2006年07月17日・30日       もくじへ戻る トップページへ戻る 
    歌舞伎座 夜の部   三階A東よりの席・一階後方中央の席

  *山吹
    一幕
  *天守物語
    一幕


山吹
 辺栗藤次:歌六
 島津正:段治郎
 縫子:笑三郎

第一場
  舞台は修善寺温泉の裏路にある萬屋 見事に咲く桜が塀越しに美しい枝を伸ばしている
  下で酒を飲んでいた人形使の老人・辺栗藤次は、店の主をからかいながら土間へ入って
  行きました。


  今日は弘法大師の御命日なので 練り物行列の太鼓の音が聞こえてくるところへ 小絲
  川子爵夫人の縫子が番傘を手に桜を見ながらやって来ます。
  縫子は ふと、小流に死んだ鯉がいるのを見つけて驚きますが 桜の下の塀に立てかけ
  てある美しい白拍子の操り人形に気付き傘をさしかけます。
  そこへ洋畫家の島津正が、桜を見ながらやって来ると やはり白拍子の操り人形に目をと
  めます。
  人形を見た島津は縫子と挨拶程度の会話を交わすと再び裏路を行きかけますが 縫子は
  これを止めて 昨夜、島津と同じ時に同じ宿に着いたが 島津の妻だと言い宿帳へ名を書
  いたと言います。
  島津はいぶかしく思いますが 縫子は、以前から島津を見知っていたので 自分は妻で、
  夫の浮気を見張るために部屋を別にするのだと宿の者に言ったと話すのでした。
  眉をひそめる島津は 怒る事もなく、しかしこの場を去ろうとしますが 縫子は先刻の小流
  で死んでいる鯉を見せて 追っ手の迫る自分もこの様になる覚悟だと話します。
  縫子が連れて行って欲しいと頼むのを断った島津は 小流の鯉の様になってはいけない
  と言い残して この場を去ります。


  店から出てきた人形使は勘定を済ませると 傍らに立てかけてある白拍子の操り人形に
  土下座のごとく頭をつきますが 小流の鯉に気付くと、これを葬ってやろうと頭巾に包んで
  腰に下げ 今度は、首に巻いた手拭で口をふさぎ息のかからぬ様にしてから操り人形を背
  負います。
  この様子を見ていた縫子が声をかけます。
  縫子は自分の望みが叶わなかった分 人形使の老人に何でも望みを一つだけ叶えて上
  げようと言い 招かれるままに人形使とともに木立の中に消えて行くのでした。


第二場
  舞台は桜と山吹の咲くところ ここで島津がウイスキーを片手に花など見ていると 縫子と
  猿轡に縄をかけられた人形使がやって来ます。
  島津が木立の影に隠れて見ていれば 人形使の老人の頼みで、縫子は手にした傘で老
  人を打擲し始めます。
  しかし人形使は さらに、傘を骨と柄にし 憎いと思う者を思い浮かべて打つように言いま
  す。
  ついに縫子は魔に魅入られたごとく人形使の老人を打ちはじめます。
  あまりの事に島津は木立の影より出て縫子を止めますが 島津に声をかけられ、我に返っ
  た縫子は泣き出してしまい 代わって、人形使の老人・辺栗藤次が 事情を話し始めるの
  でした。


  辺栗藤次は若い頃に美しい女性の事で大きな罪障を作り その罪の恐ろしさから今まで
  は旅の僧侶から譲り受けた白拍子の人形を美しい女性と思い我が身に背負い尽くしてき
  ました。
  しかし 折りしも今日、美しい婦人の縫子から望みを叶えてやると言われ かねてからの
  望みで罪滅ぼしに折檻され呵責の苦しみを受けたのだと言います。


  事情を話した人形使・辺栗藤次が立ち去ろうとするのを縫子は止めて ともに旅して毎朝
  晩の折檻の望みを叶えようと言います。
  家出をしてきた小絲川子爵夫人の縫子もまた、身の置き所がないのでした。


