2005年12月11日           もくじへ戻る トップページへ戻る 
    歌舞伎座 夜の部   一階後方東よりの席

  *恋女房染分手綱 重の井(こいにょうぼうそめわけたづな しげのい)
    一幕
  *杵勝三伝の内 船辨慶(ふなべんけい)
    長唄囃子連中
  *秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
    二幕三場


恋女房染分手綱 重の井(こいにょうぼうそめわけたづな しげのい)
 重の井:福助
 三吉:児太郎
 腰元若菜:七之助
 本田弥三左衛門:弥十郎
  舞台は丹波国の大名、由留木(ゆるぎ)家の奥座敷で 関東の大名、入間家へ輿入れが
  決まった調姫を入間家・奥家老の本田弥三左衛門が迎えに来たところです。
  しかし、調姫が東へ下るのを嫌がるので ご機嫌直しに門前を通りかかった馬子を呼び道
  中双六をする事にします。
  調姫の乳人・重の井に言われ馬子を呼びに出た腰元・若菜は 三吉というまだ子供の馬
  子を連れてきました。
  調姫、若菜、腰元たち、弥三左衛門も加わっての道中双六は調姫が一番に上がりの江戸
  に到着し、調姫は機嫌よく東へ下ることを承知するのでした。
  出立の用意のため皆がいなくなると 重の井は三吉に褒美の菓子を持ってきて もし何か
  あるときには自分を頼るようにと‘重の井‘と言う自らの名を教えます。
  ところが三吉はこの名を聞いて「母様じゃ」っと すがりつくのでした。
  三吉は重の井と奥家老の息子・伊達与作との間に生まれた不義の子でありました。
  同じ家中の鷲塚八平次のたくらみにより 伊達与作は家中を追われ 重の井は伊達与作
  との不義が知れるところとなります。
  しかし、父親の助命嘆願の切腹により罪を許され、調姫の乳人となったのでした。
  切腹した父の恩を思い また 馬子の三吉と輿入れを前にした調姫が乳兄弟である事が
  知れれば 調姫の名に傷がつき輿入れがだめになるかもしれないとのことから 重の井は
  親子の名乗りをする事ができません。
  名乗れぬ道理を三吉に話す重の井ですが三吉は親子三人で暮らしたいと泣くのでした。
  奥から重の井を呼ぶ声に、この場を立ち去ろうとする三吉でしたが これを重の井が止め、
  持ち合わせの金を与えます。
  が、三吉は金を投げ返して泣くのでした。
  重の井は泣く我が子を膝に抱きかかえると やはり泣き伏すのでした。


  舞台は玄関先、調姫が東に向け出立します。
  三吉は近習たちに無理に歌うよう言われた馬子唄を歌い終えると泣きながらこの場を去り
  重の井は涙をこらえて後ろ姿を見送るのでした。






杵勝三伝の内 船辨慶(ふなべんけい)
 静御前 平知盛の霊:玉三郎
 武蔵坊弁慶:弥十郎
 源義経:薪車
 船頭:勘三郎
  義経は兄・頼朝と不仲になり 家臣の者たちと都を落ち延び摂津国大物浦から船で西国
  へ向かう事になります。
  ここまで義経と共にいた静御前を都に帰した方がいいとの 弁慶の勧めにより義経は静御
  前を都へ帰すことにします。
  弁慶は静御前を訪ね義経の言葉を伝えますが 静御前は弁慶の考えた事と思い 義経
  に会いに来ます。
  しかし、義経からも都に帰るように言われ 悲しむ静御前でしたが別れの杯を交わすと
  弁慶より渡された烏帽子を着して舞い始めます。


