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| 国立大劇場 2:30開演 一階上手側の席 |
*歌舞伎のみかた *新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村 一幕 |
歌舞伎のみかた 解説:松江 新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村 お光:福助 久松:松江 お染:芝のぶ 油屋後家お常:芝喜松 久作:東蔵 久作住家の場 舞台は野崎村の百姓・久作の家 久作の娘・お光が嬉しそうに身支度をして 髪をなでつけたり、細く畳んだ懐紙で眉を隠して新妻姿を思いえがいたりしています。 お光の許婚・久松は侍の家に生まれましたが親が亡くなり、久作に引き取られ 油屋へ奉公に出たのですが お店の金を騙し取られたことから在所の久作の家に戻されてきました。 かねてより久作はお光と久松を一緒にするつもりでいたので この機会に二人の婚礼を挙げる事にしたのです。 お光が婚礼のための料理を作っていると そこへ、油屋の娘で久松と想い合っているお染が訪ねてきます。 声を掛けるお染を見たお光は 木戸口に立つ娘が久松と噂のあるお染だと気がつきます。 手土産など渡し、挨拶するお染でしたが お光は、怒ってお染を追い出してしまいます。 折りしもここへ奥から久作と久松が出てきて 久作に灸をすえ、肩など揉むうちに 久松は外に居るお染に気付きます。 お光が二人の様子に腹を立て、久松と言い争いになるところを 事情に気付いた久作がお光を連れて奥へ行きます。 久作とお光が奥に行ってしまうと お染が久松の元に走りより、ここまで追って来た事を話します。 自分の事は忘れて欲しいと言う久松でしたが お染は夫婦になれないのなら死ぬつもりだと言うのでした。 久松も、これを聞いて 共に死ぬ覚悟をするのですが 奥から出てきた久作に意見されます。 久松とお染は この場は久作の意見を聞いて、二人の仲を思い切る事にします。 久作は安心して、お光と久松の婚礼をするために奥に居るお光を呼びます。 しかし、被っていた綿帽子を取ったお光の髪は切られ、尼の姿になっていました。 お光は お染と久松の話から、二人は添えなければ心中すると見抜き 自ら身を引いたのでした。 奥で病のため寝ている母親に聞かせまいと お光は涙をこらえ 久作はお光の心情を知り 久松と許婚にした事を詫びるのでした。 折りしもここへ お染の母の油屋後家・お常が訪ねて来ます。 久松が騙し取られた金は久作が立て替えてお店に返したのですが お常は久松が無実だと知り、金を返し 久松も油屋へ戻る事になります。 土手の場 舞台は野崎村土手 お染、お常は舟で 久松は駕籠で それぞれ遠ざかって行き お光は悲しい想いを抑えながら久松の駕籠を見送ります。 |
☆今年の「歌舞伎のみかた」は歌舞伎に登場する動物を芯にして歌舞伎のいろいろを説明しています。 すっぽんから松江丈の登場で ‘柝‘が入って‘定式幕‘が引かれ 舞台に上がって 鼠で‘先代萩‘から始まりまして 十二支でお話が進みます。 わりとテンポ良く、子供たちにもウケておりました。 たぶん、毎回 舞台に客席から、どなたか上がって体験をなさるのでしょうけれど 今年の体験をなさるお客様は、体力が必要かも知れません。 ちなみに、本日は体験終了後の一言で「息があがって話せません」っと、おっしゃっていらっしゃいました。 イノシシで舞台を駆け回ったらね〜・・・そりゃ、疲れますって。(^^ゞ 黒御簾や床の中も見せてくれます。 簾内って、かなり狭いのですね。 ギュウギュウ詰めで7人の人がいらっしゃいました。 この後、スライドで「野崎村」に至るまでの「新版歌祭文」のストーリの説明がございます。 私の好きな、立入晴子さんの絵で福助丈のナレーションです。 昨年はケッコウ真面目な感じだったのですが 今年は楽しい雰囲気でございます。(^。^) ☆今回の「野崎村」は近松半二作の人形浄瑠璃「新版歌祭文」を歌舞伎にした中の一幕で お染久松の心中の話にお光の話を絡めた舞台です。 歌舞伎鑑賞教室での上演という事もあり 仮花道もなく、コンパクトにまとまった舞台になっています。 まず、福助丈のお光が とくに、後半良いです。 前半は福助丈らしいお光であると思うのですが なので、ちょっとハジケテいます。(笑) 鏡を出して髪をなでつけ 懐紙で眉を隠して恥ずかしがる場面の‘きゃ〜恥ずかしっ!‘っという様な感じとか お染が訪ねて来て 門口でお光が、訪ねて来た娘が久松と噂のあるお染だと気付いた時の所作など、膝をポンっと叩いて‘あっ、あの!‘みたいな感じなどは たぶん、福助丈のお光‘ならでは‘だと思います。 ですが、髪をなでつけるところも 大根をきざむところも 細かくて丁寧です。 段取りだけになっていないので 見ていて気を惹かれます。 たぶん、さりげないところに‘らしさ‘があるのだと思います。 学生さんが多く観劇に来る舞台ですし ‘らしさ‘があるというのは 学生さんが見ても、より感覚的にわかりやすいかもしれません。 元気ですが可愛い(あるいは、可愛げのある)お光だと思います。 ですので 後半が活きてきます。 状況が一変した切ない悲しい寂しい感じが伝わります。 ですけれど、なお‘可愛さ‘が残っていて 前半とのバランスがとても良いです。 悟って尼になるわけではなく お染と久松ゆえに‘どうしようもなく身を引いて‘尼になったのだという感じがあるのです。 ‘けなげに‘に見えるのです。 「私やもうとんと思ひ切つた。」からの台詞も 抑えた感じがお光の心情をよく伝えていると思います。 駕籠で遠ざかる久松を見送るお光の様子がとても切なくて ああ、やっぱり髪を切っても久松を想っているんだな っと、いう娘心を感じるので 幕切れ前に久作にすがって泣き崩れるお光には泣かされます。 ‘だって、どうしたって悲しい‘っと、いう想いが一気に見える感じです。 たしかに、上演前に福助丈がおっしゃっていたように ここは、六代目の型での上演でお光の心情がストレートに伝わるところです。 東蔵丈の久作は優しい感じです。 ですが やはりチョッと大きさが足りないのかなっと、思う感じで‘押し‘と申しましょうか‘強さ‘と申しましょうか その様な感じがイマヒトツ足りないように思いました。 松江丈の久松は前髪の柔らかさがイマヒトツです。 お染の芝のぶ丈、綺麗なのですけれど まだ、型を追って流れを動くのに一生懸命な感じで心情が伝わるところまで行かない感じです。 なので、クドキのところが見ていてとっても辛かったです。(^^ゞ 芝喜松丈のお常が油屋の後家といった雰囲気がございまして良いと思いました。 全体では「四人の涙八ツの袖」からの お光、久作、お染、久松の4人の動きが どうも舞台上でゴチャゴチャした感じになっていました。 さらにそこに、お常が来るわけですが ここは、5人で顔を会わせて、少し間延びしている様に思えました。 また、土手の場でも 盛り上がるのですが なぜか‘長い‘と感じました。 もう少しスッキリとした流れになると良いのかもしれません。 |