  縫子の実家は日本橋の料理屋で島津も客としてよく通っており 縫子は島津に思いを寄
  せておりましたが その思いは届かず島津は結婚してしまいます。
  悲しみに暮れているうち小絲川に嫁ぐことになりましたが 姑、小姑との仲が上手くいかず
  その上、実家をけなし ついには実家の財産に目を付けている事がわかります。
  ついに縫子は実家から財産を持って来るのと引き換えに 姑、小姑を打って欲しいと夫・
  小絲川子爵に頼みますが 逆に夫に打たれてしまいます。
  そうして、縫子は家を出たのでした。


  島津が縫子をともに旅館へ連れて行く以外に 人形使と旅立つ決心は変わらないと言う
  縫子に 島津は、今すぐでは決心がつかないと答えます。
  しかし、追っ手の猶予のない縫子は 島津に媒酌人を頼むと、小流で死んだ鯉の腐った肉
  を食べ 通りかかった御命日の練り物の稚児に酌をしてもらい ウイスキーで人形使・
  辺栗藤次と杯を交わすのでした。
  縫子は辺栗藤次の手を引いて 島津の見送るなかこの場を去り 後には、雨にうたれて
  島津一人が残るばかりでありました。






天守物語
 富姫:玉三郎
 図書之助:海老蔵
 近江之丞桃六:猿弥
 薄:吉弥
 小田原修理:薪車
 亀姫:春猿
 朱の盤坊:右近
 舌長姥:門之助

  舞台は白鷺城の第五重 晩秋に天守の主・富姫の侍女たちが 白露を餌に秋草を釣って
  います。
  奥女中の薄がこれに加わろうとするところへ にわかに風が強くなり雨が降ってきました。
  皆が、出かけて帰らぬと気遣っているところへ 富姫が折からの雨に小山田の案山子に
  借りた蓑と竹笠を付けて帰ってきます。
  皆が様子を尋ねれば 白鷺城に来る事になっている亀姫のために うるさい鷹狩の侍を雨
  風で追い払ってもらおうと 夜叉ヶ池の雪姫に頼みに行き 帰る途中、雪姫の降らせた雨
  に蓑と竹笠を借りたのでした。
  富姫は直きに訪れる亀姫に会うための着替えをしに座を立ちます。


  一同が富姫とともに奥に移ると 折から亀姫の供をする朱の盤坊が現れ案内を請います。
  奥より薄が出て取り次ぐと 富姫が出迎え、亀姫と二人そろって設けた座に着き 懐かし
  いなかに仲の良い会話が行き交うのでした。
  話が進むうち、亀姫が富姫へのみやげ物を披露します。
  道中に汚れたところを舌長姥が舐め取れば 亀姫のみやげは 白鷺城主・播磨守の兄弟
  で 亀姫の住む猪苗代亀ヶ城の主・武田衛門之介の首でありました。
  首を天守の獅子頭に供えた富姫は 亀姫のみやげに用意した兜は見劣りするし なによ
  り、討死したような兜ではないので別の物を用意することにします。
  気に入る物を調えて上げます、と言う富姫に 亀姫は、早く手鞠を突いて遊びましょう と
  誘うのでした。


  富姫と亀姫が手鞠を突きに座を立ち 後に残った朱の盤坊は侍女を相手に酒宴をはじめ
  ます。
  奥からは手鞠の唄が聞こえてきます。
  酒の席も踊りなど出る頃に 手鞠で遊んでいた富姫と亀姫が遊び終えてやって来ます。
  ちょうどそこへ先刻の鷹狩の行列が戻り、富姫は中にいた白鷹を取って亀姫のみやげに
  するのでした。
  白鷹を取り戻そうと行列から 矢、鉄砲が撃ち込まれますが富姫の指図でこれも治まり 
  亀姫は白鷹を手に帰って行きます。



