09 清経と目井と乙前のこと         もくじへ戻る トップページへ戻る

 乙前は早くから世間を離れ引きこもってしまったので 今様を伝える弟子
もおりません。
 乙前は弟子のことで こんなことを言っておりました。

 「中納言藤原家成卿が ‘ささなみに今様を教えてやってくれぬか‘ と
言われて ささなみを私の家へよこされましたので 足柄・黒鳥子・伊地子・
旧川・旧古柳・田歌などを教えたのですが、私の家の前に車を待たせて
おいたままのありさまで あまり多くの歌を習おうといたしましたので違った
歌い方で覚えたものもございました。
 でも 無理やりどうしても教えてやろうなどと 思いもいたしませんでした
ので 特別歌いを直す事もいたしませんでした。
 この様なことで 私の知るところを みな教えたわけではございませんので
歌いの芸を伝えたと言う所まで達してはおりません。」
 乙前がこのように言うので そのつもりで ささなみの歌いを聞きくらべて
みましたところ 確かに ‘歌いの振り‘ も乙前に似ておりませんし 歌いの
節も違うところが多くありました。

 さらに 乙前はこんな話をしてくれました。
 「ささなみは 船三郎の子で 船三郎の歌い方を習って歌っているので
ささなみの振りは 船三郎の振りになっていて 私(乙前)の振りには似て
いないのでございましょう。
 でも だいたいの歌は歌えるのでございます。
 ほかには それほど教えた弟子もおりません。

 弟子と言えば 目井のこの様な話がございます。
 ‘たうり、初声などはみんな私(目井)の弟子だと思っているけれど それ
は間違いなのだよ。
 教えたのは清経様だからね。
 清経様は私(目井)にこう言ったのだよ。
 ”いかにもそうでありそうな秘伝の歌を たうりと初声に手早く教えてや
れ。”
 だから私は、
 ”その様な事は するまでもない事でございましょう。”
 と、答えたのだけれど どうも世間では間違って 私が教えたと思っている
のだよ。‘
 目井はこのように申しておりました。

 たうりと初声に 清経様はとても厳しく 明けても暮れても徹底的に 歌を
歌わせ教えました。
 夜はあまりの眠たさにつらくなって たうりは外へ出て行って水で目を洗い
睫毛を抜いてその痛さで無理に目を覚まそうとしたりしましたが それでも
眠くてしかたがないほどでした。
 あんまり毎晩夜明かしして 夜が明けても蔀も上げずに歌ってばかりいる
ので 私(乙前)はこう言ったものです。
 ‘世間から見たら非常識ではありませんか。
 夜が明ければ蔀を上げ 暮れれば下ろす これがあたりまえの事でござ
いましょう。
 私はどうも気に入りませんし またさわがしい事でございます。
 時折りは この様な事のない時もあるとよいのに。
 うっとうしい事でございます。‘
 すると 清経様は 
 ‘なぜこれほど歌を嫌だと思うのだね。
 若い時はその様なものかもしれないがね。
 年老いて自分をこころよく見てくれる人もいなくなった時 この人の世が
絶えてしまうことはないのだから 歌いを好む身分高きお方もおられて
歌いの節がよくわからないなどという時は 
 ”なにがしであれば 知っているであろう。” 
 と、尋ねて来る人とてあるものなのだ。
 歌を知っていてこそ 老いて後にも この様な事があると言うものなの
だよ。‘
 と、この様に申しておりましたが 清経様は 本当に良い事を言って
くださったのだと思っております。」
 私(院)に今様を教えている時 乙前はこの様な事を言ったのでした。


・ささなみは前出の時 五条の弟子つまり乙前の弟子と言う事で 院の所で
 今様を歌っております。
 三、四ヶ月側においていたようですが やはりここで乙前が言うように 
 今様の歌いはいまひとつであったようです。
 乙前としては 歌いを習いに来るのに 車を待たせたままであれこれ教え
 てもらおうとする ささなみのイマヒトツ熱意に欠ける思いに それならマア
 そこそこ教えればいいかしら といったところであったようです。
・元の文で‘振‘と‘様‘と言う言葉が出てきます。
 ここでは‘振‘を”歌いの振り” ‘様‘を”歌い方” と言った感じで書いてい
 るのですが 共に今様を歌う時の節や声の使い方などの歌い方で 個人
 的な要素の強い細かい部分を‘振‘ 流派の違いによる様な大きな特徴
 を‘様‘と言うのだそうです。
 ‘振‘と言うのは 個人の持っている センスの様なものかも知れません。
 しぐさや声の質などが 似ているかどうかと言うのであれば これはやはり
 親子の方が似ていてあたりまえの様な気もします。
・たうり
  女芸人の名 元の文のままひらがな書きしました。
・初声
  前出 院の所で今様を歌っております。
・7.8.9.と長々乙前の話でございます。
 みんな元の文は乙前から聞いた話を院がかわって話す様な書き方なの
 ですが ここでは 乙前が話しているように書きました。
 それなので 乙前から見て身分的に高位であるだろう人物に‘様(さま)‘
 を付けました。 
 あたりまえですが 元の文には 院が話し手なので ‘様‘はありません。
・8.9.はかなり私的な話になっております。
 今様の話というより乙前の話です。
 院の乙前に対する常ならぬ気持ちが伝わる様な所でございましょう。
 それにしてもです 清経と目井と乙前の三人のチョッと変わった関係は
 なかなかおもしろかったりします。
 乙前は師匠であり養い親の目井のパトロンである清経にかなり今様の
 歌い人としてかわれております。
 だいたい 乙前に今様を教えるように 目井に言ったのは清経で その
 おかげで乙前は今様上手になったわけです。
 そのことを もちろん乙前もよく承知していて けっして清経のことを悪く
 言ったりはしていません。
 清経は目井に興ざめして後 ほかの歌い人 たうりや初声などを世話して
 います。
 おそらく これは世話だけではなかったかもしれないと想像する事もできる
 のですが なぜ乙前に特別な感情を抱かなかったのでしょうか。
 目井は乙前には今様を伝授していますが たうりや初声には たとえそれ
 が清経の頼みであっても 断っています。
 乙前が目井から今様を伝授される時に立てた誓いってどんな誓いであっ
 たのでしょう。
 だいたいこれまで読んできて 今様を教えてもらうのに 誓いを立てるなん
 て話は この目井と乙前の話だけなのです。
 清経はどうしても目井を はなしたくなかったのでしょうね。
 乙前と何かあれば目井とは ともに居られなくなるでしょうから・・・。
 で、たぶんこれは 乙前にとっても同じ事であったろうと思うのです。
 おのれの一時の感情に流されるより芸事が大事といったところでしょう
 か。
 7.8.9.とたいして長い話ではないのですが 乙前と目井と清経の間で
 ともに失いがたい人に対する想いが なんとなく伝わるような気がして
 わたくし的にはとてもおもしろいところであります。






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