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| 国立小劇場 13:00開演 前方下手よりの席・前方上手よりの席 |
*初瀬 豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅(はちすのいとこいのまんだら) 六場 |
第一場:藤原豊成館奥殿 第二場:宇陀の里雲雀山山中 第三場:豊成館西の対屋 第四場:外京、都大路 第五場:元の西の対屋 第六場:雲雀山の伏屋 初瀬:玉三郎 照夜の前:右近 月絹:笑三郎 豊寿丸・蓮介:段治郎 田束:寿猿 国原将監時常:延夫 国原小太郎正常:弘太郎 老女:守若 修験者道渓:猿若 紫の前:春猿 松井嘉藤太:猿弥 藤原豊成:門之助 第一場:藤原豊成館奥殿 舞台は奈良、右大臣藤原豊成の館 豊成の子息・豊寿丸は母・照夜の前の薦める縁談に気のない様子で姉・初瀬の帰りを待ちわびています。 照夜の前は豊成の後妻 豊寿丸は初瀬の異母弟でありました。 豊寿丸は姉・初瀬に恋慕の想いを抱き 初瀬は豊寿丸の想いを避けるため この日も御所からの帰館に裏門を通るのでした。 しかし、姉・初瀬が帰館した事を知った豊寿丸は初瀬のもとへやって来ます。 かねてから豊寿丸の初瀬に対するただならぬ恋慕に初瀬の乳母・月絹は警戒するのですが 豊寿丸が夫・国原将監時常が呼んでいると言うので、月絹はしかたなくこの場を去ります。 初瀬と二人きりになった豊寿丸は、自らの想いを初瀬に伝えますが 初瀬は豊寿丸の恋慕はあってはならない事と諭します。 しかし豊寿丸は、これを聞き入れません。 折りしも 強引な豊寿丸から逃れようと初瀬が争うところへ照夜の前が通りかかります。 照夜の前に気付いた豊寿丸が 自らの衣服の袖を裂き 姉・初瀬が不義を仕掛けたと訴えると 豊寿丸を溺愛する照夜の前は初瀬を打ち据え折檻するのでした。 ちょうどここへ 主・豊成が重臣国原将監時常と時常の息子・小太郎正常を伴い帰館します。 初瀬が豊寿丸に不義を仕掛けたとの照夜の前の讒言を信じた豊成は 初瀬を斬ろうとしますが 月絹や将監時常がこれをなだめ 初瀬は雲雀山の庵室に行くことになります。 初瀬の出立が決まり みながこの場を去ると 照夜の前は雲雀山までの警護をする事になった松井嘉藤太を呼び、初瀬の殺害を命じるのでした。 第二場:宇陀の里雲雀山山中 舞台は宇陀の里、雲雀山山中 警護の嘉藤太は初瀬の乗った輿を降ろさせ供の者を帰してしまいます。 いぶかしむ月絹に当て身をすると嘉藤太は初瀬を斬ろうとします。 しかし斬られる事を知ってなお 月絹をかばい 数珠を手に合掌し静に座る初瀬の後姿に嘉藤太は刀を振り下ろすことができないのでした。 するとここへ豊寿丸が初瀬の身代わりにと 初瀬によく似た行き倒れの女の生首を小袖に包んでやって来ます。 嘉藤太が初瀬殺害の証しに照夜の前に生首を持ち帰ると 入れ違いに姿の見えなくなった庄司の娘を捜している老女がやって来ます。 老女の話から 庄司の娘は初瀬に面差しが似ており 先刻、豊寿丸が生首を包んでいた小袖と同じ着物を着ていたことがわかります。 老女一行が再び娘を捜してこの場を去ると 初瀬は豊寿丸に問いただします。 豊寿丸は姉・初瀬を守るために庄司の娘を殺し首を落としたと言い これを聞いた初瀬は 弟・豊寿丸を狂わせたのは自分だと自らを責めるのでした。 豊寿丸が館へと戻り 初瀬と月絹がこの場に残ると 修験者・道渓が二人の前に現れます。 第三場:豊成館西の対屋 舞台は豊成の館 照夜の前は嘉藤太が持ち帰った偽首を初瀬と信じ込み 折から、暇乞いを願い出た嘉藤太に初瀬を殺した罪を押し付ける事にします。 豊寿丸の初瀬への執着も、これで消え 全てうまくいったと喜ぶ照夜の前でしたが ここへ、雲雀山にいた修験者・道渓が現れるのでした。 