2006年07月17日・30日        もくじへ戻る トップページへ戻る 
    歌舞伎座 昼の部   三階A中央の席・一階後方中央の席

  *夜叉ヶ池
    一幕
  *海神別荘
    一幕


夜叉ヶ池
 百合
 白雪姫:春猿
 萩原晃:段治郎
 代議士穴隈鉱蔵:薪車
 村長畑上嘉伝次:寿猿
 湯尾峠の万年姥:吉弥
 山沢学円:右近

  舞台は三国ヶ嶽のふもとにある鐘楼 主の晃と妻・百合が夕暮れに二人 村が日照りで
  難儀している話などしております。
  折から蚊など出る時刻、晃はいぶしてやろうと奥の間へ入ります。


  そるとそこへ一人、旅人がやって来ます。
  旅人は目の前にある見事な鐘が村で明六つに聞いた鐘である事に気付き 鐘楼に上がっ
  てもよいかと百合に尋ねるのでした。
  百合は、この鐘が日に三度しか撞く事ができない鐘であるゆえ 悪戯に杖で叩いたりしな
  ければ 鐘楼に上がっても差し支えないと答えます。


  百合が頼まれた茶を出すと 旅人は休みながら 村里は日照りで難儀しているが、ここは
  清水が湧いていると話し出します。
  百合は この湧き水は夜叉ヶ池が源なので枯れる事がないと話すのでした。
  旅人はこの話を聞き ここまで来たのは、その夜叉ヶ池を見るためだと言います。
  先を急ぎ、夜叉ヶ池を早く見たくなったと立ち上がる旅人は 百合に茶の代金を支払おうと
  しますが 百合は代金の代わりに何か面白い話を聞かせて欲しいと頼むのでした。
  これこそ変わった面白い話だと言いながら旅人が一つ話をはじめた時 奥の間から外の
  様子を窺う晃と目が合います。
  すると突然、旅人は今までの話を止め 行方がわからなくなった親友の話を始めるので
  した。
  これを聞いた百合は 困惑して旅人を追い返そうとしますが 奥の間から飛び出してきた
  晃が立ち去ろうとする旅人に声をかけるのでした。
  旅人は山沢学円、萩原晃の親友でありました。


  晃は学円に今までのいきさつを語ります。
  数年前、学円と同様に夜叉ヶ池を見に来た晃は、この鐘楼の鐘撞き・弥太兵衛の臨終に
  立ち会うこととなり 百合のために鐘を撞くうち歳月が過ぎたのでした。
  学円の申し出で 晃は夜道を学円と共に 夜叉ヶ池まで行く事にします。
  一人、鐘楼に残る百合は 寂しげに晃を見送るのでした。



  舞台は百合が一人で留守をする鐘楼 ここへ村里の与十が捕まえた鯉を抱えてやって来
  て明かりの消えた家の中を窺っていると 足元に、蟹が這い出し与十の足を挟みます。
  驚いた与十は捕まえた鯉を放り出すと逃げて行きます。


  人気のなくなった夜の鐘楼前。
  足を挟んだ蟹の精霊・蟹五郎と 危ういところで逃れる事ができた鯉の精霊・鯉七が現れ
  ます。
  助けられた事に礼を言う鯉七に蟹五郎が、なぜ村の者になど捕らえられたかと尋ねれば 
  鯉七は夜叉ヶ池の白雪姫の使いで村まで行くところであったと話します。
  鯉七も蟹五郎も夜叉ヶ池の主・白雪姫の眷属でありました。
  近頃の日照りに白雪姫は雨を降らせる様子はないかと尋ねる蟹五郎に それは白雪姫が
  知るところではない話だと鯉七は答えます。
  鯉七と蟹五郎が白雪姫の使いで村に向かって歩き始めると 折りしも、白雪姫の恋する千
  蛇ヶ池の主から恋文を預かった黒和尚がやって来ます。
  大事な文ゆえ案内を申し出た鯉七と蟹五郎でしたが 千蛇ヶ池の主から 近頃、不祥事を
  とがめられたばかりの黒和尚はここへ来て、文に自分への罰が書かれているのではない
  かと心配し始めます。
  これを聞いた蟹五郎が文を確かめるため はさみを使って文箱を開けるところへ 白雪姫
  が供のものを従えて現れます。