  舞台は日も落ちて暗くなった天守 獅子頭の前には富姫がただ一人 折りしも四重に通じ
  る階子の口より小さな雪洞一つ手にした図書之助が現れます。
  これに気付いた富姫が尋ねれば 播磨守の白鷹を逃がした罪で切腹を言い渡されたが 
  この天守に上がり様子を見届けてくれば命を助けると言われたので 上がって来たと答え
  る図書之助でありました。
  話を聞くうち富姫は図書之助の心に動かされ 命を助け、二度と来てはならないと言い図
  書之助を帰します。


  ところがしばらくすると 図書之助が再び天守に戻ってきます。
  天守の三階で雪洞の灯が大蝙蝠に吹き消され 男として暗闇の中で階子から落ちて怪我
  をするよりは 灯を貰いに戻るほうが良いと思ったのでした。
  戻ったわけを聞き、その図書之助の心情から 雪洞に灯を移す富姫は しかし、図書之助
  を帰したくなくなります。
  富姫は間違った主従のあり方を説き さらには、白鷹は自らが取ったのだと言い 播磨守
  など諸侯の行き過ぎた思いあがりを指摘するのでした。
  そうして富姫は わが身を、心を、命を引き換えに帰るなと言います。
  が、まだ世の中に未練の残る図書之助は なおも引きとめようとする富姫に、強い意志を
  持ち人の世に戻ると言い切るのでした。
  抵抗(てむかう)とまで言う図書之助の勇ましさに 富姫は名を聞き、五重に上がった証し
  に先刻の兜を渡します。
  この兜はお家の重宝でありました。


  図書之助が立ち去った天守 一人残った富姫を気遣う薄は なぜ、引き止めなかったのか
  と言います。
  ‘真の恋は心と心‘と言う富姫に 薄は、きっと縁があると言うのでした。
  折りしも 何やら天守下が騒がしくなります。
  薄が遥か下方を見れば 図書之助が兜を盗んだ逆賊だと捕手が掛っています。
  図書之助は追ってくる捕手を打ち払いながら天守へと向かうのでした。
  これを見た富姫は図書之助をかくまうべく手助けするよう薄に言いつけます。


  図書之助が三度、天守に現れます。
  声をかける富姫に 逆賊として無実の罪で同じ人間同志に殺されるより、ここで命を取ら
  れた方が良いと言う図書之助でありました。
  死を望む図書之助に 共に生きる事を言う富姫は 図書之助と共に獅子頭の母衣(ほろ)
  の内へと姿を隠します。
  そこへ図書之助を追って小田原修理たち討手が上がってきます。
  獅子頭に気付いた討手たちは中に隠れる図書之助を取り押さえようとしますが 小田原
  修理は獅子頭のいわれを話、皆に気をつけるように言うのでした。


  獅子頭は以前は群鷺山の宮にあったのだが 二代前の城主が鷹狩の折、見つけた艶や
  かなる女性を召し出そうとし 女は人妻ゆえと舌を噛んで自害 その時、傍にあった獅子
  頭を見て自らに力あればこの様にはならなかったと言って息絶えました。
  その後三年続いて大洪水になったとのこと。
  女が息絶えた時、獅子頭が女の血を舐め涙を流したと噂になり 洪水も女の恨みによるも
  のだと言われました。
  そこで近習の者が女が挿していた櫛を城主に届けると 城主はこれを袂に入れ、水を出す
  のであれば天守の五重を浸してみよと言い 獅子頭を天守に打ち上げ それより後、天守
  は魔所となったのです。


  小田原修理は獅子頭とて獣と同じゆえ、目を狙うよう指示します。
  暴れ襲いかかる獅子頭は 討手に両目を傷つけられ伏して動けなくなってしまいます。
  母衣の内より図書之助が刀を持って現れますが 獅子頭と共に目が見えず、たちまち取
  り押さえられてしまいます。
  しかし、後から続いた富姫が 先刻の武田衛門之介の首を投げつけ 小田原修理たち討
  手は これを播磨守の首と間違え慌てて逃げて行きます。

