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| 歌舞伎座 第三部 三階B中央の席 |
*菅原伝授手習鑑 道明寺 一幕 *文珠菩薩花石橋 石橋 長唄囃子連中 |
菅原伝授手習鑑 道明寺 菅丞相:仁左衛門 覚寿:玉三郎 奴宅内:錦之助 苅屋姫:孝太郎 贋迎い弥藤次:市蔵 宿禰太郎(すくねたろう):彌十郎 土師兵衛:歌六 立田の前:秀太郎 判官代輝国:我當 あらすじはこちらでどうぞ 文珠菩薩花石橋 石橋 樵人 実は 獅子の精:富十郎 童子 実は 文珠菩薩:鷹之資 男某:松緑 修験者:錦之助 寂昭法師:幸四郎 三河の国守であった大江定基は仏道修行を志て出家をし寂昭法師と名を改め清涼山へとやって来ます。 寂昭法師は文珠菩薩が住むと言われる霊地を訪れようと石橋を渡ろうとしますが 折りしもそこへどこからともなく童子と樵人が現れ石橋の謂れを語ります。 実は童子と樵人は文珠菩薩と獅子の精で 寂昭法師は夢現の中、お告げを聞いてありがたい霊験に感銘するとこの場を去ります。 あたりに誰も居なくなったところへやって来たのは旅の修験者 そこへ、このあたりに住む里の男が声をかけます。 里の男が話すには、石橋には荒ぶる獅子が居て修行の足りない者が来ると喰らってしまうと言います。 そこで修験者は獅子を鎮めようと祈祷を始めますが、にわかに風が吹き下ろし獅子の現れる気配になります。 恐れ慄く里の男と修験者は慌ててこの場を逃げて行きます。 やがて文珠菩薩と獅子の精が姿を現し 文珠菩薩の見守る中、獅子の精は狂いを見せると獅子の座に直るのでした。 |
☆「菅原伝授手習鑑 道明寺」は 今月、第一部「加茂堤」第二部「筆法伝授」と続いた「菅原伝授手習鑑」の二段目の切にあたるところです。 おおまかな流れはこちらの感想欄をご参考くださいませ。 で、今回の舞台は‘十三代目片岡仁左衛門 十七回忌‘‘十四代目守田勘弥 三十七回忌‘追善狂言ということで 仁左衛門丈が丞相、玉三郎丈が初役で覚寿をお勤めになります。 「杖折檻」 幕開き舞台は土師の里、覚寿の館 腰元の台詞で状況説明 竹本は出語り、オキから秀太郎丈・立田の前、続いて孝太郎丈・苅屋姫が二重正面襖からの出になります。 秀太郎丈・立田の前 はじめの台詞から人あたりが柔らかで優しく、気遣いと頼れる感じがございます。 情があり懐の大きな立田の前です。 あの・・・一緒に居るといろいろと気が利いてなんでもやってくれそうです。(笑) 28日楽日の観劇では頼れる優しさはもちろんですが、時代物のたっぷりした雰囲気がさらに増しておりまして幕開きすぐから良い雰囲気を作っていると思いました。 孝太郎丈・苅屋姫は控えめでしっとりしていて良いと思います。 奥より一声聞こえて二重襖から玉三郎丈・覚寿の出になります。 白髪で腰を曲げ杖を突いていて、見た感じはかなり老けてヨタヨタしていますが 杖を振り上げた様子は厳しさが感じられます。 出の前に立田の前が‘母様の堅苦しさ‘と言っておりますが 台詞のとおり、気難しくて頑固にしっかりと筋を通す人物に見えます。 ですけれど、苅屋姫と逢おうと言う丞相に対する‘生みの親の打擲は・・・‘からの台詞には 苅屋姫・実の娘への深い情が感じれます。 また、丞相の木像を見て涙する姿は温かで優しさがございます。 存在する事で感じられる大きさで見せると申しますより リアルに覚寿という人物を描き出しているようです。 歌舞伎の型で見せていくということより もっと心情本位の見せ方のように感じました。 ‘文楽を勉強して勤める‘と筋書きにございましたが さっくり床本を読んでみますと文字として書かれている事をわりとストレートに見せているように思いました。 28日の観劇ではこの場の二つの台詞、「おりや他人には折檻せぬ・・・」「生みの親の打擲は、養ひ親へ立つる義理・・・」 共に長めの台詞ですが これがとても良かったです。 前回の観劇では心情をわりとリアルに見せているように感じましたが 28日には、そこに台詞の張りや竹本に乗って見せるメリハリのある動き(型)が客席で見た目にはっきり分かるようになり 重圧で奥深い時代物の大きさが出ていました。 