  >傅へ聞く陶朱公は勾践を伴ひ 會稽山に籠り居て・・・

  と、義経の再起を思い舞うのでした。
  静御前は舞い終わると 涙の中、烏帽子を落として 都へと一人戻るのでした。


  静御前の悲しい舞を見て もらい泣きしてしまったと言いながら船頭がやってまいります。
  弁慶も同様であったと言った後 船頭に船の準備を尋ねます。
  船頭は速い船を用意し、いつでも船出できると言うのですが ここへきて義経は天候が悪
  いので宿泊すると言い出します。
  平家追討の時には嵐でも出航したのであるから これは静御前への名残とみた弁慶は直
  ちに船を出す事にいたします。
  船頭が船を漕ぎ出すと しばらくして雲が広がり風が出てきます。
  これを見て、郎党たちが不吉な事を言うので弁慶が船頭に謝っていますと 海の上に平家
  一門の亡霊が現れます。


  >悪逆無道のその積り。
    神明仏陀の冥感に背き天命に沈みし平家の一類・・・


  するとそこから平知盛の亡霊が現れ 義経一行を海へ沈めようと襲いかかってきます。
  しかし義経はあわてることなく太刀を抜き戦いましたが 弁慶が間に入り数珠を取り出し
  祈るのでした。
  弁慶の祈りに亡霊が遠ざかると船は岸に向けて進みだします。
  なおも追ってくる亡霊でしたが 弁慶の祈りの前に海中へ姿を消します。






秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
 松浦鎮信:勘三郎
 宝井其角:弥十郎
 お縫:勘太郎
 大高源吾:橋之助

 序幕 両国橋の場
  舞台は元禄十四年十二月十三日の両国橋のたもとです。
  雪の降る中、俳人・宝井其角は 旧知の赤穂浪士・大高源吾に出会います。
  以前、大高源吾は宝井其角に指南を受けておりましたが 今は浪々の身となり煤竹売り
  をしております。
  大高源吾は宝井其角に勧められ自らの近況を語り、帰りがけに宝井其角が拝領した松浦
  鎮信の羽織を受け取ります。
  大高源吾がこの場を去ろうとする時 宝井其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み 
  大高源吾は「明日待たるるその宝船」と付句を詠み この場を後にするのでした。


 第二幕 第一場 松浦邸の場
  舞台は翌日の十二月十四日 松浦鎮信の屋敷です。
  主人の松浦鎮信と家臣の者たちが宝井其角と句会をしておりましたが 茶を持ってきた
  お縫を見て松浦鎮信は不機嫌になります。
  松浦鎮信は大石内蔵助とは山鹿流の同門でありましたが 赤穂浪士が敵を討たない事
  に腹を立て 宝井其角の口利きで腰元として奉公していた大高源吾の妹・お縫に暇を出
  すと言うのでした。
  しかたなく宝井其角はお縫を連れて立ち去ろうとしますが 昨日、大高源吾に会った折の
  句と付句を詠みます。
  これを聞いた松浦鎮信は大高源吾の本心を悟ります。
  その時、隣の吉良上野介の屋敷から山鹿流の陣太鼓の音が響き 松浦鎮信は助太刀に
  出かけようとするのでした。


 第二幕 第二場 松浦邸玄関先の場
  助太刀しようとする松浦鎮信のところへ 仇討の本懐を遂げた大高源吾が来ます。
  討入りの様子を聞いた松浦鎮信は赤穂浪士の忠義をたたえるのでした。




☆舞台の「重の井」は 1751年初演の時代浄瑠璃「恋女房染分手綱」全十三段の十段目にあたります。

 ここまでの 大まかなあらすじは・・・

 油留木(ゆるぎ)家家臣・伊達与作は若殿から預かった身請けの金を家中の鷲塚八平次に奪われ さらに 腰元・重の井との不義が知れるところとなり 追放されてしまいます。
 重の井は能役者の父が罪を引き受け、身代わりに切腹したことで 父の情に免じ罪を許され 伊達与作との不義の子・与之助を乳母に預け 自らは油留木家の調姫の乳人となります。
 与之助は乳母と暮らしておりましたが 父親の行方もわからず、母親も乳人奉公していて会うこともできません。
 乳母は与之助が五つの時に亡くなってしまい 乳母の子の一平が父親・与作を捜しに行き 与之助は在所の衆が養い、ようやく馬追を習って今は馬借に奉公しています。

