて 振りなども確かで 忘れたりする事はありません。 歌いのはじめに前座を務める程度の歌いはできます。 花山院中納言藤原兼雅(かねまさ)は 元々 歌については格別に論じ そうであり 歌数も歌える様でした。 定能(さだよし)、雅賢(まさかた)、実教(さねのり)などと 蓮華王院(れ んげおういん)におります折 今様を習い合っていましたところ 共に連れ 立って 只の今様、早歌などを少しばかり お歌いになりました。 足柄を二、三首ほど習われたのでございます。 この兼雅(かねまさ)卿は 法住寺殿で催された今様合わせの会の折 足柄の中で‘駿河(するが)の国‘を歌われましたのを 乙前の娘が聞いて いて 「この歌いには 御所様から いただかれたと思われるほど よく似た歌 いの節がございますのは 御所様にお習いになられたのでしょうか。」 と、言いました。 他の歌よりは 私の歌いに声を添えて 度々歌われておりましたのを 乙前の娘がこの様に言うので のんびりと声を添えて歌って 振りの似る 事があるのかと 思ったのでした。 |
・「○○」* ‘梁塵秘抄 新潮日本古典集成‘では ここは原本の字体不分明とあり 空いております。 ’新訂 梁塵秘抄‘では「爲保」とあるのですが こちらによるとすぐ後に 出てくる「為保」も同じ「爲保」をあてております。 しかし私のここでの読みでは はじめの字体不分明で「○○」と書いた 人物と 後の「為保」は別人に思えるので 上記の様にいたしました。 ・藤原為保(ためやす) 左衛門尉 ・只の今様 七五調四句一章の歌詞の‘只の今様‘‘常の今様‘と呼ばれる狭義の 今様のこと。 ・藤原能盛(よしもり) 前出5話 能書家として知られたそうです。 ・平業房(なりふさ) 前出5話 相模守で院の近臣。 ・平知康(ともやす) 左衛門尉 鼓の名手。 ・藤原実教(さねのり) 権中納言に至る。 ・‘法住寺殿で催された今様合わせの会‘ 承安四年(一一七四)九月一日から十五夜にわたり法住寺殿で催され た今様の競技会。 一定以上の身分の者三十人を選んで左右に分け 毎夜一組ずつ勝敗 を競った。 ・源雅賢(まさかた) 資賢(すけかた)の孫でこの祖父より郢曲(えいきょく)━声楽の道を受 け継いでいます。 参議、従三位に至る。 ・花山院中納言藤原兼雅(かねまさ) 藤原兼雅。 清盛の娘を妻として 左大臣従一位に至る。 元の文で兼雅に対して敬語を使っております。 これは兼雅が中納言であるからで 高位だからです。 そのつもりで書いたのですが あまりうまく書けなかったですかね・・・。 ・蓮華王院(れんげおういん) 三十三間堂のこと。 清盛により長寛二年(一一六四)御所法住寺殿内に建立された堂。 一千一体の千手観音像を収める。 建長元年(一二四九)焼失後 文永三年(一二六六)再建。 京都市東山区にある。 ・十一人書き綴ってくれました。 もしもし・・・カンベンしてくださいよ〜と言った感じでございます。 院のお友達ではあるのでしょうが 私に思い入れがないので かなりきつ かったのでした。(だって・・・名前をズラズラあげて うまいの下手だの言 ったって それだけじゃ思い入れようがございませんもの・・・。) でも、きつかったぶん 雑にならない様 かなり気を付けたつもりではある のですが・・・。 言い回しがケッコウ難しく‘悪くない‘という言い方が多くて これを‘良い‘ と書こうか迷いました・・・。 結局 元の文の通り‘悪くない‘にしたのですが ちょっと読みにくいですか ね。 それから‘いと‘も多くて これが打ち消しの形で書いてあるので‘たいして ・あまり・・・ない‘と読んでみました。 ここも少し読みにくいかもしれません。 あ〜力不足でございます。 前の‘13話‘もそうなのですが 思い入れがあって勢いで書ければドット 書くのですが そうでないと細かい所が気になって 重箱の隅を突く様に なってしまいます。(これは言い訳でございます・・・。) 申し訳ございません・・・。(^^ゞ |