2008年07月13日・27日       もくじへ戻る トップページへ戻る 
    歌舞伎座 夜の部   三階B上手よりの席 三階B下手よりの席

  *夜叉ヶ池
    一幕

  *高野聖
    一幕


夜叉ヶ池
 百合:春猿
 白雪姫:笑三郎
 萩原晃:段治郎
 穴隈鉱蔵:薪車
 黒和尚鯰入:猿弥
 万年姥:吉弥
 山沢学円:市川右近


  あらすじはこちらでどうぞ





高野聖
 女:玉三郎
 宗朝:海老蔵
 薬売:市蔵
 次郎:尾上右近
 猟師:男女蔵
 百姓:右之助
 親仁:歌六

第一場 飛騨越えの山路
舞台は飛騨から信濃へ向かう山路 ここへ富山の薬売が通りかかります。
薬売が、ここから二筋に分かれる路のどちらへ進むか思案しているところに 雉撃ちの猟師がやって来て、本街道を進むようにと教えます。
しかし 本街道は水に浸かっているうえ、旧道の方が近道だと知った薬売は、猟師の言葉も聞かずに旧道を進むことにします。


折りしもここへ 先刻、茶店で一緒になった高野聖の宗朝がやって来ます。
薬売は宗朝に一緒に行こうと言いますが 宗朝がこの申し出を断るので、一人で旧道を進んで行くのでした。


薬売を見送った宗朝が、本街道と旧道のどちらに進むか思案していると このあたりの百姓が通りかかり 水に浸かっているのは少し先の藪までなので、本街道を進むように言います。
さらに、宗朝が旧道について尋ねると 先年、旅の巡礼が迷い込んで騒動になったと教えます。
これを聞いた宗朝は 薬売を心配して、呼び戻そうと 旧道を進むことにします。



第二場 山中
旧道を進む宗朝でしたが やがて多くの蛇が現れ、また獣の鳴き声が響いてくるのでした。


第三場 山中の孤家
舞台は山中の孤家 旧道に分け入った宗朝は山中の孤家に辿り着きます。
孤家には馬小屋に馬が繋がれ 家の中には言葉の不自由な若者・次郎の姿があるばかりです。
山中を歩いてきて疲れてしまった宗朝は、一夜の宿を頼みたく思い 誰か居ないかと声をかけます。


孤家の奥に向かって、何度か声をかけると 奥から美しい女が現れます。
宗朝が馬小屋の隅でも良いので泊めて欲しいと頼むと 女は都の話をけしてしないように言い 宗朝を泊める事にします。


宗朝は旅の汗を拭おうと 女に支度を頼みます。
すると女は崖下の渕へ案内すると言い 折り良く戻って来た、女に仕えている親仁に留守を頼むと 宗朝と共に渕へ出かけて行きます。



第四場 山中の渕
舞台は渕へ向かう山中 女は、宗朝が先刻の親父に倣い‘嬢様‘と呼ぶので喜びます。 
折りしもここへ蟇蛙が現れ、女の足元にまとわりつきますが 女は冷たく払い除けるのでした。


渕にたどり着いた宗朝は体を拭い始めますが 女が宗朝の着物を取り、背中を流すと言うので渕の水に入ります。
宗朝の背中を流していた女は、自らも水の中に入り宗朝に身を寄せます。
黙って渕の水に浸っていた宗朝でしたが 傍らに女が寄添ってきたので、慌てて水から出るのでした。


帰り支度をしながら、女が‘川へ落ち、川下に流されたら村里の者は何というだろうか‘と聞くので 宗朝は‘白桃の花だと思う‘と答えます。
宗朝の答えに喜ぶ女でしたが 帰路に、大蝙蝠や猿がまとわりついてきたので これを払い除けながら孤家に戻ります。



第五場 もとの山中の孤家
舞台はもとの孤家 次郎と共に留守番をしていた親仁は、渕から戻った宗朝を見て意味ありげに驚きますが すぐに気を変えて傍らの馬を馬市に連れて行くと言います。
しかし親仁に引かれた馬はなかなか動こうとしません。
そこで女がそっと馬を抱いてやると、馬は黙って歩み始めるのでした。


馬を引いて親仁がこの場を去ると 女は宗朝のために夕食を用意します。
傍らに座ったままの次郎も夕食の催促をするので、女は次郎の分も用意してやります。


宗朝が夕食を済ませると 女は次郎がまだ挨拶をしていなかった事を思い出し、次郎に挨拶をさせます。
次郎は不自由な足で宗朝の前に座りなおし、丁寧にお辞儀をします。
女は、次郎の病は疲れを癒す渕の水でも治らないほど重く 言葉も忘れてしまったと話します。
しかし、謡は唄えると言い 次郎に木曽節を唄わせます。
これを見た宗朝は、優しい女の様子に涙するのでした。