第四場:外京、都大路 初瀬の神々しさに感銘を受け、主命である初瀬殺害を仕損じた嘉藤太は 暇乞いを願い出ると雲雀山に蟄居となった初瀬を守るべく庵室へ向かいます。 しかし、これを追って来た豊寿丸は 初瀬は自らが守り近づくものは生かしてはおかないと 嘉藤太を殺害するのでした。 第五場:元の西の対屋 舞台は元の豊成の館 照夜の前は修験者・道渓から先刻の初瀬の首が偽首であった事を知らされます。 さらに道渓は 庄司の娘を殺した事を種に、帰館した豊寿丸を強請ります。 しかし豊寿丸は隙を見て道渓を刺し殺すのでした。 豊寿丸は 駆けつけた正常に後始末を言い付けこの場を去るのですが まだ息のあった道渓は正常に全てを話し初瀬の危機を知らせます。 第六場:雲雀山の伏屋 舞台は雲雀山の庵室 初瀬はここへ来てより写経読誦の毎日を送っています。 折りしもここへ豊寿丸が駆けつけ 偽首が発覚したため照夜の前が初瀬を殺しに来ると伝え 自分とともに山を下りるよう言うのでした。 雲雀山を下りるつもりはないと言う初瀬でしたが 豊寿丸が自らのために、嘉藤太や道渓を殺めた事を知り 弟・豊寿丸をこの様にしたのは自分の罪ゆえと 豊寿丸とともに山を下りる事にします。 豊寿丸は初瀬がついに自分の想いを受け入れてくれた事に喜ぶのですが 照夜の前が到着したため初瀬とともに身を隠します。 庵室にのりこんで来た怒りのおさまらない照夜の前は 納戸に隠れる初瀬を見つけ斬りつけます。 しかし、照夜の前が刺し殺した相手は 初瀬の身代わりとなった豊寿丸でした。 我が子を殺してしまった照夜の前は 豊寿丸に声をかける初瀬に斬りかかろうとしますが 道渓から全てを聞き庵室へ駆けつけた正常に止められます。 後を追って来た豊成も庵室に着き 行き場のなくなった照夜の前は深い谷底に身を投げてしまいます。 真実を知り駆けつけた豊成は初瀬に詫び 明朝、弟・仲麻呂の起こした謀反を鎮めるため出陣すると言います。 戦に出かける事が決まっている豊成は初瀬に共に館に帰るよう言うのですが 初瀬はこのまま館へは戻らず 當麻寺に行き入山して修行をしたいと願い出るのでした。 豊成一行が庵室を去ると 一人残った初瀬は、人が在世中に救われる術はないものなのかと御仏に導きを願います。 すると光と共に蓮の花を手にした初瀬の生母・紫の前が現れ 當麻寺に行き、蓮の茎で糸を作りその糸で曼荼羅を織り、人々の今生後生を願うように告げるのでした。 ふっと、意識が戻った初瀬に月絹が声をかけ、初瀬の傍らに蓮の花を見つけます。 夢を見ていたと思われたお告げは夢ではありませんでした。 初瀬はお告げのとおり 當麻寺に行き、人々の今生後生を願い、蓮の糸で曼荼羅を織る事を決めます。 折りしもここへ當麻寺までの供をする事になった山守の蓮介がやって来ます。 初瀬と月絹は 蓮介が豊寿丸によく似ているので驚きますが 蓮介は明るく愉快な人柄でした。 その蓮介は初瀬が當麻寺に入山すると聞き なぜ世捨て人になるのかと尋ねるのですが 初瀬は、世を捨てるのではなく世を拾いに行くのだと答えるのでした。 |
この「初瀬 豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅(はちすのいとこいのまんだら)」は国立劇場開場四十周年記念公演のラストの舞台です。 さらにこの舞台は新作歌舞伎脚本の公募で入選した森山治男氏の「豊寿丸変相(ほうじゅまるへんそう)」を玉三郎丈が演出してできた舞台です。 この経緯は おそらく他の歌舞伎上演形態では発生しえない事で 国立劇場のオリジナリティーのすばらしさだと思います。 