| |
乙前が八十四歳になる春のこと 病気で床に就いたのですが まだまだ 体力もしっかりしていたし それに特別どこか悪いという様な事もなかった ので まさかと思っていたのに しばらくして 容態が悪くなったと伝えてき ました。 私の御所の近くに家を造って 住まわせておりましたので とり急ぎ こっそりと様子を見に出かけたのでした。 乙前は娘に抱きかかえられて起き上がると 私に向かい合って座りまし た。 すっかり弱ってしまった様子に見えたので 仏法と縁を結ぶことができる ように法華経一巻をよんで聞かせてから 「歌を聞きたいと思うかい・・・。」 と、言うと 乙前は喜んですぐにうなずきました。 ・・・像法(ぞうぼう)転じては 薬師の誓ひぞ頼もしき ひとたび御名(みな)を聞く人は よろづの病ひ無しとぞいふ・・・ ・・・正法(しょうぼう)五百年を過ぎて像法の世になっては 薬師如来の誓願(せいがん)が頼りになりましょう 一度その御名を聞いた人は すべてのどんな病も治るといわれております・・・ 二、三回繰り返して歌い聞かせると 経よりも感嘆した様子で 「この様な御歌いをお聞かせいただいて 私の寿命も延びることでござ いましょう。」 と、手をすり合わせて 泣きながら喜んでくれる様子を見て つらく切ない 思いで帰ったのでした。 それから後 仁和寺(にんなじ)での理趣三昧(りしゅざんまい)に参って おりましたところ 二月十九日に乙前が急に亡くなったことを聞きました。 亡くなったことを惜しむほど 若い歳ではないのですけれど 長い年月 いつも顔を合わせなれ親しんできたのに 辛くて切なくて悲しくてしかたが ないのです。 この人の世のはかなさ 一人この世に生き残り また 人に先立ちて この世を去る こんなありさまは 今はじまったことではないのですが いろいろな思いがつぎつぎに浮ぶのでした。 乙前は多くの歌を習った師匠でありますので 亡くなったと聞いたときより すぐに始めて 朝には法華懺法(ほっけせんぽう)を読んで六根が清浄に なるよう懺悔(ざんげ)し 夕には阿弥陀経を読んで西方の極楽浄土へ 往生できるように九品往生を祈り これを五十日間勤め祈りました。 一年の間に 千部の法華経を読み終わって 次の年の二月十九日 乙前の一周忌の当日 乙前のための追善法要を行いました。 乙前の一周忌の追善法要であることを御仏に申し上げてから 早速 法華経一部を読み それから ‘乙前は以前 経より今様の歌いに感嘆 したのであったなぁ・・・‘ と思って 乙前から習った今様の主な歌を歌い その後 明け方に 足柄十首、黒鳥子、伊地古、旧川、など歌って 終わり に長歌を歌い 乙前の後世のための弔いをしたのでした。 この様な追善があったことなど知らずに 里へ帰っていた女房の丹波が 夢を見たのでございます。 法住寺の広間で私が今様を歌っていると そこに五条の尼(乙前)が白い 薄衣に足をつつみ参り来て 障子の内側に座り 私と向かい合い 「御所様の御歌いを聞きに参りました。」 と、言って とてもよろこんでくれました。 「私(乙前)も声を付けて歌わせていただきましょう。」 と ともに歌い 「足柄などは いつもよりとてもすばらしい歌いでございます。この歌いの 節などは ほんとうにおみごとでございます。」 などと言って 褒めてくれて 長歌を聞いては、 「これは どんなものかと気がかりに思っておりましたが なんとみごとに 御歌いになられることか。このようにみごとに御歌いなされるを 御聞かせ いただけますれば 思い残す事もなく極楽浄土へ参ることができます。 なんと うれしいことでございましょう。」 夢を見て 二、三日してから 「この様な夢を見たのでございます。」 と、丹波が参内して言いました。 「そうか・・・乙前は私の歌いを そのように聞いてくれたのか。」 実は これこれしかじかこの様な追善を行った事を語ると 私ともども女房 たちも しみじみと心さみしく感じたのでした。 この後 乙前の命日には必ず今様を歌って 後世を弔うことにしたので す。 |