 で、この後が今回の舞台のお話でございまして 輿入れすることになった調姫のご機嫌直しのため 偶然、門前を通りかかった与之助こと三吉が重の井に呼ばれるわけでございます。
 さらに舞台のお話の後は・・・。

 伊達与作は丹波与作と呼ばれ 遊女・小万と恋仲になっております。
 三吉は重の井と別れた後 与作と出会うのですが互いに親子と気付かずに 金の工面のため与作から頼まれ 盗みをして捕らえられます。
 しかし、乳母の子で旧臣の一平に助けられます。
 この後、与作は主家へ帰参する事ができ 重の井を妻に小万を側室にし 与之助と共に鷲塚八平次を討つのでした。

 っと、いった感じでございます。
 参考:
 カブキ101物語 渡辺 保 編
 十二月筋書き
 床本
 http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon/koinyoubo.html
 トップ:http://homepage2.nifty.com/hachisuke/index.htm

 今回は福助さんの重の井、児太郎さんの三吉でございまして まさしく成駒屋の舞台かな〜などと思ってしまいます。(^^ゞ
 このお話は「子別れ」物の代表的な作品なのだそうでございます。
 重の井は奥勤めでございますから‘かたはずし‘の鬘で姫の乳人なので額の上に小さな頭巾を付けております。
 なので重の井のお役を「片はずし」というのでございましょう。
 奥勤めの気丈夫なお役でございます。
 姫のすぐそばにいてあれこれ取り仕切る、忠義大事の女丈夫 乳人の品格と優しさを持つということなのであります。
 で、この姿でそのような感じのキャラクターだとわかるわけでございます。
 さらに重の井の衣装・打掛が豪華でありまして 今回、調姫の隣にいる時‘うこん色‘の地 二度目の出の時は黒地に菊、梅、牡丹、などでございましょうか お花の刺繍でございます。
 下の小袖(っと言うのでしょうか)が猩々緋(しょうじょうひ)の色合いですので ますます豪華な感じです。
 この豪華な感じの重の井の打掛に 馬子姿の三吉が袖を引いたり、裾を引いたりするわけで 悪気のない一心な子供と、しがらみイッパイの母親・重の井が なんと言うのか見た目にジーンとくる様な対照で見えてきます。

 全体に福助さんの重の井は 幼稚園とか小学校とかでご一緒するお母さん風でございまして まあ 見る方の年齢などによって軽いとか思われるのかもしれませんけれど 私は今の子育て中の親の範疇でケッコウすんなり気持ち的に理解できたように思います。
 ただ、はじめにも書きましたけれど重の井は奥勤めの姫の乳人でございまして「片はずし」といわれるようなお役でございますから あまり軽いのはどうなのでございましょうね・・・。
 ここはバランスなのかしらっと思うのですけれど 今回、福助さんはこのバランスとてもよかったと思うのです。
 あんまり重たいと、ただ融通のきかないおばさんに見えてしまいそうなので。(^^ゞ
 で、はじめ三吉にすがりつかれて
 「ああこりゃ、こりゃ」ってところなど 今風で‘なに、この子。‘みたいな‘目が点‘みたいな感じでありまして けして軽いわけではなくて今の親の感覚なのでございます。
 この後、やはり三吉が我が子とわかって いろいろ三吉に話聞かせて帰そうとするのですが ケッキョク呼び止めてしまうんですね。
 「まちゃ、これ まちゃ・・・」って・・・。
 そりゃあ 割り切れるわけないですもの。
 戻ってきた三吉を膝の上で抱きかかえて
 「かわいや、かわいや、」
 ゼッタイ泣けると思ったのでハンカチを手元に出しておいて正解でありました。
 子役が活躍する舞台でございますから 子役が目立つのですけれど 福助さん負けておりませんでした。(笑)
 私はシッカリ福助さんで泣けましたから。(^^ゞ
 思いますに、昔の様にかしこまって堅苦しいという事ではないけれど、けして型が決まっていないわけではなく 決まるところは決まっていて、それで‘今‘の感じが見えるようでございました。
 児太郎さんも頑張っておりましたけれど やはり年齢的に大きいので、重の井が膝に乗せてのクドキでは ようやく膝に乗ってるな〜っという感じでありました。(笑)
 ですけれど、逆にもうシッカリできる年齢でもございましょうから 台詞などもキチットしていてとてもよい‘自然薯’ぶり 親子で暮らしたい一心の無垢な子供ぶりだったと思います。
 他、本田弥三左衛門の弥十郎さんが暖かい感じのいい「赤じじい」でございました。
 それにいたしましても 一番はじめにあの「赤じじい」の赤い衣装を思いついた人はスゴイ感性の方だったように思うのですけれど・・・。