  獅子頭の目が傷つき天守にいたもの全ての目が見えなくなったのでした。
  見えなくなった目で互いに寄り添う二人 そうして、富姫には図書之助を救いたいと あき
  らめきれない心が残るのでした。
  しかし、今の富姫にはどうする事もかなわず 是非なく、二人は共に覚悟を決めます。


  するとそこへ 獅子頭を彫った工人・近江之丞桃六が現れ 鑿を獅子頭の目に当てれば 
  獅子の目が開き 富姫、図書之助の目も見えるようになります。
  近江之丞桃六は 二人が睦まじく寄り添う様子を楽しげに見ると 微笑みながら再び鑿を
  振るうのでした。



☆「山吹」は原作はもちろん泉鏡花で、1923年(T12)に発表され その後、上演の機会がなく初演されたのは1977年(S52)です。
 花柳界でも異界でもなく、それほど長いお話ではございませんけれど 鏡花の書くお話としては‘見た目‘はチョッと変わった感じがいたします。
 いかにも、「椿説弓張月」の三島が上演したいと言った舞台でございます。


○7月17日の感想
 舞台は桜と山吹の花が咲いた舞台で わりとシンプルな感じです。
 今月は、大向こうさんに掛け声はかけないようにということでございましたけれど なんと、一番掛け声の似合いそうもない「山吹」ではじめの出だしの時 笑三郎さんと段治郎さんに声がかかっておりました。
 べつに、気になりませんでしけれど なくてもよかったような気もいたします。(^_^;)

 で、この「山吹」 好き嫌いがケッコウはっきりと出る様な気もいたしますし 鏡花になじみのない方にはチンプンカンプンかもしれません。
 この‘あやうい‘雰囲気のお話を よくまあ、これだけ歌舞伎座という空間で見せきる事ができる様な舞台に作ったと感心してしまいました。
 お話の感じから言えば もっと小さめ暗い感じの‘オタク‘っぽい空間で見るような舞台です。
 ですけれど、そこをかなり明るめに様式的に ある意味、健康的にする事で 乗り切ったのだろうなと思いました。

 笑三郎さんは頑張っていらっしゃったと思います。
 縫子って難しいですよね 歌舞伎座での上演では・・・。
 そこを 違和感なく演じきっていたと思います。
 でも、逆に言えば歌舞伎座という‘場‘で 歌舞伎役者の女形の笑三郎さんが ある程度、様式的に演じる事で それほど見終わった後に引きずる物を残さないような舞台になっていたかもしれません。

 歌六さんも同じで 歌舞伎座という空間で 行けるところまでギリギリの人形使であったと思います。
 それでも、ケッコウ怪しげでしたものね。

 段治郎さんは 3人の中では‘現実‘を担うところでございますので 見ていて一番気を使わず(笑)見ていられました。
 幕切れに非現実に向かう縫子と人形使を見送りながら「仕事がある」っておっしゃる。
 そうですね、客席にいる私だって お家に帰れば、やらなければならない事がたくさんあるのですから・・・。
 でも、言われたくないわ!!!(笑)