しばらくして、次郎が眠いと言いはじめたので 女と次郎は納戸で休み、宗朝はこの場で休むことにします。
宗朝が一人この場に残り、夜が更けると 戸外から鳥の羽音や獣の鳴き声が聞こえ さらに、納戸から女の「今夜はお客様がある」と言う声が聞こえてきます。
不気味な外の様子に 宗朝は読教をして心を鎮めるのでした。



第六場 信濃への山路
舞台は信濃への山路 夜が明けて宗朝は女に見送られて旅立ち、山路を歩いていましたが どうしても女の事が気になり、座り込んで考えてしまいます。

するとここへ 馬市から戻って来た親仁が通りかかります。
座り込んだ宗朝を見て話しかける親仁に 宗朝は、女が不憫に思えるので助けてやりたいと言います。
これを聞いた親仁は 女について思いもよらないような話を始めるのでした。


女には病を軽くしたり治したりする不思議な力があり また、女の父親は医者であったので まだ小さかった次郎は足の病を治すためにやって来ました。
しかし、手術の失敗から 足の病は治らず、歩けなくなってしまいます。
不憫に思った女は 次郎を家まで送り届けましたが 次郎の家に滞在中に大水が出て 女の家は流され、医者の父親も亡くなってしまいます。
それ以来、女は次郎の面倒を見続けています。
しかし あの孤家で次郎と暮らすようになってから 女の不思議な力は強くなり 欲で近づく男達を獣に変えてしまうようになりました。
昨夜の獣達も、女に変えられた男達で 馬市に連れて行った馬は、道に迷った薬売でした。


全てを語った親仁は、宗朝を残し孤家へ向かって歩き出します。
一人残った宗朝は、里へ向かって歩き出すのでした。





☆「夜叉ヶ池」は泉鏡花作、1916年(T5)初演の舞台で 一昨年と同様に玉三郎丈の監修での上演ですが 今回は百合と白雪を、春猿丈と笑三郎丈がお二人でお勤めになりました。
ワタクシ的には「夜叉ヶ池」の百合と白雪のイメージが玉三郎丈なので(笑) 玉三郎丈がお勤めであれば二役の方が良いのですが 今回の舞台では、あえて二役でなくても 春猿丈・百合、笑三郎丈・白雪で全く違和感がございませんでしたので これはこれで良いと思いました。
春猿丈の線の細い感じが百合のイメージに、笑三郎丈の押のある感じが一途な白雪のイメージに それぞれ良く合っていました。



○7月13日の感想など

全体には 一昨年に見ました舞台よりはるかに良くなっておりまして かなり完成度の高い舞台になっていると思いました。
玉三郎丈が描いた「夜叉ヶ池」のイメージを しっかり舞台で見せているように思います。
また、今回は私の方に余裕があったためか 舞台のイメージに合った簾内の三味線の太い音がより印象に残りました。


前半は 春猿丈・百合と段治郎丈・晃と市川右近丈・山沢のお3人の会話がとても良いです。
もともと独特な感じがある泉鏡花の台詞が違和感なく耳に入ってきます。
アンサンブルとして、お3人のバランスが良いのかもしれないと思いました。
特に幕開きすぐからの 春猿丈・百合と段治郎丈・晃の台詞がこなれていて 鏡花の独特の言い回しが違和感なく馴染んで聞こえましたし 右近丈・山沢も前半の台詞はしっかり聞き取れました。
また、春猿丈の百合が 一見、弱々しくて陽炎のようですが 晃への強い想いを感じさせる百合であると思います。
一昨年の観劇の際にはイマヒトツと思いました百合の「水の手にも涼しいほど、しっとり花が濡れましたよ」の台詞も可愛らしく艶があって良いです。


後半、今回は白雪を笑三郎丈がお勤めです。
どうかしら? っと、思っていたのですが 夜の部で一番歌舞伎を感じる部分でした。
一昨年は春猿丈が二役でお勤めで、やはり線の細い感じの白雪だったのですが 笑三郎丈の白雪は台詞に歌舞伎の雰囲気があり また、押が強くて より重みを感じる白雪です。
線が太く、楚々としたお姫様な感じでは無いように思えましたが 違和感はなく、一途さが良く伝わると思いました。

で、この舞台で一番良いと思いましたのが 吉弥丈・万年姥です。
女形だからこそ出る迫力、説得力があり 笑三郎丈の白雪を相手にしての押の強さ、重圧さ、大きさは抜群で すごくカッコイイと思いました。
鳥肌ものです。(^^ゞ
これは、もしかすると 対する相手が笑三郎丈の白雪だから感じたことかもしれません。