☆今回の船辨慶(ふなべんけい)は 黙阿弥作、九代目團十郎の新歌舞伎十八番、杵屋正次郎作曲の船弁慶ではございませんで 1870年に二世杵屋勝三郎が作曲した曲を使った新しい演出・振付の舞台でございます.
 「杵勝三伝の内」と角書がありますのは このためでございます。
 2005年6月に玉三郎さんが南座で初演いたしまして 今回、東京歌舞伎座での初演となります。

 で、夜の部 玉三郎さん大好きのワタクシが期待しておりました演目がこの「船辨慶」でございます。
 歌舞伎の松羽目物と少し違って 舞台は全体的に落ち着いた感じで 渋いというより玉三郎さんですからセピア色の感じでございます。
 舞台上は能舞台を思わせる破風の屋根で 落ち着いた色合いの松が後ろでございます。
 花道の幕も能の揚幕同様 チャリンと音はいたしません。
 長唄囃子の方々は黒の小袖にグレーの裃で紋は玉三郎さんの‘のし菱‘の衣装でありました。
 舞台は全体に能の雰囲気で展開してまいります。

 弁慶・弥十郎さんが花道より出てまいりまして 状況説明的な台詞で始まるのでございますが ここでは弁慶の台詞も長唄の曲も能がかりでございます。
 ですけれど一度、三味線が鳴りますと一気に歌舞伎になります。
 この舞台 役者さんは能風な台詞まわしでございますし 玉三郎さんはオモイッキリお能していらっしゃるので 舞台の能がかりな感じと歌舞伎の感じの使い分けが長唄が持つ割合がとても大きいのでございます。
 ワタクシ今回ほど歌舞伎の舞台で‘音‘・‘曲‘の持つパートが大きいと感じた事はございませんでした。
 名曲だと解説などで見聞きする曲を舞台で聞く事もございますし それはやはり理屈でなく‘鳥肌もの‘ですばらしい曲なのですが そういう事とは少し違った意味合いも含めて、この舞台での船辨慶の二世杵屋勝三郎の曲はすばらしいと思いました。
 曲が舞台・場内の‘色‘を 曲のみで変えます。
 舞台の役者さんだけを追っていると 能と歌舞伎のスイッチが見づらいのですが 耳を使うことでこのスイッチがみごとに切り替わります。
 歌舞伎は文字どおり歌・舞・伎・だとわかるのでございます。