○7月30日の感想
 今回は舞台の展開が一度見ていてわかっているので 前回見た時より3人の行動の原因がよくわかり 結果としての行動に納得できました。
 前回はとにかく‘あやうい‘とか‘あやしげ‘な雰囲気を感じたのですけれど 今回は‘こういう理由があって だから こうしないではいられない‘っと言うのを舞台に見る事ができました。
 まあ、その理由というのも 縫子にしても藤次にしても、ここまでする動機として成り立つかは?ですけれど。
 でも、何かの理由で‘異‘なる物を存在させるにはこれでいいのだと思います。
 もともとは現実にいた縫子と藤次が それぞれ何かの理由で互いに‘普通とは異なる領域‘に入っていく その過程に客席は付き合うわけです。
 縫子が幕切れ間近に
 「世間へ、よろしく。さようなら。」
 っと、言うでしょ 世間が‘あたりまえの普通の世界‘であれば そこに別れを告げて‘どこか世間でないところ‘に行くのでしょうね。
 一つ突き抜けてしまう感じなのです。
 で、この花道7・3での縫子・笑三郎さんの この台詞、良い感じでした。
 なんと申しましょうか ふっきって突き抜けたゆえの穏やかな、けれど決意した感じです。
 これは藤次も同様で それまでの人の世のしがらみを旅の僧侶から譲り受けた白拍子の人形と共に置いて行きます。
 そうすると逆に‘南無大師遍照金剛‘と唱える‘普通の人‘の方が薄気味悪く思えてきます。
 鏡花の虚と実の入れ替わりがハッキリ見えるのです。
 二人が旅立つ前の場面で 練り物行列が舞台上手から花道を通ります。
 この比較、上手いと思いました。
 ‘南無大師遍照金剛‘と唱える‘普通の人‘が妙に薄気味悪くて、非人間的な無感情、あるいは事なかれ主義的に思えて 逆に現実のしがらみで迷って苦しむ縫子や藤次の方がよほど人らしく見えてくるのです。
 突き抜けた魂・心と、現実にいながら魂・心をなくした人の対比が舞台にクッキリ浮かびます。

 で、この舞台の段治郎さんが前回より良いと思いました。
 昼の部でも書きましたけれど 台詞が良くなっていて存在感が大きくなっています。
 ここでの島津は‘異‘と‘現‘を行き来しつつ、選択を突きつけられる存在です。
 ある意味、読者であり客席の観客です。
 玉三郎さんはご自分のHPの中で‘ダサイ‘とおっしゃっていらっしゃるのですけれど(笑) 「いや、仕事がある。」って、これは普通の人の感覚でございましょ。(^^ゞ





☆「天守物語」は泉鏡花原作で1917年(T6)に発表され 1951年(S26)に新派で初演されました。
 鏡花は「天守物語」が上演される事をとても望んでいたのだそうです。
 で、この舞台はいろいろと 私にとりましても特別な舞台でございます。
 なので・・・ここの感想はオモイッキリ思い入れの感想でございます。
 m(__)m


○7月17日の感想
 今回は3F席からの観劇でございましたので 舞台全体を見渡すことができました。
 いたってシンプル、余計なもののない舞台でございます。
 舞台中央に大きな獅子頭、花道スッポンを階下からの階段口にして 舞台後方にスクリーンで空を映す。
 ‘場‘はこれのみで 後はお話の展開に応じて多少舞台が変化するのみでございます。
 よけいな転換などがございませんので お話の進む速さは鏡花の速さなのですけれど 舞台運びはテンポ良く進みます。
 なので、ダレルところがございません。

 前半、場内が暗くなって「と〜りゃんせ、と〜りゃんせ、こ〜こはど〜この細道じゃ」っと子供の唄う声が聞こえてきます。
 幕が開いて‘秋草‘を釣る侍女たち。
 白露をエサにしてお城の天守から秋草を釣るとおっしゃる。
 ここで、もう客席は鏡花の世界にすす〜っと入っていきます。
 薄・吉弥さんがとても良くて これから先も富姫の傍らで 出すぎず、引きすぎずちょうどで かつ、存在感がございます。

 玉三郎さんの富姫はまだかな〜っと思っておりますと ようやく夜叉ヶ池からお戻りで、ここは背景のスクリーンの空に青い雲が流れて‘帰ってきた感じ‘になります。
 ようやくお戻りの富姫・玉三郎さんは水色の衣装に鴇色の帯で案山子から借りた蓑を付け笠を持って舞台上手から出てきます。
 あ〜・・・・・。
 スッゴク・・・カッコイイ・・・。
 なんという存在感・・・。
 どちらへお出で? っと聞かれて にっこり、「夜叉ヶ池」の雪姫のところへっとおっしゃる。
 富姫が夜叉ヶ池の雪姫のところへ出かけていると話すこの台詞、ケッコウ効果的に聞こえるのでございます。
 何せ、昼の部の一番はじめの演目が「夜叉ヶ池」でございますので 一日の全ての演目がここで綺麗に繋がって感じられるのです。
 舞台中央に出て 紫(紫紺か、もう少し濃い)の被布を羽織って「夜叉ヶ池」への用事と蓑笠の事情などお話になるのですけれど、台詞が‘あまくて‘ 人によってはどの様に思われるのかわかりませんけれど 私は、とっても大好きです。
(^。^)

