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| 歌舞伎座 夜の部 1階後方中央の席・三階B中央の席 |
*通し狂言 義経千本桜 渡海屋 大物浦 吉野山 竹本連中 清元連中 川連法眼館 四幕 |
渡海屋 ・ 大物浦 渡海屋銀平 実は 新中納言知盛:吉右衛門 銀平女房・お柳 実は 典侍の局:玉三郎 相模五郎:歌六 亀井六郎:種太郎 伊勢三郎:右近 駿河次郎:隼人 片岡八郎:巳之助 入江丹蔵:歌昇 武蔵坊弁慶:段四郎 源義経:富十郎 あらすじはこちらでどうぞ 吉野山 佐藤忠信 実は 源九郎狐:菊五郎 静御前:菊之助 逸見藤太:松緑 あらすじはこちらでどうぞ 川連法眼館 佐藤忠信 佐藤忠信 実は 源九郎狐:菊五郎 源義経:時蔵 静御前:菊之助 亀井六郎:権十郎 法眼妻・飛鳥:秀調 駿河次郎:團蔵 川連法眼:彦三郎 あらすじはこちらでどうぞ |
10月の舞台 特に夜の部は、まさに歌舞伎座で見る大歌舞伎で 大きく重圧で格のある舞台なのはもちろんですが 見た目でない内面からの心情の発露と申しましょうか それぞれの役者さんがそれぞれに掘り下げたお役の心情がしっかり伝わる舞台でした。 かなり期待して見に行きましたが その期待に十分に答えてくれた舞台で 今回、この舞台を生で見ることができたのはラッキーでした。 ☆「義経千本桜」は1747年初演 (二)竹田出雲、並木千柳、三好松洛による合作 全五段の人形浄瑠璃を歌舞伎に移した舞台で 三大歌舞伎の一つです。 お話の流れは 発端になる義経の都落ちから吉野山までです。 今回上演の「渡海屋」「大物浦」は二段目で知盛を芯に 「吉野山」「川連法眼館」は四段目で源九郎狐を芯にしたお話です。 「吉野山」は「義経千本桜」の道行で、本名題は「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」 現行の舞台は1808年に上演された舞台をもとにしています。 竹本と清元(1808年上演時は富本節でした)の掛け合いの舞台です。 こちらの感想欄に各段の流れが書いてございますのでご参考くださいませ。 「渡海屋」「大物浦」 波音の大太鼓で幕開き、舞台は渡海屋 まず、雰囲気が良いのは歌女之丞丈と京妙丈 ここで、今回の‘渡海屋‘の雰囲気(時代物の格と世話がかった感じのバランス)がさりげなく決まって見えてきます。 幕開きすぐから感じましたのは ‘今回の渡海屋は格に寄っている‘と申しましょうか ‘世話風ですが砕けていない‘と申しましょうか 落着き重みを感じました。 ここが底、ベースになって舞台が続いていきますので この舞台の大きさが知れてくるような幕開きです。 また、今回の「渡海屋」「大物浦」を通して感じた事でもございますが 受ける芝居がとても良いです。 幕開き間近のところでも、弁慶がお安を跨ごうとして‘足がつくばる‘と言った時の歌女之丞丈と京妙丈の‘!‘っとする感じが そのような思い入れで伝わってきました。 加減が良くて気持ちが伝わります。 チョッと前後いたしますが この場の段四郎丈・弁慶、暖かい雰囲気が感じられて良いと思いました。 しっかりした存在感はございますが、武ばった感じではないです。 このお話し、辛い展開のお話しですので 段四郎丈の暖かみを感じる弁慶は、それだけで救いになる気がいたします。 歌女之丞丈と京妙丈が奥に入り舞台に誰も居なくなったところで竹本のオキ 花道から歌六丈・相模五郎と歌昇丈・入江丹蔵の出になり 舞台は玉三郎丈・お柳の出になります。 この場の玉三郎丈は渡海屋銀平の女房・お柳ということですので、石持の衣装ですが 色合いは紫がかった茶(鳶色)とか海老茶とは少し違うようで 濃い茄子紺のような色合いです。 茶より紫を感じる衣装ですので 世話風な舞台面の底にある時代を感じさせます。 