| |
九月になって法住寺殿で仏前に花を供える法会を催した時、今様の話が 出ました。 夜どおし歌って、翌日の朝に 業房(なりふさ)、能盛(よしもり)、など大勢 いるところで 能盛がこんな事を言ったのです。 「さはのあこ丸が 今様のうわさ話をいたしました、‘五条の乙前様は年老 いているけれども、声も若いし とても上手にお歌いになるそうでございま す。しかし、足柄などは うまく歌えぬかもしれません。歌上手の目井(めい) 様が、乙前様を養女にして 二人でしばらく美濃におりましたけれど、すぐ京 に出て来て暮らし始めましたので きっと目井様の旦那であった源清経(き よつね)様などに歌を習ったのでございましょう。目井様も まさか本当の 子供のようには 教えはしなかったでしょうから。‘と、言っておりました。」 この法住寺の御所で能盛が話した事を 乙前が聞いてしまったのです。 乙前は、 「あこ丸が、その様な事を申しておりますのなら よい折でございます。」 と、言って話はじめました。 「監物(けんもつ)であった清経様は、尾張に来たのですが 帰京の途中 美濃の国で宿をとりました。私がまだ 十二、三の歳のころでしたので、 目井に連れられて清経様のおります宿に参りました。清経様は 私の歌を 聞いて、‘いい声だ。このような子はめったにいない。大人になってもきっと よい声で歌う 上手の歌い人になるであろうよ。‘ と、言って それから 私どもを連れて京へ上ったのです。 清経様は目井とともにこの私も家に おいてくれて かわいがってくれました。そして ‘長年 目井の面倒を見て きた代わりに この子に今様を教えてやってくれ。‘と言ってくれたのです。 私は今様の秘伝を習うために誓いを立て 目井から今様の全てを教わった のです。この話が本当か嘘かなど、どうして わかると言うのでしょう。 あこ丸が そのように申しているのであれば、私も申したい事がございま す。」 と、言ってさらに話を続けました。 「あこ丸の母は、大進(だいじん)の姉で和歌と申します。 和歌が私の 養い親の目井に申すには、‘四三(しさん)に早く死に別れてしまったので 大曲の歌を歌えなくて、土佐守盛実(とさのかみもりざね)様が 私達親子 を甲斐へともに連れて行った時にそこで習ったのです。‘ と、言う事だと 目井が申しておりました。それに たれかは(‘たれかは‘という名の歌い 人)も、度々 母に連れらたり 自分一人で 来ておりましたが、和歌が 今様上手であるとも知りませんでした。」 乙前がこのようなことを申しますので、私や能盛などは 「それでは もしかすると 和歌やその子のあこ丸は、四三の歌い方では ない かもしれないな・・・。」 などと噂話をしたのでした。 また、乙前は 「さらに申し上げますれば、小大進(こだいじん)を お呼びになって その 歌をどうぞお聞きくださいませ。それはもう 心ひかれる歌でございます。」 と、言うのです。 そこで、さっそく 小大進など今様の歌い人を呼びに行かせました。 小大進、さはのあこ丸、延寿(えんじゅ)、たれかは、あこ丸の娘などが 参内して一同会したのでした。 そうして いよいよ法住寺殿の大広間で 今様の会が始まりました。 小大進が法文歌を足柄で歌ってみせます。 ・・・釈迦の御法(みのり)は浮木(うきぎ)なり 参り会ふ我等は亀なれや 今は当来(とうらい)弥勒(みろく)の 三会(さんえ)の暁(あかつき)疑(うたが)はず・・・ ・・・(釈迦の説かれた仏の教えは なかなか出会えないので大海に 浮かぶ木切れのようだ たまたまそれに出会う私たちはまるで一眼の亀の様であることよ 後の世に現れ衆生をお救いになる弥勒菩薩の 三会の説法が行われるを疑わずにおりましょう)・・・ するとこの小大進の歌う足柄を聞いた人たちが、私の歌い方と少しも違う ところはないと言うのです。 この歌い方は あこ丸の歌い方には似ておりません。 あこ丸が ‘正調でなく京足柄‘ と言った乙前の歌い方こそ少しも違わ ないのです。 「どこが あこ丸の歌い方に似ていると言うのだろう。乙前の歌い方こそ 少しも違わないではないか。」 と、居合わせた者たちが言い合います。 「‘釈迦の御法(みのり)は浮木(うきぎ)‘と言うこの歌の‘今は当来(とう らい)弥勒(みろく)‘と声高く歌う所などは、少しも御所様の御歌い方と違い ませぬ。」 