  文を見た白雪姫は 恋しい文の主、千蛇ヶ池へ行こうとするのですが 白雪姫が夜叉ヶ池
  を離れれば洪水となり村々が水に沈みます。
  これを諌める鐘の鳴るうちは 座を移してはならない約束と万年姥は止めますが 白雪姫
  は自らの恋をまっとうしようとするのでした。
  そこへ 晃の居ない留守に 子守歌を唄い気をまぎらわす百合の声が聞こえてきます。
  百合の唄う声を聞いて 白雪姫は いま、座を移せば晃と百合の命も亡くなると気が付き 
  千蛇ヶ池へ行く事を諦めるのでした。



  舞台は再び夜の鐘楼前 ここへ百合を追って村里の人々が大勢やって来ます。
  日照りが続くために 百合を雨乞いの贄にしようというのでした。
  晃が戻るまで待って欲しいと頼む百合を 村人が無理矢理、牛に乗せ連れ去ろうとすると
  ころへ 晃が戻ってきます。
  晃は百合を連れて村を去ろうとするのですが 村人は贄にする百合は村のものゆえ置い
  て行けと迫るのでした。
  この様子を見かねた学円が間に入り 二人を何とか行かせてやって欲しいと頼みますが 
  代議士の穴隈鉱蔵の命で村人たちは博徒と共に三人を取り囲み鐘楼へ追い上げます。
  そうしてついに 三人を取り囲む村人の目の前で 百合は晃のために鎌で胸を突きます。


  時刻はちょうど丑満 晃は鐘を撞くまいと撞木の綱を切ります。
  地鳴り山鳴りが起き黒雲が湧き起こり 夜叉ヶ池から巨大な水柱が上がると 人々を村々
  を押し流して行きます。
  晃は自らも鎌で喉を突き 先に倒れた百合と共に水にのまれていきます。


  あたりはすでに水に沈んで 残るはあの鐘の鐘楼のみ。
  嬉しそうに天に舞う白雪姫は恋しい千蛇ヶ池へ 淵となったこのところには晃と百合が共
  に微笑み だた、学円は一人 鐘楼で手を合わせるのでした。






海神別荘
 美女:玉三郎
 公子:海老蔵
 女房:笑三郎
 沖の僧都:猿弥
 博士:門之助

  舞台は海底の琅かん殿(ろうかんでん:‘かん‘が出ません。王に干と書きます) 折りしも
  主の公子が、かねてより望んでいた陸からの美女の輿入れを待っています。
  そこへ輿入れする美女の父親にあたえた品々を言上するために沖の僧都がやって来ま
  す。
  美女の父親は娘を公子に差し出す代わりに財宝を望んだのでした。
  公子と侍女たちは沖の僧都の話を聞いておりましたが やがて、美女の道中の様子を鏡
  に映して見ることにするのでした。


  美女は白龍馬に乗り、黒潮騎士(こくちょうきし)に警護され女房に付き添われて琅かん殿
  へ向かっています。
  しかし、美女は自らがどの様になってしまったのか、その生死さえもわからず 父親の約
  束のためにただ一人舟に乗せられ波に流されたのだと語るのでした。
  これを聞いた女房は 不安に思う美女を慰め これから琅かん殿へ輿入れするために行く
  のだから 嬉しくめでたい事だと言います。
  美女は海に流された事がなぜ 嬉しい事、めでたい事なのかと聞きます。
  女房が海の世界では嬉しくめでたい事なのだと話していると 海月になった人間の魂が
  美女の傍らに寄ってきます。
  美女は海月が人間の魂だと聞き、恥ずかしい事だと言いますが 女房は、公子の新夫人
  となる美女はもう人間ではないと言うのでした。


  鏡の中の美女の様子を見た沖の僧都が罪人のようだと言ったことから 公子は博士に
  美女が馬に乗った事例を調べさせます。
  博士は引き回しの刑について浄瑠璃など調べるのですが これを聞いた公子は、やはり
  美女が馬に乗るのは忌まわしい事ではないと言うのでした。
  折りしも、再び美女の映る鏡を見て 妻となる美女にふさわしい頸飾を探すよう命じます。


