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| 歌舞伎座 夜の部 一階後方中央の席 |
*井伊大老 一幕 *六世中村歌右衛門五年祭追善 口上 六代目中村松江襲名披露 五代目中村玉太郎初舞台 一幕 *時雨西行(しぐれさいぎょう) 長唄囃子連中 *伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば) 一幕二場 油屋 奥庭 |
井伊大老 井伊直弼:吉右衛門 お静の方:魁春 雲の井:歌江 仙英禅師:富十郎 舞台は三月二日、井伊直弼の下屋敷 側室・お静の方が旧知の仙英禅師と共に、今日 が命日の娘・鶴姫の菩提を弔っています。 弔いの後、昔の暮らしを懐かしく話すお静の方と仙英禅師でしたが 小屏風にある直弼の 書いた和歌を見た仙英禅師は 直弼の剣難を見抜きます。 ふと厳しい表情になった仙英禅師を見て 気がかりになったお静の方は、仙英禅師の弟 子にして欲しいと言うのですが 仙英禅師がこの願いを聞き届けると、やはり出家はでき そうもないと思いとどまるのでした。 仙英禅師が小屏風にある筆の跡から、直弼の剣難を見たことをお静の方に話していると ころへ 直弼がやって来ます。 お静の方が出迎えに向かうと 一人、仙英禅師は座敷を後にするのでした。 お静の方と共に座敷にやって来た直弼が、くつろいでいると 一人立ち去った仙英禅師が 残した「一期一会」と書かれた笠が届けられます。 これを見た直弼は仙英禅師が別れを告げたことに気付くのでした。 亡き娘のために飾られたひな壇の前で 直弼はお静の方と共に 以前の暮らしを懐かしく 語ります。 そうして 今の時勢での自らの立場を思い弱気になる直弼を励ますお静の方の言葉に 迷いを捨てる直弼でありました。 三月、春の雪が静かに降るのを見ながら 直弼は、これから後、何度生まれ変わったとし ても二人は夫婦だと言い寄り添うのでした。 六世中村歌右衛門五年祭追善 口上 六代目中村松江襲名披露 五代目中村玉太郎初舞台 下 中 上 手 央 手 藤吉又時勘福玉松東魁梅芝富仁左歌秀我菊雀 十右五蔵太助太江蔵春玉翫十左團昇太當五右 郎衛郎 郎 郎 郎衛次 郎 郎衛 門 門 門 時雨西行(しぐれさいぎょう) 江口の君:藤十郎 西行法師:梅玉 舞台は摂津国・江口の里 諸国を旅する西行法師は折からの通り雨に 目にとまった家 に一夜の宿を頼みます。 家の主・江口の君が頼みを断るので 西行法師は和歌を残し立ち去ろうとします。 すると江口の君は和歌を返し 西行法師を家に招くのでした。 江口の君の尋ねに、身の上を語る西行法師 これを聞き、自らの身の上を語る江口の君 でありました。 西行法師が江口の君の話を聞きながら心を静め目を閉じれば 遊女の江口の君は普賢 菩薩と姿を変えるのでした。 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば) 福岡 貢:仁左衛門 お紺:時蔵 仲居万野:福助 お岸:勘太郎 今田万次郎:松江 お鹿:東蔵 喜助:梅玉 第一場 伊勢古市油屋店先の場 伊勢の御師・福岡 貢は主筋の今田万次郎のために お家の重宝・名刀青江下坂とその 折紙を探しており 刀は手に入れたのですが 折紙がまだ見つかりません。 油屋の客の徳島岩次が折紙を持っているらしく 詮議のため油屋へ来た福岡 貢でした が 万次郎と恋仲のお岸から万次郎は油屋へ来るだろうから待つように言われます。 福岡 貢が万次郎に手に入れた青江下坂を渡すために油屋で待っていると 仲居の万野 がやって来ます。 福岡 貢は恋仲のお紺を呼んでほしいと言うのですが 断られてしまいます。 仕方なく万野の勧める代わり子を呼ぶ事にするのですが 今度は腰の刀を預かろうとする 万野と押問答になってしまいます。 そこへ福岡 貢の家来筋にあたる 料理人の喜助が来て刀を預かるのでした。 喜助は福岡 貢の廓通いに意見するのですが 折紙の詮議のためと聞いて安心します。 福岡 貢と喜助が奥へ行ってしまうと 様子をうかがっていた藍玉屋北六が仲間の徳島岩 次の刀と福岡 貢の持つ名刀青江下坂の中身をすりかえてしまいますが戻ってきた喜助 がそれに気付き 中身の入れ替わった徳島岩次の刀をそのまま福岡 貢に渡せばいいと 思案するのでした。 