不思議                    もくじへ戻る トップページへ戻る

 なぜか理由はハッキリと分からないのですが、結婚したら子供を産んで
育てると思い込んでおりました。
 結婚しようと思ってもいなかったくせにです・・・。
 たぶん母が日ごろ ‘子育てはしたほうがいい。‘ と言っていたからでは
ないかと思うのですが・・・。
 でも、なんで子育てしたほうがいいのかは‘?‘です。
 確かに子供がいると大人だけでは得られない世界があります。
 でも、子供がいると手に入らない世界もあるような気もします。
 だから、いいかどうかは‘?‘だと思うのですが・・・。
 でも、私はやっぱり思い込んでいました。
 どうしても子供が欲しいと思っていたわけではありません。
 合法的に結婚した場合にそれに出産子育てが付いてくる、と言った
感じなのです。
 結婚したのが三十四歳になろうかという一歩手前。
 さっさと産みきってしまわないと、後が大変になるんじゃないかと思いまし
た。
 仕事もしていましたし、ウメ婆ちゃんの介護の手伝いなどもあります、
引越しの後片付けもまだ全部済んでいませんでした。
 結構いろいろ忙しかったのですが、そこはもうバルカン人なみに頑張り
ました。
 で・・・連れ合いのガンバリのおかげもあって、かなり早く子宝を授かった
のでした。

 ところがはじめての妊娠ということもあって、まったくマヌケた話ですが
悪阻がきても夏ばてだと思い込みさんざん胃薬など飲んでしまってから
ようやく産科に行って 妊娠に気付いたのでした。
 産科の先生に
 「結婚していて、原因がわからずに気持ち悪いなんて事があったら
胃薬なんか飲まずにすぐ産科に来なくちゃだめだよ。」
 と、叱られてしまいました。
 これから後、私はこのはじめて経験する体の変化に ただただ戸惑う
ばかりなのでした。
 だいたい、妊娠した事を知って 周りにいる人たちは皆
 「よかったね。おめでとう。」
 などと、言います。
 連れ合いもとても喜んで
 「よかった。」
 と、言いました。
 たぶんこの時、戸惑いと不安な気持ちを持ったのは私だけだったのだと
思います。
 でも、これはひょっとすると妊娠を経験した女性の中には同じ様な思いを
もった方もいたかもしれないと思うのですが・・・。
 私は、産科の医者に
 「産むんでしょ?」
 と、聞かれて一瞬戸惑ったのを覚えています。
 すぐに答えられなくて、なんとなくあいまいな返事をしたのでした。
 妊娠初期というのは 子供が自分のお腹の中にいるという事が感覚として
まだ実感できません。
 お腹が大きいわけでもなく、お腹の子供が動くわけでもないからです。
 ただあるのは、体の不調だけです。
 だから、おめでたいも何もあったものではなくて なんとか体調を立て直そ
うという思いと、これから先どうなるのかという不安と、何よりも増して 新し
い命 新しい人がこの世に生まれ出てくる、自分がそれに加担している
(うまく言い表せないのですが・・・)、その生まれ出てきた人の人生の一番
最初に自分がいる事になる、新しい命とその命が歩むであろう人生に対し
ての自分が受け持つ責任の大きさ、そういった事に対する戸惑いと 少し
ばかりの恐怖すらあって、とても‘よかった‘などといった気分ではなかった
のでした。
 なんというか・・・とんでもない事をしてしまった様な感じなのでした。