これは衣装だけではございませんで 玉三郎丈の台詞の感じなどからも 世話がかっているけれど砕けているわけではなく 時代狂言としての格を持っていらっしゃるように感じました。 今回の相模五郎と入江丹蔵は歌六丈と歌昇丈で、お二人とも押しがあり また、歌六丈・相模五郎の台詞はケッコウ武ばった感じでしたが これを世話でしっかり受ける玉三郎丈・お柳、さすが大きいな〜 っと、思いました。 それにいたしましても・・・歌六丈・相模五郎と歌昇丈・入江丹蔵、贅沢な舞台です。(^^ゞ 舞台でお柳が返答に行き詰まるところへ 竹本のヨビで花道から吉右衛門丈・銀平の出になります。 厚司姿もカッコイイ銀平です。(^^ゞ で・・・はっきりしないのですが・・・厚司が薄手に思えたのですが・・・? 地色がアイボリーのような・・・こんな和色はございませんけれど(^_^;)、色名が?ですので・・・薄い色合いだったので、このように感じたのかもしれないのですが・・・。 動きやすそうで、色合いのコントラストもクッキリしておりまして 見た目スッキリとして粋、花道を出てくるところなど颯爽とした雰囲気さえ感じられまして なんと申しましょうか・・・芸で見せる勢い、若さのある銀平だと思いました。 舞台に上がって中央に座しますが、懐の大きい感じ、煙管を使う粋な感じ、とても良いです。 「お侍様方の二腰は身の要害・・・」からの台詞は粋で余裕があり胸がすく感じ 「町人の家は武士の城郭・・・」のところは大きいけれど武ばらず世話風 「大物に隠れなき真綱の銀平がお匿ひ申したら何とする。」っと、グッとくる思い入れ 粋に大きく、武ばらずに見せる時代物の重圧さ 上手いな〜っと、思います。 この後の相模五郎と入江丹蔵の魚尽くしは歌舞伎のいれごとですが これから先が重たいお話しになりますので こういう件は芝居らしくて好きだったりいたします。 で、今回は歌六丈の相模五郎で 魚尽くしも少し武ばって一つひとつの区切りを噛みしめるような台詞でした。 銀平が奥に入ると富十郎丈・義経の出になります。 品格のある義経で 「いまは甲斐なき身のうえじゃな〜」っと、悲哀を感じます。 さらに良いと思いましたのは 富十郎丈の義経は受ける芝居が大きいです。 玉三郎丈・お柳が洗濯の日和の話をしている間、しっかりと話を聞いている様子が伝わります。 この場のお柳はマダ典侍の局ではございませんので これから船出する義経を気遣い、夫・銀平は日和を見る名人だから安心してください っという意味合いでしゃべるわけですから ここで、その気遣いに気付き、話を聞く様子が伝わる事で 後の旅立ちの際、笠を手渡されて「心遣ひ忘れじ」と言う台詞がよりいっそう活きてきます。 さらに、この気遣いと気遣いに対する感謝が 人の心の通い合いということから「昨日の仇は今日の味方」へ繋がるような気がいたしました。 ただそこに居るのではなく、お役の心情を伝え そこにその人物を見せる富十郎丈、スゴイな〜 っと、思いました。 チョッと前後いたしましたが 玉三郎丈のお柳の見せ場になります‘洗濯日和のしゃべり‘は 世話風ですが砕けず品がございます。 世話女房風に、慌しくせきたてて、捲くし立てるのではなく 品格を保った‘しゃべり‘で ‘実は‘を底に踏まえた台詞です。 あの・・・‘ふるあめりか‘のお園のようなチャッキリ感のある言い方ではございませんで もう少し抑揚の感じられるしゃべりです。 まったりというのでもなく やはり格を崩していないのだと思います。 で、幕開き間近からの底に隠れる格が典侍の局になる時に効いてくるのだと思います。 今回の舞台、大きな役者さんががっつり組んだ舞台ですが 四天王はお若いです。 次の次の次の次くらいのお若い方ですが この場で十分存在感がございまして、頑張っていらっしゃると思いました。 