 玉三郎さんは 基本の立ち姿から能の型でございまして ここから前半の静御前の間はマズその速さが能でございました。
 前シテで、かなり能がかりな部分が目立つのは動く速さを含めて舞台の進む速さが能だからかと思うのでございます。
 能の進行する速さは 歌舞伎はもちろん狂言でもなくて かなり現実から離れた速さでございます。
 メチャクチャゆっくりなのです。
 しかし、それゆえ強い気を放って動く時には 恐ろしいほど速く重く篤く感じるのでございましょう。
 この歌舞伎にしては超ユックリな動きが能を強く感じさせるのかと思うのでございます。
 ですけれど 私が観にまいりました日には、かなり拍手も掛け声も掛かっておりました。
 っと、いうことは‘間‘は歌舞伎なのでございましょう。
 能の舞台で途中で拍手があるなどということはございませんから。(笑)
 まして掛け声は掛かりませんね〜。
 このあたりの微妙なバランスを玉三郎さんの ある意味、腕力でねじ伏せているかな っと思いました。
 ニヤッとしてしまうところなのでございます。(^^ゞ
 それにいたしましても 弁慶に呼ばれて花道から出てくる静御前はかなり長い間ユックリと逆の7・3あたりで台詞を話しているので おそらく一階席でないと、この間ぽっかり隙間ができてしまいそうでございます。
 ようやく超ユックリペースで舞台に来て それからが静御前の別れの舞になります。
 ここも能がかりな舞でありまして ですけれど、この舞が‘静‘なので後シテがより生きてくるのでした。

 で、衣装がとても美しいです。
 前シテの静御前の衣装は やはり能の装束でございます。
 能の女性の装束で「唐織」です。
 「唐織」の装束というのは能装束の中でも もっとも豪華な装束だそうで 柄は草花を使ったものが多いのだそうでございます。(参考@)
 玉三郎さんの静御前の衣装は 金地に赤系の花です。
 それに鬘帯を頭に結んでおります。
 面を付けていないというだけで 後は能の船弁慶の静御前の装束そのままです。

 前シテの後、後シテまで 間狂言風に船出の場面がございます。
 ここでの船頭は勘三郎さんでございますが 太郎冠者の衣装なので ここは間狂言に位置するわけねっとわかります。
 前シテで あの広い歌舞伎座がかなりの緊張感でありまして それを切らさずなおかつ気分を変えるわけで ケッコウ難しいのではないかしらっと思いました。
 確かに笑いを取っておりましたけれど 勘三郎さんご自身は見ていてやはりかなりの緊張感を持っていらっしゃったように見えました。
 舞台の気迫はすごいものがありましたから。
 十二月の筋書きの中で勘三郎さんが「いつものとは違って台詞が大変」と、おっしゃっていらっしゃいますけれど やはりこのあたりも今回の船辨慶が能の舞台に近い感じであるゆえかと思います。(B参考)

 後シテは玉三郎さんの知盛の霊でございますが ワタクシこういう声の玉三郎さんを拝見するのは初めてでございます。
 元々、背の高い玉三郎さんでございますから 銀の鍬形がついた黒頭の鬘で あのオナカから響く低めの声は カッコイイですね!!!
 隈取は能面の「怪士(あやかし):男性の亡霊」にちかく、鬼の様に怖いのではなくて 深い怨情をたたえた感じでございます。(A参考)
 衣装は金の法被に亀甲の模様の厚板だと思います。
 これは能の装束より見た目スマートで華やかな感じでありまして やはり玉三郎さん風でございます。
 全体的に動きにやわらかさのある平知盛でありました。

 今回の舞台は観ておりまして、やはりかなり‘張り詰めた感じ‘‘緊張感‘といったものが あの広い歌舞伎座の場内に広がりまして 見終わってかなり疲れました。(笑)
 ですけれど 私は今回の船辨慶は回数を観たいと思います。
 歌舞伎座で、大歌舞伎で観たいと思います。
 玉三郎さんのHP(今月のコメント2006年1月)で以下の様なコメントが載っております。

 >夜の部の船辨慶は、私としましては、今まで経験のなかった役柄であるだけに、どのように自分が演じてよいのか、どういうふうに受け止められているのか、ということが厳密に感じ取れないまま千秋楽を迎えたという気持ちがありました。しかし、このような新しい試みも行いながら、また次の違ったお芝居なり、役柄に入る時の経験になればと思っております。自分自身の経験になるだけの為に上演させていただくということは、大変失礼な話しですが、そういう気持ちが自分の中にありました。