 それにつけても、とにかくはじめての事なので自分の体のこともお腹の
子供のことも まるでわかりません。
 いまどういう状態なのか、これからどうなるのか、何をすればいいのか、
何をしてはいけないのか。
 母のすじ子さんに聞いても、
 「私が、あんたを産んだのはずいぶん前だからね・・・。」
 「そんなことぁーわかってるって!」
 「よくおぼえてないなー。」
 「・・・・・。」
 あーもー・・・気持ち悪いは、だるいは、しんどいとこもってきてこれだもの
嫌になる・・・。
 けっきょく、本屋に行って‘はじめての妊娠と出産‘という様な本を三冊ほ
ど買い込んで来て読んでみたのでした。
 三冊ともみんな同じ様な事が書いてありました。
 まず、お腹の子供が週数から見てどの位なのかしらべます。
 「おー・・・なんだこりゃ・・・頭がでかくてソラマメみたい。」
 いろいろ読んでみると面白いのですが、私の体の不調はどうにもならない
ようなことが書いてあって、けっきょく我慢しないとだめだとわかったのでし
た。
 しかし、まーなんと言うか 私は当時仕事をまだしていたわけで‘体が辛く
なったら少しでも横になって休みましょう。‘ などと書いてあっても
 「仕事中に横になって休めるかよー。」
 といったぐあいで、いまひとつ決め手に欠けるのでした。
 先ごろ読んだ新聞に‘仕事を持つ妊婦さんは十分仕事で体も精神的にも
疲れるのだから せめて休みのときはシッカリ休みましょう。掃除などの
家事もソコソコニとにかく体を休めましょう。‘ などといった内容の事が
書かれていました。
 私が妊婦だった九年前にはなかった文面でございます。
 当時は‘妊娠は病気ではありません。だから大事にしすぎることはありま
せん。家事なども、軽い掃除などはやりましょう。散歩などにも出かけて歩く
のもいいでしょう。‘ などと書かれていました。
 でもね・・・。
 妊婦だって十人十色。
 昔の人がよく言うように、お産の前日まで仕事してても大丈夫な人と
そうでない人といろいろいるわけです。
 出産の時の妊婦さんの年齢だってどんどん上がっているわけだし。
 二十代と三十代じゃ体の負担だって違ったりするわけだし。
 あたりまえのことなんですけどね、あらためて本なんかに書いてあると
それが全て正しいと思っちゃうわけで 自分の体は本に書いてある事とは
違っているのに気付いたのは私の場合は初めの超難産の出産を終えて
からなのでした。
 私が妊娠後期、仕事の疲れがたっまていよいよ様態が悪くなって病院へ
行った時、産科の先生が
 「掃除しなかった? 散歩は?」
 と、聞きました。
 「いいえ。どっちもしてませんけど、仕事してるから。」
 「あーそうか。仕事で疲れちゃったね。最近の妊婦さんなぜだか掃除とか
散歩とかして調子悪くする人多いんだよね。なんでそんなに掃除なんか
したがるのかな・・・。」
 私は心の中で ‘たぶん、そう書いてあるからだと思いますけど・・・。‘
 と、つぶやいたのでした。

 ようやく私が、自分は妊婦なのだと思えるようになったのは五ヶ月に入っ
て腹帯をしてからです。
 嫌でも今まで着ていた服が着られなくなって見た目にもなんとなくお腹が
出てくるし、なによりこの頃から(実際はもう少し前からだったのですが気が
付かなくて・・・)自分のお腹の中で小さいけれど確かに何か・・・グルグルと
お腹が鳴るような感じで・・・動くものを認識できる様になったのでした。
 自分の中にいる自分ではないもの。
 別の人間が自分の中にいるという事。
 うわー・・・なんか怖ーい。
 なにかに取り憑かれちゃったわけでもないのに、自分の中に自分でない
ものがいるなんて・・・。
 なんだかすごく‘おそろしやー‘の図が頭に浮かんだりするのでした。
 で・・・何と言うのか・・・これは、本当は数ヶ月前からの事で 私の持つ
卵子に精子が受精し細胞分裂のプロセスが始まったときから、私の中に
私でない人間が存在して私の意志にかかわらず 全く勝手に自ら 人たら
んとなるべく 数限りない奇跡の連続を繰り返してきたわけで、ぼさぼさとし
た私がその事に気付かなかっただけなのです・・・。
 そして、こいつは私が普段と違ってかなり体の具合が悪いにもかかわらず
私からガンガン栄養を横取りして とにかく人としてこの世に生まれ出てくる
という目標に向かって猛然と細胞分裂を繰り返しているのでした。
 この生まれるという目的に向かって繰り返される細胞分裂、DNAなどと
言う設計図によって行われる細胞分裂は、私から見れば全く奇跡の連続
としか言いようがなくて驚くほどの自然(宇宙)の力(凄さ)を感じる事なので
した。
 だいたいDNAなんて設計図 誰が考えたんだい・・・。
 やっぱりこれは私には不思議な事、なんとなく驚異に思える事なのです。
 しかし・・・それにしても・・・もし、人が生きるために必要なエネルギー 
例えば心臓を動かしたり脳を動かしたりする様な自分の意志でコントロール
していない動きをするために使われるエネルギー 人として正常に生きるべ
くバランスをとるためのエネルギー 古い細胞が死に新しい細胞が生まれる
ためのエネルギー さらにはお腹の中にいる間の細胞分裂 こういった
システムのためのエネルギーを例えば‘霊魂‘とか‘魂‘とか言うのならば、
この時期 私の中には二人分の‘魂‘があったわけです。
 えー!・・・なんて、不思議な話。
 もちろん私だって同じ様にしてこの世に生まれてきたわけだけれど、産む
方の側で考えると これはもう不思議な事なのです。
 私が、どのくらい不思議と思ったかといえば それはもう太陽が東から
昇って西に沈むのと同じくらい 決して西から昇ることはないのと同じくらい
不思議なのでした。
 ちょっとだけ ‘世界観‘ ‘宇宙観‘ そんなものが変わった気がしました。
 一つの体の中に二人の‘魂‘。
 なんだか、すごく疲れそうな話です。
 二人ぶんを抱え込んでいるわけだから。
 だから、出産後えらく体がシンドイのかなー・・・。