と、その場には 成親(なりちか)卿、資賢(すけかた)卿、親信(ちかのぶ) 卿、業房(なりふさ)、季時(すえとき)、法師蓮浄(れんじょう)、能盛(よしも り)、広時(ひろとき)、康頼(やすより)、親盛(ちかもり)、らがひかえていた のですが、末座にいた季時(すえとき)が まめまめしくお世辞を言ったりな どして、小大進の歌の節が違っていない事に感嘆したのでした。 広時(ひろとき)などは、 「御所様の御歌を聞いたこともない 田舎から上って来た私ではあります が、このように 歌の節が少しも違わぬと言う事は 物事の理をしみじみと 感じまする。」 などと言って、涙を流したりするのです。 居合わせた皆は こんな広時を見て笑いましたが、やはり皆も涙したので した。 この場の雰囲気に あこ丸は腹を立て、小大進の背中を強く叩いて、 「良い歌いの様でごさいます。またお歌いになられるとよい。」 と、言いました。 この様子に、みな あこ丸を憎く思ったのでした。 |
・‘九月になって法住寺殿で仏前に花を供える法会を催した時‘ この時の九月は今の十月であると思うので 供えた花は菊や木犀で あったのではないかと思います。 ・法住寺 法住寺殿、院の御所で今の三十三間堂(京都市東山区)の周辺一帯を 占めた広大な屋敷です。 ・目井 青墓出身の今様上手の女芸人で 乙前の師匠です。 ・清経 源清経のことで 目井のパトロンでありました。 ・監物(けんもつ) 中務省に属し、大蔵省・内蔵寮(くらりょう)などの出納を監察する職で す。 ・大進 女芸人の名です。 ・四三 女芸人の名で、ここに出てくる今様の女芸人たちは 四三の芸風を伝承 しています。 ・小大進 女芸人の名です。 ・京足柄 京風の足柄のことで、あこ丸が乙前は足柄がよく歌えないと言ったのは 京に早くから住んでいるので 乙前の足柄は正調ではなく京風であると 言うことなのでした。 ・釈迦の御法(みのり)は・・・ 歌詞集の法文歌 妙荘厳王品 四首 164歌 ・最後の所 ‘・・・やはり皆も涙したのでした。‘ ですが 本文でも 「人々これを笑ひながら、みな涙を落す。」 とあります。 乙前の歌い方が あこ丸の言うように京風の歌いで正調でなければ 師事している院の歌い方も正調ではないわけなので それが四三の 歌い方を正統に伝承している小大進と同じ歌い方であることから 正調 であったと証明されたので ‘あーよかった・・・‘と言ったところなので しょう。 なんだか、すごく緊張した今様の会だった感じです。 ・今回 やたらと人名が出てきて ややこしやなのですが、ここで注釈する のは今様の女芸人だけにします。 今様の伝承については 「宮姫━小三━なびき━四三━弟子めい━弟子乙前━後白河院」 と、一系の伝承を伝えているものがあります。 さらに‘4話‘から‘10話‘あたりまでの主な今様歌い人の伝承関係を以下 の様にまとめてみます。 ‘四三‘ から ‘目井‘ そして ‘乙前‘ ‘目井‘ から ‘大進‘ そして ‘小大進‘ ‘四三‘ から ‘おとど‘ そして ‘延寿‘ ‘四三‘ から ‘和歌‘ そして ‘さはのあこ丸‘ これを見ながら 上記の話を読むと内容がよくわかるかと思います。 ここで言っている正統な今様の伝承は 四三の歌い方であるわけで、 延寿とあこ丸の歌い方は どうもこれまでの話からすると 四三とは少し 違っているようです。 乙前が小大進を呼んで その歌を聞くように言ったのは、親の大進が 正統に四三の歌い方を 受け継いでいる事を知っていたからです。 (後の話に出てくるのですが乙前が目井から今様を習っている時 大進 も目井に今様を習っています。ですから乙前は大進の歌を知っているの です。) なんだか あこ丸がよけいな事を言ったのでボロが出ちゃったと言うお話 です。 ・ここまでの話4、5、はわたし的には大河ドラマしてしまうところであります。 もっとうまく お話風に書ければいいのですが どうしても本文を意識して しまって うまくいきません・・・。 会話のところなども も少しうまく書ければいいのですが、なんとなく陰陽 師か忍者ハットリくん風になってしまいました・・・。 まだ、もう少しこんな感じの話が続くのですが ミーハーな私としては頭の 中いっぱいに大河ドラマしながら書いていこうと思っております。 |