13 続・院の弟子               もくじへ戻る トップページへ戻る

 中途からは 歌人の惟宗広言(これむねひろとき)や平康頼(やすより)と
共に連れ立って歌いあうようになりました。
 この者達は もともと良く歌うし 知っている歌も多いのですが 歌いの
大事な所で たいした事もないそれなりの節で歌ってしまうので 共に連れ
立って歌うときには 私の歌いを聞き取って自分たちの歌いの違う所を直す
こともあります。
 また私が教える歌もあるので だいたいの歌いは 私の歌い方なのです。
 それなので 二人とも間違いなく私の弟子だと思っているのですが 実は
歌いの違うところが多くあるのです。
 それぞれ歌いの節は 私の節に似るようにしてはいるのですが 以前から
身に付いている振があって なかなかその振りを直しきることができないの
で やはり私の歌いに似ていないことが多いのです。

 広言は声の調子やその感じは 悪くないと思うし 歌いも間違う事はあり
ません。
 歌いの節などは 私の節に巧みに似せて歌う所などもあるのです。
 気まわしがよく 確実な聞き取りをするので どのように見ても上手な歌い
をします。
 けれど とても輝きのある様な美しい歌いをしようと 声をやわらげ抑えて
しまって 歌いの節を大切にしないことがあるのです。
あまり面白味を出そうとして 最近では歌いの節の末尾や先頭の所を 
はねるように軽く歌うのを 好んで歌っているようで このあたりはまだまだ
今様上手には及ばないところであろうと思います。
 歌いの節は 私の節に巧みに似せて歌うのですが 歌いの振が私とは違
うので やはり私の弟子とは違うのです。
 たいして私に習わない歌いであっても ‘院の流儀なり、院の流儀なり‘
などと言って 公然と思うにまかせて歌うのは 私の亡き後 今様歌い人と
しての私の名を損なう事になるであろうと思われるのです。

 康頼は声質ということでは 優れた声をしております。
 その声は 男にはめずらしい細い声で美しく 人前で歌う折も もたもた
することなく巧みに歌いあげ じつに歌いの間が良いのです。
 声を喉に落としたままとどめ 低い音を意図して使い それでいて失敗す
ることがないあたりは なかなかの歌い上手であります。
 また 敏感に歌を聞き取り 理解するのも早く 判断も確かです。
 娑羅林(しゃらりん)、早歌など歌い方を知っていて歌うものは すっかり
身に付いているので上手に歌いこなすのですが 歌の難しさの程度より
歌いたいと思う心の方が勝ってしまって まだ歌えないような歌であっても
すぐに歌えると思って 控えめに気持ち緩やかに歌うことができなくて それ
ゆえ歌いそこなう事が多いのです。
 娑羅林も習うばかりで 落ち着いてやわらかく穏やかに歌いあげるという
ようなところがなくて 歌い上手であるのに こなれていない若々しい初心者
の様な未熟な歌いをする時があり それが欠点であります。
 歌いが身に付くまでしっかり習うことなく 自分の判断でものを習うから
この様なことになるのです。
 康頼は よく歌う今様や大曲のうちの足柄など 私からも多くを習っており
ます。
 ‘滝の水‘は 小大進から習っておりました。
 ‘恋せば‘は 以前は さはのあこ丸に習ったと言っておりましたのに
今は私に習ったなどと言っているようなのです。
 節もまだ少し乱れるところがあるというのに・・・。

 今熊野(いまぐまの)で 広言、康頼、の二人が 私が足柄を歌いますと 
それに声を添えて歌いました。
 これを 今様歌い人の姫牛(ひめうし)と源資賢(すけかた)が 傍らで聞い
ておりまして 姫牛がこの様に言ったのです。
 「この方達は 御所様の歌いの流儀で 歌い合わせるのだろうと思って
おりましたものを 何をなさっておられるのでございましょう。この歌いは
当世風の足柄の振でございましょうに。」
 姫牛は 歌いを聞いて 振りは似ていないと感じたのでした。
 この今様歌い人の姫牛は 目井の弟子で 藤原伊通(これみち)、伊実
(これざね)父子のひいきの歌い人です。


・広言
  参考にした‘梁塵秘抄 新潮日本古典集成‘では「広時」となっている
  のですが 注釈で「広言」の誤記かもしれないと書いあって前出の5話の
  「広時」も「広言」と同じかもしれないと書いてあるのです。
  それで ここで私の読みでは流れとして「広言」の方がいいようなので
  あえてこちらで書きました。
・娑羅林(しゃらりん)
  法文歌を歌いの違いから呼んだ名称だそうです。
・‘滝の水‘
  404歌らしいです。
      ・・・滝は多かれど
        うれしやとぞ思ふ 鳴る滝の水
        日は照るとも 絶えでとふたえ
        やれことつとう・・・
      (・・・滝はあちこちたくさんあるが
         なんとうれしく思うことかね この鳴り響く滝の水音
         どんなに日が照りつけようと 
         水の流れは絶えずしてトウトウと鳴り響く
         ヤレコトットウ・・・)
・‘恋せば‘
  足柄の中の一首らしいです
  ‘足柄明神の神歌‘と言われる足柄十首(全容は未詳)の一つなのだ
  そうです。
・今熊野(いまぐまの)
  現在の新熊野神社(京都市東山区)の事で 地名としては今熊野と書く
  そうです。
  院が 御所法住寺殿の鎮守神として熊野権現を勧請創建した社です。
・伊通・伊実
  父の伊通は太政大臣・正二位、伊実は中納言・正三位まで至りました。
・ここまでで五人 いろいろうるさく批評する人たちが出てきますが どうも
 身分としてはあまり高位にある人ではないようです。
 どちらにしても 院としては みんなイマヒトツの歌いのようで ‘続‘の中で
 は 歌いの‘振‘にかなりこだわっているのがわかります。
 この‘振‘ 前出の9話で 乙前がささなみについても 振が似ないと言って
 いるのですが どうも 振まで習得するのは ケッコウ難しいようです。






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