義経一行が渡海屋を出ますと、舞台は上手奥から白糸縅の鎧で吉右衛門丈・知盛の出になります。 知盛と見顕して「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤・・・」からの台詞、時代物の重たい雰囲気で、これまで以上の大きさです。 銀平の時の粋で颯爽とした雰囲気があるので ここからの重圧感がより効いてきます。 吉右衛門丈・知盛が下手よりに移動するところで 舞台中央付近上手寄りに安徳帝、下手側すぐ横に玉三郎丈・典侍の局が位置します。 ここの玉三郎丈ですが 特別に何をしているというわけではございませんが、台詞の雰囲気がス〜っと変わり格が大きくなります。 ここまで世話のお柳で、ここから改めて時代の格を感じさせる典侍の局を見せるというのではなく はじめから底にあった典侍の局の格を、ここで表面に持ってきているように感じました。 見た目ではなく、ハラで変化を見せるという感じでしょうか。 盃を知盛に渡すところなど 大きな吉右衛門丈の知盛に対して、安徳帝の乳母としての典侍の局の大きさを見せてくれます。 今回、改めて気付いたのですが(^_^;) 典侍の局は知盛より上手に位置することのできる人なのですね。 なので、今さらですが 大物浦で典侍の局が自害した後の知盛の「>重なる憂き目に勇気も砕け」が納得できました。 吉右衛門丈・知盛と居所が変わるだけで雰囲気を変える上手さ あの大きな吉右衛門丈・知盛に対して安徳帝の乳母・典侍の局の格を見せる大きさ それでいて、真女形の柔らかさがあり安徳帝への情が感じられます。 さすが玉三郎丈だと思いました。 知盛が出陣に際し一指し舞うという件になります。 実は、ここ 前に吉右衛門丈の知盛を拝見いたしました時、かなり重圧な印象が残ったので 今回ももっとコッテリと重圧で陰に籠った迫力を想像しておりました。 ですので、11日の観劇時には 舞台や知盛の雰囲気が軽めに感じられまして、イマヒトツ物足りない気がいたしました。 舞台運びが良くなっているので、このように感じたのかと思ったのですが 25日の観劇で、ここは重圧ではなく勢いだと気付きました。 これから出陣する武者の前のめりな勢いがあると思いました。 二幕目で入水 舞台は渡海屋の奥座敷 竹本のオキで上手より二重の御簾が上がり玉三郎丈・典侍の局が安徳帝と共に出ます。 下げ髪、緋の長袴に十二単という拵えですが パッと見、すっきりとしてお若いな〜 っと、思いました。(古典の時代物ですから、衣装は決まりなのですが 今までと違った衣装に思えるほど、すっきりとしてカッコ良く見えました。) 政岡を拝見した際にも感じたのですが、‘小さい子供のいる若いお母さん‘ほどの年齢に見え ここでも平家の典侍の局ではなく乳母としての典侍の局です。 雰囲気がそのように見えるのだと思います。 この場の典侍の局は、前の場面の‘しゃべり‘のように自発的に出るのではなく 状況を受ける事が多いのですが ウケがとても繊細で存在感がございます。 注進の話を聞くところの悲愴感、檜扇で安徳帝を気遣う時の憂いのある感じ、もうこれまでと思っても最後まで安徳帝を案じる優しい感じ、などなど 相手の台詞や動きを受けている時の心情がとてもよく伝わり、存在感がスゴイです。 戦況を知った典侍の局は覚悟を決めて安徳帝を抱きかかえて階を降ります。 ここの玉三郎丈の大きいこと・・・それが‘押しのある大きさ‘とか‘格を感じる大きさ‘とか そういう‘前に押し出してくるような大きさ‘と申しますより なんと申しましょうか・・・‘包み込むような大きさ‘を感じました。 底に優しさが感じられるのだと思います。 浜辺に出てからの玉三郎丈・典侍の局と安徳帝のやり取りが もうなんとも寂しくて切なくて、それでいて暖かなのです。 