  公子は美女が到着する間 侍女たちと道中双六などに興じておりましたが その一人が
  鮫に銜えられてしまいます。
  鮫を退治すべく公子が鎧を身につければ たちまち鮫は逃げていくのでした。
  すると、ちょうどそこへ 黒潮の騎士に守られた美女が、女房に案内されて現れます。
  はじめは怯えていた美女でしたが 公子と語らい、慰められて 心穏やかになり この様
  子を見た公子は酒を用意させます。
  公子の酒を飲み、喜ぶ美女は 故郷に帰り自分が生きている事を知らせたいと言うのです
  が 公子は、もはや美女は人間からは蛇にしか見えないと答えます。
  しかし公子の言葉を信じる事のできない美女は どうしても故郷に帰して欲しいと頼み 公
  子はこれを許すのでした。


  故郷に帰った美女は やはり人間からは蛇体にしか見えず 悲しみの中、琅かん殿へ戻
  ってきます。
  そうして全ては公子の魔法によるものだと言うのでした。
  これを聞いた公子は激怒し、美女を殺すように黒潮騎士に命じますが、美女は殺すので
  あれば 公子自らの手で殺して欲しいと望みます。
  公子はためらう事もなく剣を抜くと、これを構えて美女を見ます。
  目が合い、美女は公子に 美しさ、気高さ、位の高さ、品のよさ・・・を見いだします。
  微笑み、死を待つ美女を公子は許し、共に終生を誓うのでした。




☆「夜叉ヶ池」は原作が泉鏡花で1913(T2)年に発表され 1916年(T5)に新派で初演されています。
 今回の舞台は玉三郎さんが監修をなさっておられるので 鏡花作品を一番はじめに玉三郎さんで見はじめた私にとりましては 全てにおいてとても見やすく溶け込みやすい舞台でございました。
 演出は別に石川耕士氏でございますけれど おそらく、玉三郎さんの監修はかなりのウエイトを占めているように思われ 泉鏡花の原作が持つ雰囲気を全く壊すことなく舞台が出来上がっておりました。
 おそらく、玉三郎さんでなければ この、異界の空気は具現化しなかったろうと思います。


○7月17日の感想
 舞台の進行はケッコウ早いテンポで進みまして 舞台がシンプルで転換もスムーズなので 間延びすることがございません。
 とくに、前半の百合と晃と学円の場面は 動きもそれほど大きくもなく、どちらかといえばゆったりな感じの台詞でお話が進みますので ここの場面でダレルことなく舞台が進行するのは客席で見ている側にとりましては お話の世界に入りやすい様な気がいたします。
 ただチョッと急ぎすぎの感じもいたしましたが・・・。
 これはマッタクの私の好みなのですけれど 幕開きから学円が来るまでの晃と百合の会話はもっと しっとり、して欲しかったです。
 春猿さんも段治郎さんも少し‘普通すぎ‘な感じなのです。
 「ああ冷い。水の手にも涼しいほど、しっとり花が濡れましたよ。」
 の台詞で もっとドキッとするような感じが欲しいと思いました。
 学円が舞台に出るまで この二人は非現実にいて現実にはいないのですから それが、伝わるようなものが欲しかったです。
 まあでも、許容範囲であったかなと思います。

 このお話では 現実と非現実、人の世と異界を結ぶのが学円です。
 彼は期せずしてこのお話の語り部になるわけで 夜叉ヶ池というお話の中で ただ一人、読み手(舞台の場合は客席)側の存在です。
 なので、幕開きから晃と百合の二人で居た時の雰囲気が 学円が
 「今朝、明六つの橋を渡って、ここで暮六つの鐘を聞いた。」
 っと言ったとたんに す〜っとその場の空気が変わります。
 このあたりの右近さん、軽すぎず‘普通っぽく‘さりげなく 現実を持ち込んでいらっしゃいました。
 百合と話をしている時も 白髪、年齢不詳の常ならぬ雰囲気の百合に対して キッチリ現実の存在を通しています。
 この右近さんの学円があってこそ 晃と百合は生きてきます。
 ここでの三人のバランスはとても良いです。

 学円が舞台に出て晃が鬘を取ったあたりから 段治郎さんの晃が、かぜん良くなります。
 歳相応になると申しましょうか 非現実の鬘を付けた白髪の老人から 現実の青年である自分に戻って存在感が出ました。

 ですけれど百合は違うのです。
 百合は白雪と対で、非現実の中心であるので 例え、見た目が歳相応になったとしても 現実にはゼッタイに来ません。
 その踏みとどまる あくまでも異界の空気を漂わせる感じが、途切れることなく後半まで続くのですが 春猿さんの百合はここのところシッカリ踏みとどまっておりまして 百合の芯を掴んでいる様に見えます。