新作の舞台でありながら 脚本が歌舞伎を意識して書かれたのはもちろんの事 演出も歌舞伎を知った あるいは意識した または歌舞伎が染みこんだ演出であるので 少しも歌舞伎から遠いという感じがございません。 じつは、私はこれがとても嬉しかったりするのです。(^^ゞ お話のテーマももちろん シンプルな舞台ゆえの台詞劇の様子も その、台詞が歌舞伎の持つ間によって語られ歌舞伎の台詞として聞こえ 舞台転換や役者の所作も歌舞伎の間からはみ出る事がないのです。 以前は、歌舞伎は脚本を書く時に主演する役者にあててお話を書くという作り方をする事がありました。 歌舞伎の舞台では 舞台上の役者が一番良く見えるようなお話で舞台が進行するということがよくあったのです。 これは、どの様な役でもこなすという発想の今の演劇とは少し違ったところかと思います。 役者が本に合わせるのではなく 本を役者に合わせ一番カッコイイ姿を見せるのようにするのです。 この様な経緯からすると 今回の舞台は、歌舞伎の作り方の一つを世襲した舞台であったと思います。 はじめは演出での参加であった玉三郎丈が初瀬を演じる事で 脚本が出来上がる中でイメージされていた初瀬が具現化したわけです。 これ以上の、役とイメージと役者のバランスが良い舞台があるはずはない様な気がします。 っと、言った様な事で 21日に2回目の観劇を終え まだ、楽日前だというのに再演を心待ちにしたわけなのでございます。(笑) 以下 1回目・11日 2回目・21日の観劇での感想を書きます。 ☆1回目・11日の観劇の感想 本日は朝方の雨で気温も寒かったのですが 花粉に悩む私にはありがたい陽気でございまして(笑) 久々の冷たい空気にもめげずに国立へ「初瀬/豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅」を見に行ってまいりました。 で、感想などと申しますものは 主観でございますし好き嫌いという事もございますが 私にはかなり面白い舞台でございました。 もともと、私は玉三郎丈が舞台から発する‘何か‘が感覚的にとても好きでございまして ですからオモイッキリの主観ですし、好き嫌いの範疇であるのですが やはり期待以上の舞台を見られたと思います。 お話としてはケッコウ抽象的な心情がテーマのようでございまして‘解脱‘とか‘浄土‘とか とかく信仰心などというものを持ち合わせておりません私などには?な感触なのですが 実際に舞台を見て私なりに勝手に(笑)こんな事かしらっと解釈いたしました。 初瀬は最期になるまでズット自分の意志で行動しないのですね。 全て周りの豊寿丸や照夜の前や豊成によって動かされているわけで 自分あるいは自分の生き方もしくは目的、こういったものを持っていないのです。 なのでこの世にいても浮遊している感じで 周りの強い意志にいくらでも左右されてしまう感じです。 言い方を変えれば 初瀬はこの時は実は世捨て人の様であったのかしらっと思いました。 逆に、豊寿丸は姉・初瀬への強い想いで また 照夜の前は我が子・豊寿丸への強い想いで この世に確固たる執着心を持っていて それゆえ、命と引き換えに執着から開放されるみたいです。 これが死を持って解脱するとかいう事なのでしょうか・・・。 豊寿丸と照夜の前が死によって、豊成が戦によって 初瀬の傍からいなくなり執着からくる拘束がなくなってはじめて初瀬は自分の意志を表に出します。 こういう事って、よくある事で やたらとエネルギーの発散の多い人の周りの人は、どうしてもエネルギーの多い人に影響されがちですが その人がいなくなた時に、今まで動かなかった人が俄然頑張って動き出す こんな感じかと思いました。 で、自分の意志で行動することにした初瀬は曼荼羅を織る‘目的‘を得るわけで 執着ではなく目的を持った人というのは外に向かって公に強くなれるわけで ここで初瀬は蓮の茎を百駄集めるのに帝に頼むと言い自分は中将であると言いきるのですね。 