春猿丈・百合は 線が細くて、晃に縋っているようで 実は、晃のために死を選ぶことができる芯の強さ、一途な想いがしっかりと伝わります。
百合の台詞には無いのですが 白雪の台詞にある「生命のために恋は棄てない」、晃の台詞にある「神にも仏にも恋は売らん」 これを言葉でなく行動で見せきって納得させてくれます。
ワタクシ、百合というキャラクターの強さが好きだったりいたします。(^^ゞ
段治郎丈・晃、冷静に読むとケッコウ気恥ずかしくなる様な台詞が続くのですが(笑) カッコ良く聞かせてくれます。
右近丈・山沢は晃たちを助けるために村人を説得しようとしますが この時の台詞が、こもった様になってしまい とても聞き辛かったです。
他、薪車丈・穴隈鉱蔵が 大きさもあり、しっかりと‘嫌な奴‘になっておりました。(^^ゞ
小学校教師・斎田初雄をお勤めの鈴木章生さんは新派の方でございましょうか?
少し台詞が聞き辛かったです。





○7月27日の感想など

「夜叉ヶ池」は前回の観劇の際に完成度の高い舞台だと思いましたので 全体には、今回も見応えのある舞台でした。
もともと玉三郎丈の「夜叉ヶ池」が好きなので 何回見ても良い舞台だと思います。(^^ゞ

今回もやはり私が良いと思いましたのは 笑三郎丈・白雪と吉弥丈・万年姥です。
前回の観劇では 台詞の雰囲気に、時代物のような感触があったのですが 今回は、もう少し角が取れたように感じられました。
歌舞伎のデフォルメされた感じはあるのですが 「夜叉ヶ池」の亜空間的な雰囲気もあり バランスの良い舞台になったと思いました。
「夜叉ヶ池」の雰囲気を損ねることなく、歌舞伎味のある 押の強さ、説得力を感じる舞台でした。
全体には良い舞台だと思いましたが 慣れからくる勢いと申しましょうか 後半、右近丈の台詞がかなり聞き取りにくくなっていたように感じました。







☆今回の「高野聖」は泉鏡花の小説により近い感覚での上演という事で玉三郎丈が補綴と演出をなさっていらっしゃいます。
幕開きは舞台前面に大きく僧侶の横顔が映し出され読経で始まります。
一幕の舞台で 下座に替わって尺八の音が厳粛な雰囲気で 舞台の大岩を上手く動かす事で舞台転換をしていき、全体の流れがスムースでダレル事がございません。
また、長虫(蛇です)や蛙、猿、むささびなどに 差金やぬいぐるみ(っと、いうのでしょうか?)を使用していて 今回のような舞台では何でも使えそうなところに歌舞伎の手法を使っていて それが、全体の雰囲気に良く合って より効果的であったように思います。
で、途中 山中の渕に向かうところですが 玉三郎丈・女と海老蔵丈・宗朝が客席内の通路を歩きます。
3階席からでは 影のむささびしか見えないのですが(笑) 女形の玉三郎丈が客席内通路を歩くのって、もしかしたらかなり珍しいことではないかしら・・・これって、どなたの思いつきなのかな〜? などと思いつつ、むささびクンの影を見ておりました。(^^ゞ



○7月13日の感想など

「夜叉ヶ池」の後ですので、どうしてもマダ練れていないのかな〜 っと、いう感じに見えてしまいました。
これは、ケッコウ見る人を選ぶ舞台かもしれません。
まず、玉三郎丈は 私が原作を読みましてイメージしておりました‘女‘より可愛い感じでした。
じつは、もっと冷ややかさを感じる凛とした雰囲気をイメージしておりました。
ですので 後半には寂しさを感じるのですが 全体には、わりと‘普通な‘感じもするのです。
あと、舞台上でする細かいこと 段取りの様なことですが これが結構多いようで さらに、回り舞台を使用した舞台転換も多いので そういう事に追われているような感じもいたしました。
とくに、沐浴場面や夕食の場面など 思い入れするゆとりが欲しい気がいたします。
このあたりは たぶん、後半になると落ち着いてくるのだと思います。
それと・・・面白いもので・・・見えない方が、見えないゆえにドキドキするもので それが、あからさまに見えてしまうと 別にどうという事もないのですね。(笑)
3階からですと見下ろすようになりますので 沐浴の場面の玉三郎丈がよく見えまして ‘あ〜見慣れたなで肩やね〜‘ っと、思いつつ ‘見慣れている‘事が可笑しくなってしまいました。(^^ゞ
玉三郎丈って、舞台でドレスを着たりなさることも多いので 肩とか背中を露出することがケッコウ多いのですよね。(笑)