「いづくへ連れて行くのじゃ」と問われて、波の下に行くと答える典侍の局「物憂き世界の苦しみを、免がれさせ給へや」っと答えた時に幼い安徳帝を見上げる表情がとっても優しくて、ふぁっと暖かさが伝わります。 さらに「只一人行くのかや」と聞かれて、「このお乳もお供する。いとし可愛ひの育ひ君、何とお一人やられふぞ」っと答える典侍の局に情愛と包み込むような大きさを感じます。 この台詞の出だし「ああ勿体無い」っと言うところ どうにも切なくて泣けてきます。 これまでは、この台詞 ‘帝を一人で波の底に沈めるなどということはとんでもないこと‘ っと、いう感じで聞いていたのですが 玉三郎丈の典侍の局は「このお乳が美しう育て上げたる」というところが活きていまして ‘可愛くてしかたなくて、一生懸命に育てたのに一人でなんか行かせられない‘っという感じが強かったです。 それなので、なおさら 「そなたさへ行きやるならば、いづくへなりとも行くわいの」っと言う安徳帝に哀れを感じ 「おおヽよふ言ふて給はつた」と返す典侍の局に悲しさを感じます。 安徳帝の信頼に対する典侍の局の選択は波の下なわけで、信頼と乳母としての情愛が強く感じられるほど選択が悲しいです。 「いかに八大竜王恒河の鱗、安徳帝の御幸なるぞや。守護し給へ」は、真女形の高音ですが張った台詞で大きく格を感じます。 今回の舞台で、前面に押し出すような台詞や雰囲気はここだけですが それゆえ、なおさら この台詞が大きく感じられ、‘たとえどのような場所に行っても、安徳帝を見守る‘っと、いうような強い決意も感じました。 今回の玉三郎丈・典侍の局は安徳帝を抱いて階を下り、幕切れ間近も抱きかかえて下手の岩に上がります。 今回が初役の典侍の局でbestなやり方でしたが 次回、もし典侍の局をお勤めになられても年齢的なところで安徳帝を抱きかかえられるかは?ですので 今回の舞台を見られた事は良かったと思いました。 ご注進の歌六丈・相模五郎 ノリの台詞が良くて十分に大きさもあると思うのですが もう少し勢いが欲しいと思いました。 まったく好みの話しなのですが ワタクシ的には歌昇丈が相模五郎で歌六丈が入江丹蔵の方が良かったです。(^_^;) 波幕を振落として舞台は「大物浦」 竹本が葵太夫で御簾上げ、オキで花道から吉右衛門丈・知盛の出になります。 大きな知盛で、息つく間の無いくらい充実した舞台です。 舞台に上がりながらの「天皇はいづくにまします、お乳の人、典侍の局」っという台詞に鳥肌が立ちました。 必死のもの凄い緊張感です。 さらに、義経の姿を見た時の「あ〜ら珍しやいかに義経」っというところなどは、手負いの白虎のようだと思いました。 あの・・・壮絶な美しさと申しましょうか・・・白地に血潮の知盛が美しく感じられました。 それが「生き代はり死に代はり、恨みをなさで置くべきか」で、悲哀に変わります。 吉右衛門丈の知盛は、何度見ても ‘もう止めようよ。もういいよ、そんな繰り返し悲しすぎるよ‘ とか、思ってしまって辛くて泣けてきます。 客席で見ておりまして、気持ちは知盛に飛びついて‘もう止めようよ!‘っと叫んでいる感じになります。(^_^;) なので、すぐ後の安徳帝の台詞に客席の自分も救われます。 ‘あ〜、安徳帝がピリオドを打ってくれた‘っと・・・。 この場の吉右衛門丈・知盛、富十郎丈・義経、玉三郎丈・典侍の局 お三人のそれぞれのウケがとにかく大きくて もう、最高です。 うつむき加減で客席に背を向ける知盛、じっと下を向いて聞き入る義経、ほんのわずか安徳帝の方に向きを変える典侍の局、 三者三様ですが、子役の台詞をしっかり安徳帝の御言葉としてウケているので この言葉ゆえ、典侍の局も知盛も‘生き代はり死に代はり‘の争いの連鎖を断ち切るために、自らにピリオドを打ったのだと思えます。 今まで見たどの「大物浦」よりも‘帝‘の存在を感じました。 