自分の意志がなく周りに動かされて浮遊していた初瀬は ここで、自分の目的とか立場とか居場所を自分の意志で決めることで この世に落ち着いた(あるいは、落ち着けた)のではないかしらっと思いました。 自己に向かう執着ではなく外・他人に向かう目的によって、この世に存在しながら 救われるのだという事かな〜っと思いました。 慈悲とか言う様な 一切の人々に対する平等の友情を持って、他の苦を癒さずにはおれないという救済の思い・・・まっ、早い話が 自分の事ばかりでなくて 少しは人の幸せも考えましょうね〜 っと言う事かと 勝手に解釈してみました。(^^ゞ 舞台の様子はいたってシンプルでございます。 舞台奥にホリゾント、上手と下手に大きなカラーボード(っと、言うのでしょうか?)の様な物が5、6枚(すみません、数えませんでした)あるのみです。 ホリゾントの明暗や色を変えたり、カラーボードを左右に動かしたり、舞台照明を変える事で 時間や空間の転換をします。 少し前のブログに‘色を使って時代を表す‘という様な事を書きましたが このあたりは意図したとおりになっているように感じます。 さらに下座音楽がございませんで 琵琶と琴を使っています。 幕開きも柝が入りまして琵琶で場内が暗くなり幕が開きます。 三味線など普段聞きなれた音ではございませんが この、琵琶の音色が舞台の雰囲気にとても良く合っておりまして効果的です。 台詞も現代的ですが けして、新劇風ではございませんで 新作歌舞伎の範疇であると思います。 事前にわかっておりましたところでは かなり歌舞伎の雰囲気から遠い感じの舞台であるらしいっという事でしたが 実際に見まして、それほど違和感を感じませんでした。 確かに、見慣れた歌舞伎の舞台とはかなり異なる舞台ですが 見た目だけではない お話のテーマや 台詞、所作、舞台転換などの間がシッカリ歌舞伎になっています。 小劇場のスペースを上手に使って 歌舞伎としてキープされるべき部分をシッカリ残した舞台です。 このあたりの舞台全体のまとめ方はサスガ玉三郎丈だと思いました。 ですけれど、舞台がとてもシンプルで なおかつ、大仕掛な動きもございませんので 客席で見ておりますと、とにかく意識が役者さんに集中いたします。 感じとしては‘台詞劇‘です。 他がシンプルな分 役者さんの地力が前面に出る感じです。 っと、言う様な事で・・・何が?(笑)・・・マズは玉三郎丈と初瀬から。 良いですね。 脚本をお書きになった森山氏は、玉三郎丈を意識して初瀬をお書きになったという事ですので ピッタリでございます。 元来、時鳥とか白縫姫とかの被虐的あるいは加虐的な舞台上での嗜虐的美しさを見せることを得手とする玉三郎丈ですので(^^ゞ 玉三郎丈の初瀬はピッタリだと思います。 が、初日から4回目の舞台でございまして どうも、マダ周りを気になさっていらっしゃる様にも見えました。 舞台を牽引する、あるいは包括する部分を感じてしまいまして 見ていて初瀬のみに集中できません。 豊寿丸と対する時も また、照夜の前と対する時も ガップリ組み合っているというよりも 相手に合わせている様に思えてしまいます。 しかたのないことですが豊寿丸と初瀬のやり取りを見ていましても‘もどかしい‘感じがいたします。 玉三郎丈の地力であればもっとスパークできるのではないかと思えるのです。 さらに月絹に対しても 例えば、富姫に対する南美江さんや先ごろの吉弥丈の薄に感じるような‘信頼がもたらすあまえ‘が感じられません。 どうしても全てにおいて玉三郎丈・初瀬の方が牽引あるいは包括してしまうのです。 ですが 玉三郎丈が、ある意味‘おさえ気味に‘初瀬を演じる事で 舞台全体のバランスは良いのだと思います。 