 試みであったといったことなのでありましょうか。
 ですけれど、マッタク私の個人的な考えでは 歌舞伎の新しい演出、演目への切り口に小劇場やシェークスピアを考えるのであるなら その切り口を能に求めて演出家ではなく自らの手で舞台を創った玉三郎さんは まさに歌舞伎の本道だと思うのでございます。
 なので やはり私の個人的な願望といたしましては このままの能の雰囲気・アウェーで玉三郎さんの地力でねじ伏せるようであっても、またモット歌舞伎に引き寄せても 玉三郎さんの船辨慶は大歌舞伎での舞台を回数観たいのでございます。



参考
@トップ:http://www.nohbutai.com/index.htm → 能楽入門 → 能装束の三番目鬘物・鬘物
Aトップ:http://www.nohbutai.com/index.htm → 能楽入門 → 能面の五番目切能物・切能2
Bhttp://www.ses.usp.ac.jp/users/nougakubu/tan6-zenbun.htm
 (トップ:http://www.ses.usp.ac.jp/users/nougakubu/index.htm)





☆松浦の太鼓は、初代吉右衛門の当たり役、十作を選んだ秀山十種の内の一つです。
 秀山と言うのは吉右衛門の俳号だそうでございます。
 忠臣蔵の外伝でございまして 1856年の初演です。
 先代・勘三郎の当たり役であった舞台を 今回、勘三郎さんが初役で演じました。

 季節的にタイムリーな演目でございましたし 全体に 忠臣蔵ではありますけれど、深刻な内容のお話ではありませんので わりとノンビリ楽に観ていられました。
 前の舞台で疲れたせいもありますけれど ‘あ〜歌舞伎の舞台だわ‘って感じでありました。(笑)
 二幕三場の舞台ですが 私は序幕・両国橋の場が一番、歌舞伎の舞台らしい雰囲気・風情が感じられて良かったと思います。
 この場面での橋之助さん・大高源吾は、まさに赤穂浪士の雰囲気がございましたし また 弥十郎さん・宝井其角も俳人といった風情と人の良い感じが舞台を篤くしておりました。
 とても落ち着いた感じの、暖かさや情のある 印象の良い場でございます。

 で、この様な出だしでございましたが 二幕目になりまして、はじめ句会のあたりまでは この落ち着いた雰囲気があったのですけれど どうも、お縫に暇を与えるあたりから ダンダン勘三郎さん・松浦鎮信が‘軽く‘なってまいります。
 面白いし、楽しくもございますけれど チョッと雰囲気違うかもしれないな〜っと思ってしまいました。(^^ゞ
 ‘軽さ‘にカッコよさがございません。
 ここはできれば見ていてニット笑みが浮かぶような 篤くて重さがあってカッコイイ‘軽さ‘がほしい気がいたしました。
 ですけれど、陣太鼓が鳴るあたりから俄然いい雰囲気になってまいります。
 指折り陣太鼓の鳴る音を数え 討ち入りに気付くあたり盛り上がります。
 ‘お〜、やってくれたな!!!‘っといった気持ちがドット場内に伝わります。
 たたみかける様な展開はやはりスゴイです。

 なのに、玄関先の場になると マタマタ軽くなってしまって 本懐を遂げて面会にやって来た大高源吾も なんだか、いま敵討ちをしてきた人にはチョッと見えないくらい軽くなってしまっていて 先ほどまで討ち入りであった事を感じられないのでした。
 台詞では討ち入りの様子を語っておりますけれど 心情として舞台から伝わるものがありません。
 確かに最後の演目でございますし 楽しく終われればいいのでしょうけれど でも、少しズレているのかな〜などと思いました。

 他、勘太郎さんのお縫は可愛らしくて どうしてあんなに大きいのに可愛らしく見えるのかな〜っと思うほど線が細くて綺麗に見えました。





 今回は、一階席で大正解でございました。
 けっこうチケットを取るのに 気に入った所が取れなくて日にちの方を調整したのですが でも、一階でよかったです。
 一番観たい演目が「船辨慶」でございましたので 花道が完全に見えないと、静御前の出のところが つらかったと思います。(^^ゞ






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