この場の玉三郎丈・典侍の局は 安徳帝の顔を少しの間、気遣わしげに見上げる程度でわりとアッサリと息絶えます。 あの、いろいろな事はなさらないのですが 最後まで乳母として幼い安徳帝を気遣う典侍の局だと思いました。 暖かいのです。 吉右衛門丈・知盛は、「昨日の仇は今日の味方・・・」っと、全てを託した安心感と覚悟を感じます。 背負った重荷を全て下ろしたような安堵感 代わりに背負う平家の運命 っと、いう感じです。 泣き笑う知盛に、こちらも泣けてきます。 手負いの白虎のように感じられた知盛に ここでは、全てを義経に渡してしまう悲哀と、争いを終わらせる安堵感を感じましす。 短い時間の中での心情の変化をしっかりと客席に伝える吉右衛門丈、さすがスゴイな〜 っと、思ってしまいます。 安徳帝に別れて義経に手を合わせる知盛、岩に登りながら安徳帝を振り返る知盛 今回の吉右衛門丈・知盛は哀愁を感じますが 暖かみもございます。 これはたぶん、これまで側で仕えてきた幼い安徳帝への情とか義経への信頼とか そういうものが感じられたのだろうと思います。 だた悲愴感だけではございませんので 垣間見える暖かな情に、なんとかならないものかなどと思ってしまいました。(なんとかなってしまうと幕にならないので困るのですが・・・。) 「おさらば」「さらば」っと知盛と義経、お互いの境遇を思いやるようで とっても切ない別れです。 富十郎丈・義経の「さらば」の一言が、情の籠った一言で 沈み逝く知盛への情けとか安徳帝を守ろうとする気概とか自らの境遇に気力を奮い立たせるとか いろいろな想いの籠った一言に聞こえました。 吉右衛門丈・知盛は最後の最後まで安徳帝を見ていらっしゃいまして 安徳帝への忠心を持っているのだな〜 っと、思いました。 背ギバで身を投げるところは、壮絶、凄すぎ! 芝居なのに見ていて怖くなるくらいの臨場感がございます。 よく2時間サスペンスとかで断崖絶壁から落ちたりする場面がございますが 舞台がそのような場所に見えてくるようでした。 舞台は幕外になります。 ゆっくりと向きを変える富十郎丈・義経の無言の思い入れに余韻と大きさを感じます。 それと、段四郎丈・弁慶の物静かな雰囲気に深みがございまして 法螺貝の音が染み渡るようでした。 白鯨のラストのように、ずんずん沈んでいく知盛が見えてくるような法螺貝の音でした。 全体には、それぞれの役者さんがそれぞれのお役の心情をしっかり見せてくれる重圧な舞台で さらに、ウケのしっかりした大きな舞台でした。 悲愴とか壮絶というイメージがあったのですが 今回の舞台を見まして、とても暖かい情を感じる舞台だと思いました。 ‘修羅の中でも、それを退けるほどの人の情‘ っと、いう感じでございましょうか・・・。 「吉野山」 山おろしの太鼓で幕開き、舞台は吉野山 下手より舞台奥に清元の山台、三挺四枚 オキで花道から菊之助丈・静御前の出になります。 花簪に吹輪、杖と黒塗りの笠という拵えです。 菊五郎丈・忠信はドロが入ってすっぽんからの出になります。 出のところから、粋な感じで 存在感と申しましょうか安心感と申しましょうか そのようなものを感じました。 舞台に上がり、聞こえてきた馬子唄で踊るところなどは 静御前と忠信のバランスがとても良いと思いました。 この場の二人は道行ですが主従ですので それぞれに艶があっても、二人の間に色艶があるわけではございません。 親子でお勤めだからでしょうか、守られる静御前と守る忠信という雰囲気が伝わり 懐(心情)の大きな忠信に守られるべくして守られている静御前という感じです。 男雛女雛のところも どことなくツンっとした菊之助丈・静御前の雰囲気が‘主‘らしく見え、年嵩で懐が深く大きさのある菊五郎丈・忠信に‘頼れる従‘の雰囲気があると思いました。 