そういう意味では 玉三郎丈は女形として相手を立てる舞台に徹している様な感じです。 このあたりはしかたがないと言ってしまえばそれまでなのでしょうけれど この‘抑えた初瀬‘がこれからどれほど玉三郎丈の‘全力の初瀬‘に近づくことができるかで舞台の状態はスゴク良く変わってくるのだろうと思います。 どちらにいたしましても 新作で初演の舞台を歌舞伎の範疇でこれだけレベルの高い舞台にして見せる事ができる玉三郎丈はスゴイなか〜っと思います。 段治郎丈の豊寿丸は全体的にはかなり良いと思いました。 豊寿丸のキャラクターはかなり今風で、程度の差はあるにせよケッコウ身近にいそうな感じです。(^^ゞ 思い込みが激しくて 何が何でも自分の意見を聞いてもらうことのみを考えていて 人の話はマッタク聞かない おかげで周りはとっても迷惑・・・身近にいません?こういう人って。 あっ、自分もおなじか!(~_~;) で、段治郎丈は こういうキャラクターをとても良く舞台上で見せていると思います。 ですけれど これを‘一途な純粋で真っ直ぐな心の持ち主‘として見るのは 私にはチョッと辛い感じです。 このあたりはやはり新作の舞台ですので まだ、解釈として私の中にシックリ入ってきません。 ただ、舞台上で初瀬への強い想いのみに動かさる衝動と 初瀬以外の人に対する何の想いも持たないゆえの冷酷さは 行動の対比として段治郎丈の豊寿丸はキッチリ見せていると思います。 欲を言えば初瀬に対する時に もっとハラで強い感情をぶつけてガンガン迫っても良い様な気がしました。 自分の想いを受け入れて欲しい そのためには手段も選ばず、人の命も関係ない これほどの想いを持っているわけですから 初瀬と直接対する時も、モット強引であって良いと思います。 11日に見た舞台の何倍もの強引さで迫っても おそらく、玉三郎丈の初瀬はガッチリ受け止めてくれるだろうと思います。(^^ゞ 右近丈の照夜の前は普段はあまり女形をお勤めにならないとは思えないほど シッカリ女形でございます。 まあ、お役のキャラクターが強いですので 所作での柔らかさなどは特別に気になることもございませんでした。 これからも 女形でハラの太いお役などモットお勤めになられると おもしろいな〜などと期待してしまいます。(笑) 全体としては無難でありまして良いのですが やはり初瀬に対してはもの足りなさを感じてしまいます。 これも段治郎丈の豊寿丸と同様ですけれど 11日に見た舞台の何倍ものハラの中からの陰湿さ激しさで初瀬をいじめても おそらく、玉三郎丈の初瀬はガッチリ受け止めてくれるだろうと思います。(^^ゞ 笑三郎丈の月絹も良いです。 が、やはり玉三郎丈の初瀬が‘信頼がもたらすあまえ‘を持てるところまで到達していないような気がします。 11日に見た舞台で 後半、涙が出た場面がございました。 門之助丈の豊成が初瀬に対する場面です。 親にしかわからない子供の出生時のいきさつがもたらす想いが 娘が手元から遠ざかってしまう事によって 増幅されて伝わるのですね。 動きとしてはそれほど多くなく(っと、申しますより ほとんど座ったままですが)台詞一つで客席に 初瀬に対しての、出生時のいきさつからくる‘特別な想い‘が伝わります。 娘を手元においておきたい親の心情が良くわかるのです。 門之助丈の豊成は玉三郎丈の初瀬に対してキッチリ父親であると思います。 猿弥丈、春猿丈は できればもっと活躍して欲しいと思いました。 チョッともったいないな〜っと・・・。(^^ゞ 全体的には 新作の初演の舞台で始まって4回目の公演という事にもかかわらず かなりハイレベルにまとまった舞台になっていたと思います。 ですが できますことなら もっと遠慮せずに(笑) エネルギーがスパークする様な舞台になって欲しいとも思いました。 