 ここまでが前半で ここから村人・与十や 人でないもの・鯉七、蟹五郎、黒和尚が出ての展開になります。
 もう初日から11日も過ぎておりますので 間合いなどは良かったと思います。

 で、いよいよ後半、白雪が来ます。
 「ふみを読むのに、月の明は、もどかしいな。」
 から
 「お返事を上げよう・・・一所に・・・椿や、文箱をお預り。衆も御苦労であった。」
 まで。
 原作の台詞がすばらしいのです。
 で、この台詞をどれだけ客席に伝えてくれるかと言うことなのですけれど 春猿さん頑張っていらっしゃいました。
 たまに、あれっと思うほど玉三郎さんに似ている時がございました。
 でも、もっと激しくてもいいかもしれません。
 「可懐しい、優しい、嬉しい、お床しい音信を聞いた。」
 で、少しあまい感じで始まって クレッシェンドで続いて 最後に
 「ええ、煩いな、お前たち。義理も仁義も心得て、長生したくば勝手におし。生命のために恋は棄てない。お退き、お退き。お退きというに、え・・・諸神、諸仏は知らぬ事、天の御罰を蒙っても、白雪の身よ、朝日影に、情の水に溶くるは嬉しい。五体は粉に砕けようと、八裂にされようと、恋しい人を血に染めて、燃えあこがるる魂は、幽な蛍の光となっても、剣ヶ峰へ飛ばいでおこうか。」
 で、最高。
 やっぱり、鏡花の舞台は台詞が命というのがよくわかります。(^^ゞ
 ここは、吉弥さんの万年姥が光っていました。
 ズッシリ存在感があってカッコイイです。
 激しい白雪の台詞に対するのが万年姥の台詞ですので ここの場面の万年姥は篤さがないと面白くございません。
 吉弥さんの万年姥は気持ちの篤み、存在感、十分でございます。

 白雪:『姥、どう思うても私は行く。剣ヶ峰へ行かねばならぬ。鐘さえなくば盟約もあるまい・・・皆が、あの鐘、取って落して、微塵になるまで砕いておしまい。』
 姥:『えゝゝゝ仰せなればと云うて、いずれも必ずお動きあるな。まだそのようなわやくをおっしゃる。・・・身うちの衆をお召出し、お言葉がござりましては、わやくが、わやくになりませぬ。天の神々、きこえも可恐ぢや。・・・数の人間の生命を断つ事、屹とおたしなみなさりませい。』

 姥:『これは何となされます・・・取棄てて大事ない鐘なら、お前様のお手は待たぬ・・・身内に仰せまでもない。何、唐銅の八千貫、こう痩せさらぼえた姥が腕でも、指で挟んで棄てましょうが、重いは義理でござりまするもの。』
 白雪:『義理や掟は、人間の勝手づく、我と我が身をいましめの縄よ。・・・鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言わるる私が身に、袖とて、褄とて、恋路を塞いで、遮る雲の一重もない!・・・先祖は先祖よ、親は親、お約束なり、盟誓なり、それは都合で遊ばした。人間とても年が経てば、ないがしろにする約束を、一呼吸早く私が破るに、何に憚る事がある!あゝ、恋しい人のふみを抱いて、私は心も悩乱した、姥、許して!』

 え・・・どうでも良いのですけれどね・・・ここ↑声に出して読むと とってもいい感じなので抜いてみました。(^^ゞ

 ここから後は‘人でないものの方がよほど人らしくて 人のほうが人の心を持ち合わせていない‘っと言った感じでございます。
 原作の本を読みますと ドジョウやタニシになってもいいかな・・・なんて思ってしまうくらいなのです。
 ここ、本では
 >村一同昏迷し、惑乱するや、万年姥、諸眷属とともに立ちかかって、一人も余さずことごとく屠り殺す。
 って書いてあるんです。
 万年姥・・・こわっ (^_^;)

 代議士の薪車さん、いい感じでした。
 代議士には少しお若いかなっとも思いましたけれど それほど違和感なく見る事ができました。

 で、学円が囲まれた晃と百合を救おうと村人に掛け合うのですけれど 右近さん、ここはもう一踏ん張りお願いします。

 段治郎さんの晃ももう一踏ん張り。
 「支度が要るか、跣足で来い。茨の路は負って通る。」
 覚悟が欲しいです。

 春猿さんの百合は 頑張っていたと思います。
 「皆さん、私が死にます」
 で、ハットしましたもの。
 ‘私も‘でも‘私は‘でもなくて‘が‘なのですね、ここの台詞。
 鳥肌が立ちます。
 見た目、表面的にはおとなしくて誰かが守らないとっと思えるような百合は 実は白雪と同じ情愛を持っているわけで ここで、それが前面に出るのです。
 それが 春猿さんの百合に見出すことができます。
 なので、晃が後を追って 二人倒れて重なる姿を見ると‘どうして‘っと泣けてくるのでございます。