「東天紅」 歌六丈・土師兵衛と彌十郎丈・宿禰太郎(すくねたろう)は花道からの出 竹本出語りが愛太夫から東太夫に代わります。 ここはまず秀太郎丈・立田の前が良いです。 土師兵衛と宿禰太郎の話を聞いてしまった立田の前が宿禰太郎を見つめる表情がなんとも寂しそうで 「お前方のびっくりより、わしにびっくりさゝしゃんした」からの台詞に立田の前の切ない気持ちが伝わります。 この場の秀太郎丈の立田の前は、夫・宿禰太郎を想う可愛らしさもございます。 夫や舅に優しい情を感じるので、この後の展開もがとても可哀相に思えます。 お話の展開のわりにギスギスした感じがないのは 情の暖かさを感じるからかもしれません。 宿禰太郎に斬られてしまう秀太郎丈・立田の前は 斬られたところで髪をさばくやり方で、‘気丈な健気さ‘も感じられます。 また、竹本に乗った所作もノリが良いです。 彌十郎丈・宿禰太郎は甘ったれなぼんぼんの感じです。 ベリベリした悪の雰囲気は少ないですが、チョッと可笑しみがあり印象に残る宿禰太郎でした。 立田の前を斬るところは、もっとたっぷりしていてもいいように思いました。 歌六丈・土師兵衛 ガッシリとして骨太な悪い奴で、老けと申しますより落ち着きがある感じです。 「丞相名残」 竹本の出語りが喜太夫に代わり「太郎詮議」になります。 ここの仁左衛門丈・丞相は白地の衣装、木像というところです。 独特なカクカクした動きですが、客席の反応に笑いは無いようでした。 あの動きで笑いを生じさせない品格を見せる仁左衛門丈はすごいと思います。 木像の丞相が去った後 覚寿は姿の見えない立田の前を捜し始めます。 この場の玉三郎丈の覚寿がどのような雰囲気なのかとても楽しみにしておりました。 玉三郎丈の覚寿は、池から上がった立田の前を見て、愛しさや悲しさをわりとリアルに見せていると思います。 型から気持ちを伝えると申しますより、気持ち本位で竹本にノル感じでしょうか・・・。 さらに、自分の裲を立田の前に掛ける姿は優しくて暖かな雰囲気がございます。 立田の前が咥えていた宿禰太郎の着物の端布を見つけたところは大仰な感じではなくすんなり見せて気持ち本位でグッと堪える怒りがしっかりと見えてきます。 太郎に近寄るところの玉三郎丈・覚寿の凄み、静だけれど念を感じ3階まで届く怖さがございます。 刀を抜いて斬りつけるところの迫力は凄いです。 刀が彌十郎丈・太郎の帯にあたってパシッという音が3階まで聞こえました。 ここはとても素早くて玉三郎丈の老役がまだ枯れた域に達していないのだな〜 っと、思いました。 「肝先へこたえたか」と言う覚寿、娘・立田の前への情がしっかり伝わります。 さらにここから、「大の男を仕留める老女、さすがに河内郡領の」でグッグッっと前に踏み出すところ そのまま彌十郎丈・太郎を押して三段の階に上がり「おもいしったか」と正面で決まるところ スゴイ気迫が伝わりまして、さすが立女形の大きさを感じます。 7日の観劇の時は このところ、まだこなれていない感じで、リキが入っているように見え、見た目のヨタヨタと刀を手にしてからの力強さにアンバランスを感じたのですが 28日の観劇では練れて、リキが入って見えた部分が役の大きさとして見えていたと思います。 我當丈・輝国は花道からの出 スッキリとした感じ、颯爽とした台詞、情と格のある輝国です。 上手の一間から仁左衛門丈・丞相(こちらは本物です)の出になります。 竹本出語りが綾太夫に代わり後半の「丞相名残」になります。 ここは出だしは贋迎いなど舞台面に動きがあるのですが 途中が台詞だけでお話が進むのでチョッときつかったです。(^_^;) 現実に行動する覚寿と現実では何もしない丞相 玉三郎丈、仁左衛門丈、お二人の対比が半々で分かりやすかったです。 玉三郎丈・覚寿は娘・立田の前を亡くし丞相も遠くに旅立ち この騒ぎの後、寂しいだろうな〜 っと、想像できます。 等身大で哀れでかわいそうだと思える覚寿です。 仁左衛門丈・丞相は何もしないできないことに違和感を感じません。 「立田の前ははかなき最期、是非もなし」っと、言う丞相 実は全て知っていたのに何もしなかったわけですが そのことに違和感を抱かせない神格があるのだと思います。 