 さらに、不思議に思うのは いま私の目の前にいる子供らはもしかすると
違う子供であったかもしれない事です。
 受精の瞬間 私が寝返りなどして 受精しようとしていた精子が受精し
損ねたらこの子はここにいないわけで、別の子が私を ‘おかあちゃん‘ 
なんて呼んでいるわけです。
 ひょっとすると、いまいる子が実は別の子の方かもしれません。
 そんな事を思うと、生まれてきた子が受精した瞬間に他に生まれる可能
性のあった子は 全てその可能性がゼロになるわけで、これは まあ どん
な子が生まれてきたって とにかく頑張って育てないと生まれてきそこねた
子らに申し訳ない気がしたりするのです。
 せっかく、縁あって親子になったのだし。
 なにがどうだって、いま私の前にいる子が私の子供になったわけだから。
 それはもう、‘私が育てなくてどうするんだ‘ と思ったりするわけです。
 まあ・・・こんな事言ったて私の場合 周りに助けてくれる人がたくさんいる
ので、私一人で子育てしているわけではないのですが・・・。
 そして、自分もそうして生まれてきたのであるから 自分が生まれた事で
この世に存在する可能性がゼロになってしまった人たちがやはりいて 
自分は好むと好まざるとにかかわらず、この責任を背負って生きていかな
いとやっぱりまずいかなーなどと思うのでした。
 最後の最後、ババアになってもう死んじゃうよって時
 「こんな生きざまでしたが、よぉござんしたか?」
 って、‘ニィ‘っと笑ってこの世に出てこなかった人たちに言えると
いいのだけれど・・・。
 それにしても、自然というのはすごくシビアで過酷なものだと思ったりしま
す。
 まだ、生まれてもいない人間に 人間になるための初めのところから 
ものすごい競争と選別を課すわけで 更にこれは本来 基本的には人の
意志のかかわる事ではなくて、自然そのものが行う競争と選別なのです。
 そして、この競争と選別が死ぬまでの中で一番シビアで過酷なものでは
ないかと思うのです。
 なにせ生死を賭けた、すごい倍率と苦難の道のりなのだから・・・。
 こんなにすごい競争と選別をくぐり抜けてきたのだから、受験や就職
なんてカルイカルイしっかりやれよー・・・なんて子供らに言ってやろうかな
ーと思ったのですが、でも・・・だから 初めに自然がこれだけの競争と選別
を課したのだから それ以上に人間が競争や選別をする事が、自然の中で
人が人として生きて行くのに本当に必要なのかと、そんな疑問を持ったりも
するのです。
 競争や選別ではなくて、自分は自分 あるがままの自分とあるがままの
他人を認める心、自分と周りのかかわりを考え互いに緩やかに穏やかに
付き合いをする。
 こんな生き方でいいかもしれないと思ったりもするのですが、現実は
こんな事やってたら 世捨て人になってしまいそうです・・・。
 自分が妊娠し出産し子育てしていて、ふっとふりかえって感じた人間が
誕生することと自然のありよう、誰が考えたか知らないけれどその巧みさは
不思議としか思えないのでした。






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