 この後の洪水の場面は布を使って上手く見せていたと思います。
 3階席から見ると舞台全体が見渡せますので この演出はとても効果的に見えました。
 幕切れ前は春猿さんの堂々たる白雪でございます。


○7月30日の感想
 4演目中、夜叉ヶ池が一番良くなっていたと思います。
 前回17日に観ました時もかなり良い感触であったのですが さらに、パワーアップしています。
 前半のお3人の台詞が以前よりとても良いです。
 もともと鏡花の書く台詞は いまの時代の口語調とは違います。
 今の感覚で見れば文語調に近いです。
 なので本を読んだ方が 耳で聞くより イメージが浮かぶのだと思います。
 30日に見た舞台は その台詞を会話として客席に伝える事が できていたと思います。
 文語調の台詞を流れる口語調の台詞の様に客席に聞かせる事ができていました。
 17日に観た舞台からすると スゴイですし上手いと思います。
 白雪の登場から後半は、舞台からのエネルギーで客席をねじ伏せているようでした。
 全体に17日に観た時よりも かなり、良くなっていて見応え聞き応えのある舞台になっていたと思います。

 前回見た時には春猿さんの百合も白雪も‘あれ‘っと思うくらい玉三郎さんに似ている時がケッコウあったのですが 今回は、ほとんどそれを感じませんでした。
 消化して一つ先に進んだ感じです。

 段治郎さんも良くなっていて 幕開きすぐから舞台を引っ張るようになっていました。
 やはり台詞が良くなったからだと思います。
 で、後半の迫力はカッコイイくらい凄かったです。
 百合をかばう晃の懸命な強さが伝わってきます。
 覚悟がハッキリわかります。

 右近さんも同様で台詞も良くなって‘らしい‘と言うのか‘説得力‘があると言うのか 学円に篤さを感じます。
 存在感があるのです。

 薪車さんの代議士も台詞がダンゼン良くなっています。

 そうして一番良かったのが 万年姥の吉弥さん。
 最高です。
 観ていて鳥肌が立ちました。
 じつは、白雪より存在感や篤さを感じました。
 この、吉弥さんの万年姥あってこそ 今回の夜叉ヶ池は面白かった様な気がします。
 台詞の一つひとつに 篤みがあり、勢いがあり、重いです。
 聞いていて 耳に心地よいですが さらにズッシリ体に残ります。
 迫力勝ちです。(^^ゞ


 おすすめ本
 





☆「海神別荘」も泉鏡花原作で1914年(T3)に発表され 1955年(S30)に新派で初演されました。
 このお話、私が読みました鏡花の‘人でないもの‘あるいは‘常ならぬ雰囲気を持つもの‘が出てくるお話の中では珍しく 異界の住人が男性なのでございます。
 どうも公子というのは龍宮城の乙姫様の弟で 龍宮城に対して別の所にあるから別荘なのだそうで お話の中に出てくる‘姉‘というのが乙姫様なのです。
 で、異界の住人が女性である場合 私はゼンゼン違和感を感じないのですけれど どうも、男性であると‘強引さ‘が目立ってしまって なんとなく、なじめなかったりいたしました。
 たぶん、母性と父性の違いなのかしらとも思うのですが‘私があなたを守ってあげます‘にしても 読んでいて雰囲気がまるで違うのでございます。
 で、異界の住人と 何らかのコンタクトを持つ人間というのがいるわけなのですけど それが、相手が公子ですから 当然、女性という事になり 美女なわけです。
 ところが この美女は、何と申しましょうか 屈折したところのない、ふわっとした女性なのです。
 それどころか、かなり人間的で その事を公子に諌められるほどです。
 異界でありながらケッコウ‘陽‘な感じのするお話なのです。