 で、まあ どうでもいいのですけれど・・・
 富姫が案山子に蓑を借りる時
 「・・・歌も読まずに蓑をかりて、案山子の笠をさして来ました。」
 っと、おっしゃる台詞があるのですけれど これ太田道灌の‘急な雨に蓑を借りようとした時、里の娘が蓑の代わりに山吹を差し出した‘という話を引いています。
 ‘七重八重花は咲けども山吹は実のひとつだになきぞかなしき‘
 ちなみに・・・一重の山吹は実を結ぶそうで ‘実のひとつだになき‘は八重の山吹なのだそうでございます。

 富姫が着替えに奥へ行くと 変わって舞台に朱の盤坊・右近さんが出てきます。
 どちらかと言うとクセのない感じで、さらっとした朱の盤坊でございます。
 もっと、歌舞伎味があっても良かったのかな、とも思うのですけれど でも、舞台全体の展開にあまり歌舞伎味がございませんのでバランス的には良かったのかもしれません。

 この後、亀姫・春猿さんが舞台に出ます。
 亀姫・春猿さんは赤姫の装い で、富姫の玉三郎さんはご自分でお作りになった‘あの打掛‘でございます。
 刺繍がスゴクて足捌きの良いように裾が重たくなっておりますので けっこうなボリュームなのでございます。
 客席で見ておりましても 重圧な感じがわかります。
 これをスッと着こなしていらっしゃる。
 で、すごく美しいです。
 後ろ向きで亀姫と並んだところなど カッコよくて、綺麗で、圧倒されます。
 あのお姿で 富姫、亀姫、二人 獅子頭の方を向いたまま すっと亀姫の肩を抱くように決まる 玉三郎さんの富姫のカッコいいことって もう!最高でございます。
 富姫と亀姫のやり取りは、始終‘あまい感じ‘で進みまして 何回見てもドキドキしてしまいます。(笑)
 え〜ヨコシマであろうが なんであろうが この場面の、‘あまい感じ‘ってワタクシ大好きなのでございます。
 富姫が長煙管を出して「此の頃は、めしあがるそうだね?」 亀姫が飲むマネをして「えゝ、どちらも」 で、富姫が「困りましたねえ」って この後、亀姫が富姫に「貴女を旦那様にはいたすまいし」っとおっしゃる。
 見ていて‘ほんと?‘っとか思ってしまう。
 何考えているんだか 我ながらメチャ ヨコシマ!!!m(__)m
 春猿さんの亀姫は富姫と並んで‘妹‘でございまして 富姫と対比しての可愛らしさがよく出ていたと思います。
 この場面、キット歌舞伎でなかったら 女形での富姫と亀姫でなかったら これほどの雰囲気はゼッタイに出ないだろうなっと思ってしまいます。
 この後、舌長姥・門之助さんが中央に出ての展開になりますけれど それほど、間も気にならずダレル事もなく さらに、客席にかなり受けておりました。

 富姫と亀姫が鞠をつきに奥へ入って 朱の盤坊・右近さんと侍女たちの場面になります。
 ここって朱の盤坊・右近さんが舞台を引っ張るところかと思うのですけれど やはりあっさりサラッとした感じのまま進むので 舞台の雰囲気を変えて時間の経過を示すといった効果のみになってしまったような感じでした。
 チョッともったいなかった様にも思います。
 再び、舞台に富姫と亀姫が出て 後半のお話に繋がる白鷹を富姫が捕まえて亀姫に渡します。
 ここの玉三郎さんの「見ておいで、それは姫路の富だもの」っと言う台詞・・・なんかとっても可愛らしくて好きだったりします。(^^ゞ
 亀姫一行が帰って 後半になります。