福岡 貢のところへお紺の代わりの遊女・お鹿が来ました。 お鹿は福岡 貢に恋文をもらったと言いますが 福岡 貢には覚えがありません。 そこへお紺が客の徳島岩次と藍玉屋北六たちとやって来て 自分の代わりにお鹿を呼ん だ不実を責めるのですが 福岡 貢は万野に言われて仕方なく呼んだと説明します。 これを聞いたお鹿は怒って 福岡 貢とは恋文を交わしただけでなく金も用立てたと言い 出し 驚く福岡 貢に証拠の証文を見せるのでした。 お鹿から仲立ちをしたのは万野だと聞いた福岡 貢は万野を呼びますが 万野は恋文も 金も福岡 貢に渡したと言い張り 逆に福岡 貢を罵倒するのでした。 我慢を続けてきた福岡 貢でしたが ついに腰の扇子に手がかります。 が、それでもなお我慢して引く福岡 貢に 今度はお紺が愛想づかしをはじめ とうとう 福岡 貢は怒りの中、油屋を後にするのでした。 福岡 貢に愛想づかしをしたお紺に藍玉屋北六や徳島岩次は喜び 持っていた折紙を 渡します。 ところが 福岡 貢が帰りがけ持って行った刀の方が 外見は徳島岩次の刀でも 中身は すりかえたはずの名刀青江下坂である事が知れ あわてて万野が後を追います。 中身がすりかわっていることを知らない福岡 貢は青江下坂を取り返しに油屋に戻って来 ます。 そこへ万野が戻って来て 福岡 貢と万野は刀をめぐって言い争いになり 鞘に入った刀 で万野を叩いていた福岡 貢でしたが 気付くと鞘が割れて万野の肩を切りつけていたの でした。 血を見て驚き「人殺し」と叫ぶ万野の口を押さえ とうとう切り殺してしまう福岡 貢なので した。 外見は徳島岩次の刀でも 中身はすりかえられた名刀青江下坂、そうとは知らずに 妖刀 に取り憑かれたごとく次々に人を切り殺していく福岡 貢でありました。 第二場 伊勢古市油屋奥庭の場 油屋の奥庭、大勢の人たちが踊る中 返り血を浴び刀に憑かれた福岡 貢がやって来ま す。 人々が逃げる中 刀を振り下ろす福岡 貢でしたが 捜しに来たお紺と出会います。 お紺の愛想づかしは折紙を手に入れるための偽りでありました。 お紺から折紙を受け取る福岡 貢ですが 刀は取り違えたと思っています。 自分のした事に気付き切腹しようとしますが 喜助が駆けつけ 福岡 貢が手にしている 刀こそ名刀青江下坂であることがわかり 刀と折紙が共にそろったことを喜ぶのでした。 |
☆「井伊大老」は北條秀司の作品で1956年(S31)の初演、この時のお静の方が六世歌右衛門であり また、一ヶ月の舞台として六世歌右衛門が最後に演じたのがやはりお静の方でございます。 この時の舞台の井伊直弼も 今回と同じく吉右衛門さんでありました。 今回の舞台は下屋敷での場面のみでございましたが とても趣といいましょうか いい雰囲気がございました。 今回の舞台は吉右衛門さん魁春さん富十郎さん お三人の実力勝ちでございます。 舞台上の変化もそれほどあるわけでもございませんし、台詞劇でございますので 客席で舞台からの台詞を聞いてイメージが浮かんでこないとダメなのですけれど それぞれの場面でス〜っと頭の中に映像が浮かんでくるのですね。 富十郎さんの仙英禅師の深い優しさ きっとまた、どの様な事になったとしても直弼やお静の方を見舞ってくれるのだろうな・・・と、思わせるものがございます。 たとえば ずっとずっと時が過ぎたある日、墓前でたたずむ仙英禅師の後ろ姿が思い浮かんだりするのです。 「み仏にもあやまちはあるものぞ」っとお静の方に言いはしても やはり直弼の直面するであろう現実は確実にあって、それがハッキリわかっていての「一期一会」であるわけで 禅師であるからそれを書き伝えて行くのでしょうけれど 昔からの友としての想いと禅師としての割り切りとが深い情の中に見えてきます。 吉右衛門さんの井伊直弼はドッシリ重いです。 充篤感がすごくて、カッコイイです。 それほどの直弼が号泣するのですね。 どうにもならない、身動きのとれない、せっぱ詰まった、そんな状況に耐えかねて。 たぶん、お静の方にしか見せない見せられない素顔なのだと思います。 