・‘・・・像法(ぞうぼう)転じては‘ 「梁塵秘抄 歌詞集 巻二」の法文歌の仏歌の一つで三十二歌に同じ (第四句小異)です。 像法(ぞうぼう)は 釈迦がいなくなって後 時代とともにその教えが衰え ると考えて その時期を分けた二番目の区分の時期の事だそうで、正法 像法 末法 に区分され 正法は五百年(千年ともある) 像法は次の 千年のことで ‘さとり‘を得る者はいないが‘教え‘と‘行‘は在る時期 なのだそうです。 この歌は 薬師如来の霊験をたたえたもので 院が乙前に元気になって もらおうと選んで歌ったのでした。 以下にある今様の霊験の話で 目井が病の清経に歌った歌でもありま す。 「23 今様と神仏の霊験」参 ・仁和寺(にんなじ) 宇多法皇の建てた門跡寺院で真言宗の本山の一つです。 (京都市右京区御室) ・理趣三昧(りしゅざんまい) ‘理趣経‘を読誦する勤行のことで ‘理趣経‘は真言宗で勤行に常用 される密教経典なのだそうです。 ・‘朝には法華懺法(ほっけせんぽう)を読んで・・・‘ 天台宗の修行で法華三昧 常行三昧 と言うのがあり これに用いる 典礼文を各々 法華懺法 例時作法と言い 前者は朝 後者は夕 の 勤行にも用いられるので ここで院は朝の供養に法華懺法を読んだの でしょう。 ・‘六根が清浄になるよう懺悔(ざんげ)し・・・‘ 六根と言うのは 眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの器官のことで法華経 を受持し読誦し解説し書写する人は この六根が清浄になり 超感覚の 持ち主になると言う 仏の教えから 書かれたものです。 院は 法華懺法を読んで 乙前の六根が清浄になれるよう勤め祈った わけです。 ・‘夕には阿弥陀経を読んで・・・‘ 前述の例時作法で夕方に阿弥陀経を読誦することです。 ・‘西方の極楽浄土へ・・・‘ 諸仏の住むあらゆる方角の浄土の中でも 西方極楽浄土への往生が とりわけ望まれることなのだそうです。 それなので 一番いい所へ乙前が往生できる様に夕方は勤め祈ったと いうことでしょう。 ちなみに 西方極楽浄土は阿弥陀の国土だそうです。 ・九品往生(くほんおうじょう) 九品と言うのは 極楽へ往生する者とその仕方に九種の差があるという ことで とりあえずは 九種のうちの一番下位であっても 往生できれば いいらしいです。 ・一年の間に 千部の法華経を読み終わって・・・ 法華経一部は 一部八巻二十八品 漢字で六万余字、これを一年の間 読誦することを千回繰り返したということです。 一年に千部だと だいたい一日に三部は読まないといけないわけで 根性のいる事ではありましょう。 乙前の一周忌の追善法要で読んだ法華経一部は 転読であったようで す。 ・五条の尼(乙前) 亡くなる少し前あたりに 受戒して名目上の尼になっていたのだそうで す。 ・ここはなんだか仏教の話が多くて ややこしやではありますが とにかく 院が乙前のために オモイッキリまじめに思いやり弔いそして供養をした のだというのが よくわかるのでした。 実の母が亡くなっても 父が亡くなっても こんなに思いはなかったのに 今様の師 乙前に対する院の思いの強さに なんとなく 心動かされたり するのです。 ‘今様大好き‘の院であったから その師・乙前に対して これほどの思い があったのでしょうけれど それにしても たかが数十年の一生の中で こんなに思う人がいて 思われる人がいるなどというのは ひょっとすると かなりしあわせな事ではなかったかと思ったりするのですが・・・。 とにかく この10の所は あまりに私の思い入れが強すぎて 書いていて ディスクトップの文字がにじんでしまって なかなか先に進めませんでし た。 情けないというか、こまったものだというか、そんなかんじでございます・・。 |