07 秘曲‘藻刈舟(もかりぶね)‘のこと   もくじへ戻る トップページへ戻る

 今様の会から少し後、私は乙前にこんな事を聞いてみました。
 「他の歌は、たとえ上級者が歌うような由緒ある曲であっても その歌い
方はあまり変わらないのに 旧川(ふるかは)は、まったく似ていないな。
 どうしてなのだ? 他の者で、この歌い方で歌う者は 一人もいないでは
ないか。」
 すると 乙前は こんな事を教えてくれたのでした。

 「目井が申しますには・・・、
 ‘いつであったかなどは言えないのだけれど、 みんなが集まって いろい
ろと今様の議論などして大曲など皆すべて論じていた時、私(目井)が旧川
をこの歌い方で歌うのを 敦家(あついえ)様、敦兼(あつかね)様、など他
にもたくさんの人たちが聞いていて、
 ”旧川は地方民謡風の風俗の歌い方で みんな歌っているのだけれど、
この歌い方はめずらしくて 見事なものではないか。” 
 と、言って 二、三回私に歌わせたのだよ。
 それから 居合わせた人たちが皆、
 ”この歌い方は、そこいらのありふれた歌い方ではないな。
 めったに他の者には聞かせず ふだんは歌わぬほうがよいであろうよ。”
 と、言うので この歌い方では これより後には歌はなくなったのだよ。‘
 と、この様なしだいでございます。

 また、こんな事がございました。
 修理職の長官であった藤原顕季(あきすえ)様が、昼間から墨俣(すのま
た)や青墓の女芸人を大勢呼び集めて いろいろと今様の歌を歌った折に
目井がこの歌い方で旧川を歌いました。
 私(乙前)もすぐに声を付けて歌ったのですが、これを聞いて清経様が
 ‘見事な節ではないか。
 ふつうの歌いの節には無い歌い方だな。
 この歌い方では 他の者は声を付けて歌うことはできないであろうよ。‘
 と、言いました。
 本当に、他の人たちはこの歌い方を知らなくて 歌うことができませんでし
た。
 大進もこの歌い方を知らなかったので、声を付けて歌うことも無く終わった
のです。

 その後、大進が 目井と私(乙前)の所に来て
 ‘旧川の歌い方に このような声の引き方があるのを 私(大進)だけ 
のけ者にして教えてくれなかったのですね。‘
 と、うらみごとを言われてしまいましたので 仕方がなくて
 ‘この歌い方は 旧川の歌いの中にある ”藻刈舟(もかりぶね)” という
歌い方なのだけれど、この様な歌い方があるのを まだ知らなかったのか
い。‘
 などと 目井が言いつくろったのです。
 目井は四三が亡くなってからも生きておりました。
 それで、四三の後 目井が教えた歌い人達が言った事を耳にして
 ‘この歌い人達は、みんなこの私(目井)に 今様の歌い方を聞いて教えて
もらったのに、今 うまく歌えるようになると 私(目井)には習っていないと
言うのだから。‘
 と、このように言って腹をたてておりました。
 目井は四三の弟子なのですけれど、あまり自分から進んで教える様な性
格ではなかったので 親しくしていた人達は なんとなく嫌な感じと思って
いた様なのですが、この大進は 目井ととりわけ親しく付き合っていたので、
どの様な事でも分け隔てしないように もちろん今様でも分け隔てしないよう
に 目井は私(乙前)と大進を同じくなるように見てきたのに 大進に うらみ
ごとを言われてしまったので 仕方がなくて 藻刈舟(もかりぶね)と、言って
しまったのです。」
 私は、乙前がこのように教えてくれたのを この時は聞き覚えていたので
すが なんとなく忘れてしまったのでした。

 東山の法住寺で 五月の花の頃に 花の法会をいたしました折 江口・
神崎の遊女(あそび)や青墓・墨俣(すのまた)の傀儡子(くぐつ)が集まり
会して 今様の話になりました。
 いろいろな歌の話をあれこれ言い合って 少し歌ったりしたのですが 
この時 小大進にこんな事を尋ねたのです。
 「おまえの歌い方は乙前の歌い方とどれもみな違う所はないのだが、旧川
だけは違うのだな。
 どうしてなのだ。」
 私がこのように尋ねるのを聞いて 小大進は、
 「まさか変わるような事はございますまい。
 どのあたりが違っておりましょうか。
 お歌い頂けますか。」
 と、言うので 私が歌って聞かせると それを聞いて
 「この歌い方は 藻刈舟(もかりぶね) と言う歌い方でございます。
 大進からその様に教えられました。」
 と、言いました。
 以前 聞いた事と同じであると思い出したので これはおもしろいなと思っ
 たのでした。

 この日 墨俣(すのまた)の傀儡子女(くぐつめ)式部は虫鳥の歌を とても
上手に歌いました。
 以前よりは世間の評判が良くなってきたのに しばらくして京で亡くなって
しまったので この世はなんと はかなくて悲しいものかと思って それから
後は考えるのを止めてしまいました。


・敦家(あついえ)
  藤原敦家 今様の名手
  「23 今様と神仏の霊験」に敦家の金峰山(きんぶせん)での話しが
  書いてあります。
・敦兼(あつかね)
  敦家の子
・墨俣(すのまた)
  青墓とならぶ傀儡子(くぐつ)の本拠の一つ 岐阜県
・五月の花の頃・・・
  五月の花の頃に仏前に花を供える法会をしたのですが、法住寺は京都
  にあるので 今の五月の花は杜若(かきつばた)、ツツジ、さつき、芍薬
  などですが旧暦の五月は新暦だと六月から七月くらいになるのです。
  すると花も違って紫陽花・菖蒲・桔梗・睡蓮・蓮などになります。
  仏前に供えた花は菖蒲や桔梗であったのかもしれません。
・この7も笑える話でございます。
 だいたい院は自分で乙前に旧川の歌いの事を聞いているのに 
 ‘なんとなく忘れてしまった‘ はないだろー・・・と言った話で あきれた事
 には 同じ事を小大進にまた聞いていたりするわけで、院の血液型はB型
 なんじゃないかと思ってしまう話であります。
 そりにしても、ここの話の大部分は乙前の話で、はじめは‘目井が申しま
 すには・・・‘からはじまって法住寺の花の法絵の前あたりまで続きます。
 元の文は 院が乙前から聞いて院の話として 乙前からこのように聞いた
 と言う感じで書かれているのですが ここでは、そのまま乙前の話として書
 きました。
 それで、乙前の長話のようになってしまいました・・・。






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