次回、もう一度 後半に見に行きます。 どう変わっているのかがとても楽しみです。 おまけ。 舞台が終わりますとカテコがございます。 で、このカテコ どうも拍手に反応してのカテコと申しますより 初めからカテコをする事を決めていて幕が開く感じです。 これが歌舞伎の舞台で良いのかどうかは?ですけれど せっかくカテコをはじめから舞台側が想定しているようですので 好きな役者さんが舞台にいらっしゃる方は席を立たずに頑張って拍手してみましょう。(^^ゞ ☆2回目・21日の観劇の感想 本日21日、2回目の観劇に行ってまいりました。 で、違うんですよ!違うの!!! 全体に舞台の雰囲気がシャープになってます。 11日に見ましたときは それぞれのお役の輪郭はボヤットしていていまひとつ存在感が薄かったのですが 今回は各キャラクターの輪郭がしっかりして存在感がアップしていました。 なので 見ていて、舞台に篤みが出て骨太な感じになっています。 中でも一番変わったと思いましたのが玉三郎丈の初瀬です。 11日に見た時は マダ周りに合わせた感じで舞台の様子を見ながら初瀬を演じているように感じたのですが 本日はシッカリ初瀬でした。 おそらく、周りが固まって練れてきたので 初瀬のWeightが増したのだと思います。 まず、一番はじめの出のところから違うのです。 第一場の出のところ 月絹・笑三郎丈と共に下手奥からの出ですが 見た瞬間に‘可愛い‘と思いました。 とにかく、可愛い。 でも 初瀬というキャラクターはすごく強いのですね。 この可愛さと強さがハッキリ見えるのです。 私は11日に舞台を見たとき > 初瀬は最期になるまでズット自分の意志で行動しないのですね。 全て周りの豊寿丸や照夜の前や豊成によって動かされているわけで 自分あるいは自分の生き方もしくは目的、こういったものを持っていないのです。 なのでこの世にいても浮遊している感じで 周りの強い意志にいくらでも左右されてしまう感じです。 言い方を変えれば 初瀬はこの時は実は世捨て人の様であったのかしらっと思いました。 っと、書いたのですが 違うのですね。 初瀬は自分の意志で行動していないわけではなくて ある意味、人間離れしたキャパシティーの大きさを持っていて 全てを抱えてしまうのですね。 突き抜けた大きさというのか 宇宙の漆黒を透かして青く染まる空の様な、雲や雨や風や見方によっては月や太陽でさえその懐に抱え込んでしまうような 突き抜けた際限のない心の大きさを持っていて これを、豊成が観世音に祈願してもうけた子ゆえと考えるなら 人よりは‘より浄化‘された存在なのかもしれません。 なので、初瀬は右大臣藤原豊成の十八歳の姫としての可愛さと共に キャパシティーの大きさを背景にした強さを持っているように思いました。 どの場面であったのかチョッと覚えていないのですが 初瀬が月絹をかばうところがございます。 袿の裾で月絹を隠すような感じ・・・揚巻が助六をかばう時のあの決まりに似た感じで月絹をかばうのです。 かばわれるべき乳母を自らの意思でかばう初瀬は その内なる強さで豊寿丸もかばうのですね。 思えば、初瀬はウイークポイントを待ちません。 全ては我が身の罪業というところに結実してしまって 命さえもいとわないわけですから 失って困るものがないのです。 これって最強。(^^ゞ これだけ精神として高位にあれば 月絹に対しても‘信頼がもたらすあまえ‘はないかもしれません。 ある意味、崇高 でもとっても孤独な強さを感じます。 そうして初瀬は終始、慈悲で行動している様に思います。 ですが、マダ確固とした行動の目標を見いだしていない感じで舞台は始まります。 