 舞台はスッカリ日が落ちた感じで 後方のスクリーンも暗くなって舞台も照明がおちます。
 ここも一度幕を引くのではなくて 照明とスクリーンを暗くすることでスンナリ舞台の雰囲気を変えます。
 一人で獅子頭の前に座る富姫。
 花道スッポンの階段から小さな明かり一つを手にした図書之助・海老蔵さんが舞台に上がります。
 ここから、富姫は‘人‘とかかわっていきます。
 前半‘人でないもの‘とのかかわりと 後半‘人‘とのかかわりのコントラストが舞台の雰囲気からすでに客席には伝わっています。
 富姫は‘人‘に対しては 圧倒的に優位です。
 それはもちろん城主に対してだけではなくて図書之助に対しても同じです。

 はじめ、それた白鷹を捜しに来た図書之助が天守に現れた時 富姫は図書之助に‘翼あるものは、人間ほど不自由ではない と城主に言いなさい‘と告げます。
 図書之助は天守は城主のものだと言い、富姫は‘私のものだ‘と言います。
 が、‘どちらにしても自分のものではない‘と言う図書之助。
 この言葉は富姫の心に触れるのです。
 そして「思いがけなく、お前の生命を助けました。・・・悪いことではない。今夜はいゝ夜だ。それではお帰り」と、図書之助を帰します。
 ‘思いがけなく‘です。
 天守は自分のものではないゆえ、どうしようとも思わない と、言った図書之助の‘すずしい言葉と心‘が‘思いがけなく‘富姫の心に触れたわけで そうでなければ、図書之助は まあ、食べられていたのでしょうね・・・。(^^ゞ
 それほど、富姫は優位であると言うことです。
 玉三郎さんは富姫です。
 存在感、重圧感はスゴイです。
 図書之助は富姫の言葉に従って天守を降ります。

 途中で明かりが消え 図書之助は再び天守に戻ります。
 明かりが消えた事に対して 富姫は‘ただそれだけの事に‘と言うのですが 図書之助の思うところは 富姫でさえ、思いつかない事で この事がさらに富姫を引付けるのです。
 富姫は‘男として暗闇で階段から落ちるより 天守に戻って殺された方がいい‘と言う図書之助の心に惹かれはじめます。
 天守の主として図書之助に圧倒的な力を有する富姫が 図書之助の心に惹かれて ついには「帰したくなくなった、もう帰すまいと私は思う」っと言うのです。
 ここ、玉三郎さん‘さりげなく‘ べつに、声高に言うわけでもなく‘ふっと言葉に出てしまいました‘みたいにおっしゃるのですけれど 富姫の心の変化をスゴクよく伝えていたと思います。
 ‘私が身を捧げます。私の心を差上げます。私の生命を上げましょう‘と言う富姫の闇の中に浮かび上がるような輝く想いが見えてきます。
 これほどの事を富姫に言わせておきながら図書之助は世の中に未練があって帰ると言うのです。
 でも、それを富姫は‘よし‘と思っている 玉三郎さんの自力の大きさが、そのまま富姫の懐の深さ大きさになっています。
 名前を聞いて‘お前‘から‘図書様‘になっても「今度来ると帰しません」とおっしゃる。
 玉三郎さんの貫禄勝ちです。

 帰したくないのであれば 帰さなければいいと言う薄に「真の恋は、心と心」と答える富姫の心情と大きさが見えます。
 ある意味、まだ余裕がある感じです。
 ここからの富姫・玉三郎さんと薄・吉弥さんのやり取りは、雰囲気がとても良いです。
 吉弥さん上手いし。

 それほどの富姫が 仲間に追われて三度天守に上がった図書之助を ついには自分の命をかけて守ろうとします。
 ここには少し前までの天守の主としての余裕は見えなくて ただ、図書之助へ想いだけが見えてきます。
 命がけの恋が舞台に現れるわけで 亀姫が帰った後からの時間でこのスゴイ大きな心の変化を玉三郎さんは見せてくれます。
 「私一人は、雲に乗ります、風に飛びます、虹の橋も渡ります。図書樣には出来ません。あゝ口惜い」
 「千歳百歳に唯一度、たった一度の恋だのに。」
 「舌を噛切ってあげましょう。」
 スゴイ情愛・・・。
 初めて見た「天守物語」の時から 私が一番好きな玉三郎さんの富姫です。