あくまでカッコイイ直弼と、行き場のない思いを抱える直弼のスイッチが上手いです。 で、仙英禅師と直弼に対する魁春さんはやはりガッチリお二人を受け止めていらっしゃいます。 仙英禅師に「尼になりたい」と言いながら、弟子にしてやると言われて「やはりやめます。」っておっしゃる。 けしてスッキリできる立場ではないけれど でも、浮世あるいは直弼を忘れる事などできませんって感じがとても可愛らしいのです。 その淡い感じの可愛らしさがとても素敵です。 また、直弼にどっぷり頼っているはずなのに 充篤な直弼をたった一言で立ち直らせる、すごさを見せてくれます。 長く連れ添ったことの重みが伝わります。 それが、とても自然でわざとらしく見えないのでございます。 これから後の直弼を思えば なんとも言いがたい想いが残る けれどもしみじみとした落ち着きのある上質の舞台であったと思います。 ☆「六世中村歌右衛門五年祭追善 口上」の一幕は 六代目中村松江襲名披露と五代目中村玉太郎初舞台の口上も兼ねておりまして 名立たる役者さん総勢20名の豪華な舞台でありました。 片しゃぎりを打ち上げて幕開きでございます。 後藤芳世作の舞台で、道成寺の襖絵に 定紋の祗園守の欄間でございます。 で、やはり面白かったのは左團次さんと菊五郎さんでありました。(^^ゞ 思った事が一つ・・・なんで、今月の演目に「京鹿子娘道成寺」がなかったのかしら・・・。 ☆「時雨西行(しぐれさいぎょう)」は能「江口」を元にした長唄の舞踊で1864年の初演でございます。 能の「江口」は世阿弥の作で >天王寺参詣の僧が江口の里に立ち寄った折 「世の中をいとうまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」(世の中が嫌になり世を捨てるということは難しいことです、そうしてあなたは一夜の仮の宿を貸すことも惜しむのですね) と西行法師の歌を詠むと 江口の君の幽霊(前シテ)が現れ 「世をいとう人とし聞けば仮の宿に心とむなと思うばかりに」(世を捨てる人であると聞いたので仮の宿であっても遊女の家に宿を取るのはどうかと思いまして) という返歌の意味を説明します。 後半、僧が江口の君を弔っていると 江口の君(後シテ)が現れ舟遊びなどしているうち 普賢菩薩となって西の空へ去って行きます。< これを長唄の舞踊にしたわけですけれど この時に天王寺参詣の僧を、もとの西行法師にして 西行法師のお話にしたのが歌舞伎の舞台でございます。 ‘江口‘というのは神崎川が淀川本流から分かれるところにあった港町で 遊女の一大本拠地として繁栄したところで 今でも、大阪市に名前が残っています。 で、江口の君と言うのは そのような遊女の中の誰か一人といったところなのだと思います。 西行法師の梅玉さんは花道からの出で大口袴で少し能風です。 西行法師というのは武士の生まれの歌人ですが出家しています。 なので、衣装もその様な出家の感じで色合いがグレーです。 花道7・3での踊りから舞台に出ますが とても上品でスッキリして美しいです それに、やっぱりウマイです。 江口の君の藤十郎さんは 西行法師が舞台に出た後 上手からの出になります。 で、すみませ〜ん・・・ここいらあたりで意識が遠くなってしまいました。(~_~;) 昼夜通しで中幕の舞踊ですからね・・・もしかしたらダメかな〜っと思っていたのですけれど ヤッパリ意識が遠のいてしまいました。 ケッコウ頑張ったのですけれどね・・・。m(__)m ☆今月一番歌舞伎らしくて 一番期待しておりましたのが「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」でございます。 1796年に初演された舞台ですけれど この同じ年に起こった実際の事件を元にして作られた際物の舞台です。 この舞台、初演の頃から江戸と上方で共に上演されたそうで それぞれに演出が異なります。 近年の舞台は五世菊五郎の演出の舞台なのですけれど 今回は、この演出に上方の演出を取り入れての舞台で 十三世仁左衛門の舞台運びを当代の仁左衛門さんが受け継いでのものでございます。 