これが11日に見たときには‘自分あるいは自分の生き方もしくは目的、こういったものを持っていない‘と見えました。 慈悲というのは‘一切の人々に対する平等の友情を持って、他の苦を癒さずにはおれないという救済の思い‘で 初瀬ははじめこれを貧しい人に施しをするこで表面に現します。 ですが のこ行動は月絹に指摘された様に 良い方法ではありません。 自分も含めて、人の苦を癒すために何をしたらいいのか 初瀬は最後にこの答えを得て‘なすべき事‘を見いだします。 ここからは11日の感想と同様 目的と最良の方法を得た初瀬は なすべき事のために前向きに行動します。 曼荼羅というのは仏教での宇宙の真理とか教えとかを図解したもので 信仰の対象になるのです。 この世で生きていて仏の世界を体感できる方法の一つとして 曼荼羅を見て仏の世界を思い浮かべてみましょうっと言う事のようです。 こういう書き方をするとスゴク俗っぽいのですが 初瀬が仏像をカツンカツン彫るより曼荼羅を織る方が なんとなく‘絵‘になるような気もします。 あ〜罰当たりっ!!! まだ、2回しか見ていないわけなのですが 初瀬というのはかなり複雑で懐の深いお役だと思います。 ただ、可愛いだけではダメで 精神の大きさを背景にした強さが出せないと勤まらないお役に思えます。 たぶん、これほどの初瀬を演じられるのは いま、玉三郎丈より他いないような気がするのですが・・・どんなものでございましょうね。(^^ゞ 笑三郎丈・月絹は初瀬とのバランスが良くなっていて かばうところ、かばわれるところの立場の切り替えに違和感を感じなくなりました。 右近丈・照夜の前は豊寿丸に対しての‘情‘がより細やかに伝わり 柔らかさが増した様に思います。 段治郎丈・豊寿丸は難しいお役かと思いますが 初瀬のためなら何でもする 人の命も、自分の命もかえりみない これを純粋と見るかどうかは別として、自分の絶対的価値観にのみ従う幼さゆえの冷酷さと執着心のメリハリはしっかりできていると思います。 春猿丈・紫の前は 初瀬の母親に見えますね。(^^ゞ でも、やっはりチョッともったいないかな〜。 嘉藤太・猿弥丈ですが なんでしょうね・・・見ていてホットするのです。 渦の中にいるけれど 一番‘まとも‘な人かもしれません。 門之助丈・豊成は わかっているのに やっぱり泣けます。(^^ゞ これって自分の経験が思い浮かぶからかもしれません。 初演の舞台としてはスゴク完成度の高い舞台だと思うのですが 個人的に2つ、どうしても?なところが残りました。 一つは豊寿丸の行動を単に‘純粋‘と見ることができません。 純粋には‘そのことだけをいちずに行うこと。‘と言う意味もございますが‘邪念や私欲のないこと。‘と言う意味もございます。 初瀬に執着する豊寿丸に私欲がないとは思えないのです。 もう一つは 初瀬が‘全ては自分の罪業ゆえ‘と納得してしまう事。 豊成が‘自らの罪を背負わせてしまった‘という様な事を言いますが もし、初瀬が受ける報いがあるとするならば それは初瀬が作ったものではなくて受け継いでしまったものではないかと思うのです。 それを初瀬が自力で断ち切るという事ではないかと・・・。 だって、親子兄弟であっても魂は別 自分は自分ですから。 今回の舞台、チケット購入時に2回目はどうしようか考えたのですが とりあえず、玉三郎丈の舞台なのでチケットを購入したのですが 大正解でした。 ほんとに玉三郎丈の舞台は裏切られることがないので嬉しいです。(笑) 今月はすでに3日も家を空けているので これ以上は出歩けません。 もし、時間的に可能であれば オークションで競り上がってもチケットを Getして楽日に見に行きたい舞台です。 まだ終わってはおりませんけれど ゼヒ、再演していただきたいと思います。 あ〜その前に できればTVで見たいです。(笑) |