 で、この富姫・玉三郎さんのスゴイ情愛をガッシリ受け止めているのが海老蔵さんでございます。
 今まで自分が信じて疑わなかった人の世の関係が壊れていく 振り返れば、自分の心のありようは人の世にはなく 異界と言われる天守にあった。
 それに気付いた図書之助は富姫の元に戻ってきます。
 ‘人間同志に殺されては‘っと。
 海老蔵さんの存在感がこの変化をしっかり客席に伝えます。
 いい図書之助だと思いました。

 目の見えなくなった二人を救うのが桃六です。
 猿弥さん、頑張っていたと思います。
 この桃六って もう、存在感だけで舞台に現れますから 演じる側に篤み・深さがないと 舞台が浮いてしまいます。
 幕切れ前ですし 大変だと思います。
 年齢もあると思いますけれど 猿弥さんは大健闘であったと思います。

 一番はじめに(高校生の頃です)「天守物語」を見たとき なんで、ここで桃六が突然現れるのか?でございました。
 鏡花のお話の常ならぬ部分でございます。(^^ゞ
 芸術家によって若い二人が救われるっといった解釈を見かけますけれど でも、私にはいまだによくわかりません。(笑)
 ただ、ここで桃六が傷つけられた獅子頭の目を直す事で 富姫と図書之助の目が見えるようになり良かったと思うばかりでございます。
 だって・・・幕切れ前の富姫・玉三郎さんの素敵なこと 可愛らしくて、カッコよくて、美しくて、桃六が獅子頭の目を直す事で この玉三郎さんが見られるのでございますから 私はもう、それで十分なのでございます。(^^ゞ


○7月30日の感想
 この舞台に関して言えば これだけ完成度の高い舞台でございますので 短期間に大きな変化はないのでございましょう。
 ですけれど 今回も一番見たかった舞台は「天守物語」でございまして 幕開きから‘もっと観ていたい‘っと思いながらの観劇になりました。
 時間の過ぎるのが早かった・・・。
 何度観ても この舞台は大好きです。



おまけ
 ようやく、これで7月の観劇記録を書き終わりました。
 で、ブログにも最後に書きましたけれど 7月は歌舞伎座で‘大歌舞伎‘として泉鏡花の4作を上演したのですけれど まあ、賛否両論でありました。
 私は今回の上演は‘大歌舞伎‘で上演されてよい舞台だと思っております。

 べつに、私は歌舞伎の役者が舞台を勤めれば それは全て歌舞伎であるとは思っておりません。
 歌舞伎には歌舞伎の作り方があると思っています。
 私は歌舞伎の舞台は 役者のために、役者の持つ芸を見るために、舞台にいる役者をメイッパイ良く見るために、その役者でなければ見ることのできない舞台を見るために、あるのだと思っております。
 諸々の事がチョッとくらい変でも(笑) 全てが役者・人を見る事に集中していればOKなのでございます。
 そうして その様な舞台を見せてもらえれば良いのです。

 今回の舞台は原作は全て泉鏡花です。
 この原作は たぶん、歌舞伎というよりは新派であるかもしれません。
 ですけれど作り方は歌舞伎です。
 この‘作り方が歌舞伎‘だということが大事かと思います。
 全てが座組みの中の役者を‘よく‘見せる様に考えた舞台で それが絶妙なバランスで上演されたと思います。
 配役、演目の順番が良くて 原作や演出が必要以上に前に出る事もなく・・・後に残るのは舞台の上の人・役者さんの姿・・・って、良い感じです。

 もちろん、これは私の思うことでございますので、スラスラ〜っと流してくださいませ。(^^ゞ






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