○7月17日の感想
 どうも、「海神別荘」ですけれど17日に見たところでは どうしたものでございましょう イマヒトツに見えてしまいました。
 どうも舞台の流れがイマヒトツと申しましょうか テンポがイマヒトツ乗らないと申しましょうか 確かにとても美しい舞台ですし 上手のハープの音色も素敵で舞台の雰囲気にとてもあっておりました。
 また、今回は3階席から観ておりましたので舞台全体を見渡すことができまして 黒潮騎士の並んだ動きがとても美しく見えました。
 海老蔵さんの公子もユーモアの中に厳しさ、潔癖さ、強さ、を見せてよかったと思います。
 玉三郎さんの美女は 申し分なくお綺麗でございましたし 海中を琅かん殿までやって来る間、ず〜っと海藻の様に揺れていらして雰囲気もよかったです。
 また、笑三郎さんの女房がシッカリした存在感がございました。
 舞台美術が天野善孝さんの舞台で、これもまた美しく素敵です。
 衣装もチョッと変わった感じでございまして とくに、侍女たちの衣装は打掛の様でそうでない 面白いデザインのものでございます。
 玉三郎さんは白のドレス、海老蔵さんはマントをヒラヒラさせていらっしゃいました。
 一瞬ですけれど・・・海老蔵さんを見まして宝塚かと思ってしまいました。(^^ゞ
 とにかく、視覚的、音楽的にとても素敵な舞台です。
 「海神別荘」は舞台が海の中で、お話の展開も時間や空間を飛び越える事が多いので これをシッカリまとめて舞台に出せるのは やはり玉三郎さんなのだろな〜っと思いました。

 なのに・・・どうもイマヒトツと思えます。
 たぶん、やはり聞いていて 台詞が耳に心地良く入ってこないからではないかしらっと思います。
 公子は真髄を突いた言葉を発します。
 はじめ、この言葉を受け入れられない美女は人の世に未練があります。
 実は、美女の言うことも また、角度を変えてみれば人として的を得た台詞なのです。
 それゆえ 人としては確かにそのとおりかも知れないと思える美女の言葉に対して 公子の言葉として発せられる台詞に芯になる強さがないと舞台に篤みが出てきません。
 本当に公子が‘そう思っている‘言葉でないと伝わらないのだと思います。
 美女は人の世に戻って もはや人とは寄り添うことができない事を知らされます。
 ここでも、公子の言葉は真実で 人の心のありようを突いています。
 ことごとく公子の言葉を信じられない美女が 最後に公子に殺される事を自ら選んだ時━死を選ぶ事で人としての想いを断ち切ったとき━今までの全ての公子の言葉を受け入れる事ができ ここで、それまでの台詞としての言葉の持つ意味が生きてくるのだと思います。
 鏡花は異界と人の世と 行き来しながら人の心のありようを浮かび上がらせます。
 本では それは文章としてですけれど 舞台では台詞です。
 舞台が劇的な展開を持って見えてこないのは 鏡花の舞台の根底にある文章・台詞が生きてこないからなのでしょう。


○7月30日の感想
 この舞台も17日に見たときより良くなっていると思いました。
 やはり台詞が流れる様によどみなく 文語調の台詞を上手に口語調で聞かせてくれている感じで とくに、海老蔵さんはメリハリがあって緩急すごく良いです。
 舞台の進み具合もダレル事がなくて 前半は17日に観たときは間延びした感じがしたのですが 流れが良くなって観ていて楽になりました。(笑)
 さらに舞台からの良い感じの緊張感が伝わってきて 場面場面で客席が固唾を呑んで見守る様な雰囲気があったと思います。
 っと、申しましょうか・・・ツボでないところでは笑わせない、舞台のエネルギーに圧倒されていたと言うか・・・その様な感じでございます。
 玉三郎さんの舞台って初日からいろいろ最後まで変わることが多い(っと言うか ほとんど)ですけれど 今回は玉三郎さんOnlyの舞台だから よけい変化が大きいのでしょうか?
 おそらく初日近くの舞台とはズイブン違う舞台になっていると思います。


 参考
 劇中のハープ使用楽曲
 ERIK BERGLUND
 「HARP OF THE HEALING WATERS」
 

 深草アキ
 「海を越えて」(「白鷺玉三郎in姫路」に収録)
 

 唯是震一
 「都路」


 舞台美術・衣装
 天野善孝オフィシャルHP内GALLERY
 http://www.so-net.ne.jp/amano/gallery/index.html
 上記ページ内SPECIALをクリック






もくじへ戻る     トップページへ戻る     五十音順へ戻る