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これほどの師・乙前に師事して十余年の間 今様を習い覚えてきました。 その以前より 資賢(すけかた)、季兼(すえかね)、鏡の山のあこ丸、 かね、ささなみ、初声、さはのあこ丸、などなど・・・あれこれから聞き覚え て歌い集めた歌いを みな乙前の型に徹するために すべて乙前の歌い と違う所を習い直し 一つの瓶の水を他の一つの瓶にすべて注ぎ移すが ごとく 余す所なく乙前の今様の歌いを修得したのです。 長年これほど熱心に習い身につけた今様を どのような者にでも伝え 四三から伝わる今様の歌いの流儀を 私が受け継ぎ伝えたなどと 後には 言われてみたいと思ったりもするのですが なにぶん 習いに来る知人など はいるのですが 今様の歌いを受け継ぐほどの弟子となるような者がおりま せん。 これほど 残念に思うことがありましょうか。 殿上人から身分低き者にいたるまで 共に歌いあう者は多くいるのです けれど 今様を私と同じ心で熱心に習う者は一人もいないのです。 |
・‘一つの瓶の水を他の一つの瓶にすべて注ぎ移すがごとく・・・‘ 本文では‘瀉瓶‘と書いてあります。 参考にしている本には読み方で‘しゃびゃう‘とあります。 仏教語であるそうで意味は上記のごとくでございます。 この言葉 よく師弟の間で使われる事があるようで ここでは今様の 歌いについて その全てを伝授したという事です。 (清明も師・賀茂忠行にこのようにして陰陽道を伝授されたと書いてありましたっけ・・・。 すみません・・ミーハーです・・・。) ・院はここで自分が乙前から伝えられた今様の歌いを 伝える者がいないと 嘆いておりますが しかし・・・この時期 例えチョッと変わった主権者であ ったとしても 院から今様を伝授しようと思った人が いるとは思えないの ですが・・・。 やはり えらく疲れそうです・・・。 でも もしかして この時 ちゃんとした今様後継者の弟子がいたら 古典 芸能の一つとして今でもその歌いを聞けたかもしれないなぁ・・・ なんて思ったりもするのですが やはり時代は武士に変わってしまうので それでも途切れるものであったのでしょうか・・・。 |