また、菊五郎丈・忠信の鼓に対する思い入れが、所作の折々に伝わるので この道行の‘義経を追う静御前‘と‘鼓を追う忠信(実は源九郎狐)‘ っと、いう状況がしっかり見えてきます。 お二人、それぞれの性根がしっかりしているのだと思います。 ‘実は‘のところがボケる事がないので メリハリが効いて、舞台が面白いです。 忠信の戦物語りのところから 上手、竹本二挺二枚が入り清元と掛け合いになります。 ここの菊五郎丈・忠信は存在感はございますが 時代物の武ばった大きさという感じではなく軽妙で粋です。 矢を受けて決まるところなども 所作事のサックリとした雰囲気でした。 菊五郎丈と菊之助丈、お二人が上手に入り舞台に誰も居なくなったところで 花道から松緑丈・逸見藤太の出になります。 七三でのノリの台詞も大きくて楽しいです。 笑いのあるキャラクターですが テンポが良く、しっかりした所作と外し過ぎず真面目すぎない加減が良いです。 幕切れ前の笠フリスビー 11日は上手くキャッチできました。(^^ゞ 幕外は菊之助丈・静御前が先に行き 後から菊五郎丈・忠信がついて行きます。 七三あたりは狐六方で狐の様子を見せますが、引っ込む際は粋に静御前の後を歩いていく感じです。 大きさはございますが、ここもやはり軽妙で粋です。 「川連法眼館」 幕開き舞台は川連法眼の館 竹本のオキから秀調丈・飛鳥が舞台二重、彦三郎丈・川連法眼が花道から出ます。 短い場面ですが法眼と飛鳥の件がございます。 彦三郎丈の時代物の大きな台詞、秀調丈の品 ともに十分で幕開きから舞台に大きさが出ます。 法眼と飛鳥の様子から現状を知った義経が奥から出てきます。 今回の義経は時蔵丈が初役でお勤めですが 11日に拝見いたしました際は、チョッときつかったです。 品格は感じられるのですが、やはり線が細くてナヨナヨ感が出てしまいます。 棒茶筅の鬘、小忌衣 どうもしっくりといたしませんで 無理があるな〜、見えないな〜 っと、感じてしまいました。(^_^;) 25日楽日の観劇では 11日よりしっかり感が増しておりまして(11日に感じたナヨナヨ感が無くなっていました)、大将としての大きさが見え雰囲気が良くなっていたと思います。 忠信来訪の知らせがあり法眼と飛鳥が奥に入ると 花道から菊五郎丈・忠信の出になります。 ここのところの忠信は本物の忠信ですので颯爽とした雰囲気がございますが 今回は義経への思い入れと申しましょうか、懐かしさが伝わりました。 舞台に上がってからのドッシリとした大きさはサスガで、重みがあるけれどこれまでの経緯がとてもよく分かる台詞です。 この場へ来た経緯と、そうさせた心情が忠心として伝わり 忠信が懐かしさを持って義経に会えた事を喜んでいるのがしっかり伝わります。 ですので、身に覚えの無い話や偽忠信の出現に真っ向対峙する心情の変化が明確です。 こういうところ、見た目でない細かい心情をさりげなく伝える菊五郎丈 やはり上手いです。 先行して心情の変化が伝わるので それに伴う動きが、より決まって見えるのだと思いました。 下げ緒を腕に巻くところ 上手に居る駿河次郎への意識、花道奥の偽忠信への疑念が見えてきます。 ここも、まったく力みがございませんで 形で決まって見せるのですが、心情が先行して伝わります。 とにかく、肌理細やかなのです。 花道からの出て菊之助丈・静御前が舞台に上がります。 綺麗で可愛い静御前です。 で、二重に上がって後 菊五郎丈・忠信に対するところが十分に静御前になっておりまして、大きさを感じました。 ただ、顔の拵えがキツク見えました。 白拍子を意識してなのか、忠信に対する事を意識してなのか よく分からないのですが(^_^;) 表情がキツイと思いました。 良し悪しではなく、‘そのように見えた‘っと、いうことです。 菊五郎丈・忠信は静御前が舞台に出てからもずっと偽忠信を気にして花道奥に意識を向けているのが分かります。 