「道真ここへ来たらずば」と言う丞相の寂しさ 「悦びこそすれなんの泣こ。なんのなんの」と返す覚寿の強さと悲しさ 存在としてONOFFを言う丞相、血みどろでも現実で強い覚寿 「有為転変の世の習い」と言う覚寿に無常感じ、髪を切る想いがよく分かります。 この舞台は実は現実を生きる覚寿の舞台なのだな〜 っと、改めて思いました。 ここの後半は動きが少なく、高音の声で切々と悲しげな台詞だけで舞台を進める仁左衛門丈がサスガだと思いました。 舞台で別れる父・丞相と娘・苅屋姫 糸に乗って檜扇が苅屋姫の手に渡るところの間が最高です。 仁左衛門丈と孝太郎丈、お二人とも情がたっぷりでとても良いです。 で、ここの仁左衛門丈がスゴク綺麗でカッコイイです。 さらに花道七三の見返りの見得 スッと上げた袖越しの姿がとにかくカッコイイです。(^^ゞ 幕切れは舞台で丞相を見送る玉三郎丈・覚寿の寂しそうな表情が印象的でした。 全体に今回の舞台は心情がよく伝わる舞台だと思いました。 また、7日の観劇では多少物足りなかった重圧感が28日の観劇では感じられ 決まりの型としての大きさと心情の深さのバランスが良くなっていました。 時代物ですので、もっとコッテリと型で決まってもいいように思いますが 大時代に決まる事が少ないところを心情の深さを見せることでカバーして、それが‘できていた‘舞台でした。 新しい歌舞伎座ができたら、仁左衛門丈の丞相と玉三郎丈の覚寿で通しの「菅原」が見たいです。 ☆「文珠菩薩花石橋 石橋」は能の「石橋」をもとにした‘石橋物‘の舞踊で、1820年に作曲された長唄曲を用いた長唄舞踊です。 今回の舞台は振りの伝わっていない「石橋」を富十郎丈が1999年(H11)に復活し、さらに2001年(H13)の鷹之資丈の初舞台に新演出で上演したものです。 ここまで一日通しの観劇ということもございまして この舞台はサックリと観劇いたしました。(^^ゞ 片しゃぎりを打上げて幕開き 舞台は松羽目、正面に長唄囃子の雛壇、長唄九挺九枚 下手のお幕から幸四郎丈・寂昭法師の出 名乗り座で状況説明の後に上手の蔓桶に座ります。 続いて鷹之資丈・童子と富十郎丈・樵人が下手のお幕から出ます。 鷹之資丈、しっかりして大きくなりましたね。 人様のお子は成長が早いです。(^_^;) 富十郎丈・樵人の踊から連れ舞になります。 まあ・・・なんと申しましょうか・・・前シテにあたる樵人と童子ですが、‘これ!‘っというようなところがございませんので、それなりに雰囲気を楽しんで見てしまいました。(^_^;) 富十郎丈と鷹之資丈が下手に入り幸四郎丈・寂昭法師が花道からの引っ込み、間狂言になります。 松緑丈・男某、錦之助丈・修験者 どちらも松羽目物の舞踊の品がございまして、外し過ぎない可笑し味が良いと思いました。 お二人が下手お幕に入ったところで大薩摩のオキから後シテ 二畳台が出て鷹之資丈・文珠菩薩が花道(すっぽん?)から出ます。 が・・・子供の背丈ということもございまして、3階からではマッタク見えません。(笑) 鷹之資丈・文珠菩薩が舞台の二畳台に上がったところで露の鳴物 花道から富十郎丈・獅子の精が出ます。 白地の長袴で白の獅子頭です。 舞台に上がって所作立てになります。 で・・・あの牡丹の花を手にしたからみの人は何なのかと・・・捕手じゃぁないよね〜?・・・舞台を見ておりまして疑問に思ったので、後から筋書きを見たのですが、そのまんま‘からみ‘としか書いてございませんでした。(^_^;) 毛振りの代わりに舞台を盛り上げる演出ということなのでしょうね・・・たぶん・・・。 ここで富十郎丈・獅子の精は引き抜いてぶっかえり、紫地に牡丹模様の衣装になります。 紫が赤が強い色合いでして、白い獅子の毛が映えて 華やかだけれど品のある感じで良かったです。 幕切れは鷹之資丈・文珠菩薩が二畳台に上がり、富十郎丈・獅子の精がからみを返して絵面に決まります。 後シテの獅子の精は毛振りがございませんので、石橋物の獅子の狂いの雰囲気を見るという感じでした。 全体にさっくりと見た舞台でした。 長唄の人数の多さが目を引きまして、舞踊そのものよりパッと見の舞台面が華やかで歌舞伎らしく、歌舞伎の長唄を楽しむ感じでした。(^_^;) |