海老蔵丈は淡々とした宗朝です。
ですが 次郎が歌を唄った後の涙はジーンとくるものがございまして 特別に見せようとしているのでは無いけれど、しっかりとその場その場の心情は伝わるように感じました。

どことなく世間離れした舞台の雰囲気に 世間を違和感なく持ち込んでいるのが市蔵丈・薬売で 俗っぽいところが、対比として良いと思います。
印象に残る上手さがございまして 後に舞台に出る馬に市蔵丈・薬売がオーバーラップして見えるようです。

尾上右近丈の次郎は難しいお役かと思いますが 違和感なく好演なさっていると思います。
屋体の上手よりに座っているだけなのですが 存在感がありまして目を引きます。
で、サスガに唄が上手いです。(^。^)

歌六丈・親仁が舞台全体をしっかり押さえています。
幕切れ間近の長い台詞は聞き応えがございます。
これまでの経緯を語るだけで 見た目に舞台上の大きな変化はございません。
そこを、歌六丈の台詞のみで場面を引っ張るわけで 地力がございませんとダレテしまいますので やはりスゴイと思います。
また、親仁というのは 今までの経緯を全て知っていて‘女‘の世話をしているわけで そういう不思議な感じ あるいは、大きな感触 ‘女‘に対しての暖かさのようなものを感じる事ができます。
全体には、もう少し練れてきて 見た目ではなくて心情で舞台を見る事ができるようになってくると良いような気がいたしました。





○7月27日の感想など

前回13日の観劇では まだ、流れの中の段取りが見えてしまう感じが多々あったのですが 今回はそれが違和感なくお話の流れとして見えました。
そういたしますと さらに、玉三郎丈・女が可愛らしく また、それゆえに寂しく思え 大きさも感じます。

前回の観劇から、どれくらい雰囲気が変化しているのかと思いつつ見たのですが やはり、冷ややかに凛とした雰囲気ではなく可愛い感じの女でした。
まとわり付く獣たちを追い払う時も、邪険に扱うわりに冷たさは感じませんし 「今夜はお客様がある」と女の声が聞こえても ‘お客様がない‘時の様子を気にさせる奥行、幅のある つかみどころのない可愛さを感じます。
また、翌朝 宗朝と別れる女に寂しい雰囲気を感じますが きっぱりと心を残すことなく別れる女は、たぶん全てを容認しているのだと思えました。
これは、次郎に接する女を見ていても感じたのですが 女が優しいゆえに次郎の面倒を見続けていると申しますより この状態になる過程も含めて、すべてを容認している故の行動のように思えます。
とても大きくて、奥行を感じます。

また、今回は筋書き購入後の観劇でしたので +αな見方もできました。
例えば・・・もし、宗朝が女を不便に思ったり情をかけようとしたり あるいは欲とか そういう事ではなくて、全てを知って命がけで留まる事を選んだら はたして結果は薬売りの様になったのかな〜 などと思ったりします。
女が煩悩の対象であるなら そこを突き抜けてしまったらどうなのかと 次郎のように作用しないのではなくて 全てを知って、それで良しという事だったら それは煩悩にならなくなるのではないかと・・・。(もしかしたら、親仁の存在というのは そういう存在なのかもしれません。)
筋書きに「夜叉ヶ池」と「高野聖」を一首の上の句と下の句を詠むように見ると面白いと書いてございましたが シチュエーションのみならず 心情で見た時に、晃だったらこの場に留まったかもしれないと思えました。
そういたしますと、留まらなかった宗朝は物語の外の語り部に思え なので小説の「高野聖」のスタンスに、なるほどと思えます。
それともう一つ 筋書きに書いてございましたが 女が聖女なのか悪女なのか分からないということ。
女ができるという事、したという事が全て本当かどうかわからない 病を治す事も、薬売りを馬に変えた事も そういうことは‘親仁によって語られる‘だけで 宗朝は(観客も)それを見てはいないのですね。
全てが本当の事であれば 異界を感じるような不思議ですが 本当でなければ、かなり俗っぽい雰囲気になるわけで こういう幅を意識して発信者・玉三郎丈が舞台をお考えであったことに驚きました。
13日の観劇の際に 第一印象で女が‘わりと普通な感じ‘に思えましたのは 世俗の煩悩の対象としての 上手くかけませんが‘俗っぽさ‘が見えたからなのかもしれないと思いました。
ともあれ、ラストが一点に集まらなくて 舞台の向こう側に幾通りもの‘実は‘が隠れているような まあ・・・よく分からない、曖昧な でも、思い巡ると面白い舞台なのだと思います。






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