この場の忠信の懐疑的な心情や腹立たしさが伝わります。 ホント、上手いな〜。 静御前に自分の姿を見せる時に感じる大きさ、だた両袖を広げて見せるだけなのですが、ふ〜っと格が感じられます。 また、上手に入る時の前後前で決まるところは 花道奥へ意識を向けているように感じられ、偽忠信への思い入れが大仰ではなくさっくり決まってしっかり伝わります。 ここまで、時代物の武将の格を感じる忠信ですので 後の忠信との対比もはっきりします。 御簾が下がって舞台には誰も居なくなり、管絃の合方で繋いで腰元の出、夜回りで状況説明 上手竹本、葵太夫のオキから菊之助丈・静御前の出になり、鼓の音に惹かれて菊五郎丈・源九郎狐が出ます。 階からの出になるのですが 姿が見えた瞬間から雰囲気が源九郎狐でして、まだ何もしていないのに空気を変える上手さを見ました。 また、菊五郎丈・源九郎狐は幼さがございませんで ただならぬ力を持つ狐に見えます。 源九郎狐は、鼓の皮となった狐の子ですが‘子狐‘ではございませんので そのような格が感じられるところが良いです。 ですので、‘子‘を意識したようなわざとらしさがございません。 また、動きはともかく雰囲気がスゴク良いです。 上手に行ってからの「桓武天皇の・・・」からの台詞、練れていて内容がよく分かります。 「その鼓は私が親、私めはその鼓の子でござります」っというところなどは なんとも健気で、狐の心情が切なく感じます。 一度姿を隠して、狐の衣装に変わってからは さらにケレンで見せていくようになりますが ここは年齢的なこともあるようで、動きはちょっと鈍いです。 ですが、それで舞台が小さくなってしまうことはございませんし 狐の白毛ぬい着付に早替りして上手から出て階の欄干を飛び越え舞台に降りるところなどは、実年齢には見えない動きだと思いました。(^^ゞ 欄干渡りとか百回りとか、動きの辛いところもございますが(^_^;) それを補って十分な情が伝わります。 心情がしっかり伝わるので 源九郎狐の心情を見せる手段として‘そのような動き‘を見せるという感じで、ケレンをことさら強調しなくてもゼンゼン問題ないと思いました。 心情、雰囲気で見せるところは 菊五郎丈、上手いな〜 っと思います。 客席で見る側が、‘ここから何を見ようとするか‘っと、いう事なのかな〜 などと思ってしまいました。(^_^;) 源九郎狐が下手に入ってから、時蔵丈・義経の我が身の境遇を振り返る心情が切なく伝わります。 ここの時蔵丈、しみじみとした感じに寂しさと申しましょうか哀愁が感じられます。 また、源九郎狐に鼓を与えるところ「禁裏より給はりし大切な品なれど」のところ 特に情の厚い義経で、とても暖かい心情が伝わります。 この暖かみが伝わるので、鼓を手にした源九郎狐の嬉しい様子に、‘よかったね〜‘などと思ってしまいましてグッとくるものがございました。 この後の‘化かされ‘も派手ではございませんが 立ち回りを見るという事よりも舞台の流れの中で源九郎狐の心情を見るという事では、源九郎狐に視線を向けることができて良いと思いました。 全体には前半の忠信の十分な大きさが良く 後半はそれぞれの心情が伝わる舞台です。 しかし、「川連法眼館」にケレンの面白さを求めていると、今回の舞台はもの足りないのかもしれません。 発信源としての舞台に何を期待するかによって面白味がずいぶん異なるような気がいたします。 で、私は菊五郎丈の「川連法眼館」が今のところ一番好きです。 見た目でないところで篤みのある心情がとてもよく伝わりまして役者さんの地力が感じられるのです。 存在感を含めて芸で見せる舞台だと思います。 それにいたしましても10月の歌舞伎座は、ども舞台も情の伝わる良い舞台ばかりで見応えがございました。(^。^) |