で、やっぱり仁左衛門さんの福岡貢は最高ですね。 役どころはピントコナの御師ですけれど武士なのがハッキリわかります。 和事だけれどチョッとキリットしているって、マサニ今回の福岡貢です。 下にキッチリ武士があっての御師であることがわかるので 名刀の‘青江下坂‘や‘折紙‘を主筋の今田万次郎のために探している動機がかなりハッキリ見えてきます。 筋書きで仁左衛門さんが ”「二見ヶ浦」があるとわかりやすいけれど、今回はないので 客席にどのように納得してもらえるかが課題です”という内容のお話をなさっていらっしゃるのですが 動機付けは十分できていたと思います。 さらに、カッコイイです。"^_^" 背筋がピット綺麗で ぜったい、背中に棒が入っているに違いないと思うほどです。(笑) 花道からの出、黒羽織で・・・これ、なんと言う柄の着物なのでしょう白縮緬十字絣ではないのですね。 十字ではなくて‘キ‘なのです。 おわかりになる方いらっしゃいましたらすみませんお教えくださいませ。 m(__)m で、‘キ’なので柄が結構くっきり見えまして もともと線の細い方でございますから、よく映えて見えるのでございます。 決まり決まりでキッチリ決まるのですが とくべつ上方風に柔らかでもないのです。 がちがち力ばかりではありませんし 柔らかすぎでもなく スッキリ決まる感じでございます。 万野に怒る福岡貢も、それほど怖くも感じません。 あたりがソフトなのでございます。 これは、時蔵さんのお紺がいいと言うこともございましょうけれど お鹿との間にいても、妙な緊張感がありません。 なんと言うのか、廓でのお話として見ていられるのです。 すっかりこなれているのだと思います。 ここに先を思わせる様な妙な緊張感がないので 鞘走ってしまった時の ”あっ”というところが際立つように思います。 その上で決まる見得はとても綺麗です。 万野に怒って思わず腰に手がいって 刀がなくて扇子であるのに気付き さっと帯の後ろに手を持っていっての見得、万野に背を向けてスッと立った福岡貢が良いキマリです。 さらに後半、刀を持ってからのキマリが素敵です。 「奥庭の場」では上手の丸窓から出て渡り廊下(と、言うのでしょうか)を下手に向かって決まりながら進みます。 ここってケッコウ場面的には‘ヒドイ‘ところなのですけれど 上手から下手までと少し花道7・3で見せますが 時間的にそれほど長く見せられることがなかったので まあ、許容範囲かなっと思いました。 この演出は‘ヒドイ‘場面を長く見せられなくてすみますし、なにより舞台の流れがダレル事がありませんので良いと思いました。 また、今回はお紺が折紙を渡すところが「奥庭の場」になってからなのですが やはりこちらの方がお話の流れからすると良いと思います。 で、最後やっぱり‘なんでよかったのかな〜‘と思いつつキマリです。(笑) 時蔵さんのお紺も落ち着いた感じがよかったです。 篤さ重さがあって なんでこの場にいて、なんでこういう行動をしているのかがシッカリわかります。 ただ、わ〜綺麗だけではなくて ハラがあるというのでございましょう。 福助さんの万野はチョッと作りすぎている感じがいたしました。 万野って意地悪ですが 普通の仲居で、どこにでもこういう人って居そうだという感じだと思うのですが 今回の舞台の万野は居そうもない感じです。 東蔵さんのお鹿は‘けなげ‘なお鹿です。 三枚目ではありませんけれど でも、これはこれでいいのかなっと思いました。 ただ、‘けなげ‘なので福岡貢に斬られた時 見ていてチョッと引っかかるものが残ってしまいます。 梅玉さんの喜助は そりゃ〜良いに決まってます。 もったいないくらいっと思いました。 仁左衛門さんの福岡貢と二人で話をしている時など 福岡貢が二人いるのかと思うくらいです。(笑) 梅玉さん、万野をお勤めになりたいとおっしゃっていらっしゃいますけれど 私も梅玉さんの万野、見たいです。 今回は十数年ぶりに昼夜通しでの観劇になりました。 体が持つかな〜と心配でありましたけれど 何とかなりました。(笑) チョッと途中、意識が遠のいてしまいましたが これなら、今後も場合によっては通しで行かれそうでございます。(笑) |