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じつは、私がインターネットを始めたいと思ったのは今から一年と少し前 イラク戦争が始まる前でした。 この頃 私は独学でパソコンを勉強し始めて五ヶ月ほどたった頃で、まだ エクセルのビジネス編をやっていました。 インターネットはお金が掛かるので一番最後と思っていました。 昨年 2003年の初め、いよいよイラク戦争が始まろうかと言う頃、私は 新聞でインターネットを介して反戦の声が上がっているという記事を読みます。 それで、‘あー・・・ネットで自分の思っている事を他の人に伝える事ができ るんだ。‘ そう思ったのでした。 インターネットで反戦活動の情報をしらべられるとか、自分の反戦の気持 ちを伝えられるとか、そういった記事が連日のっていました。 私は、戦争は反対でした。 今でも、やはり戦争は間違っていたと思うし反対です。 これを書きたくていろいろパソコンの使い方を勉強してきたわけです。 ホームページも作ったりしたわけなのです。 情けない話ですが、私はデモなどに参加する勇気もなかったりします。 せいぜい自分の意思表示は、選挙の時 投票に出かける事くらいです。 でも、私が投票した人が当選することはほとんどないし、投票した党が 政治の場で世の中の流れを変えることもほとんどないわけです。 だから、私の思っていることを自分で直接表面に出したいと思ったのです。 長男(小二)の通う学校の先生は子供たちに ‘殴られても殴り返しては いけない。殴り返して相手に怪我をさせたら はじめに悪いのは向こうでも 怪我をさせた方が悪くなる。だから、殴るのはいけないが殴り返すのも いけない。‘ と教えたと言っていました。 子供にはそう言うのです。 でも、大人は違います。 ‘殴られたら殴り返せ。つぶしてしまえ。殴られなくても、その気配が あればそれだけで充分、叩き潰せ。‘ 大人たちは声高にこう叫んで戦争を始めたわけです。 私は、子供の頃 戦争が始まった時なぜ皆反対しなかったのかと父に 聞いたことがあります。 この時聞いた戦争とは第二次大戦のことで、父は子供でした。 父は‘自分はまだ子供であったからよくわからないが、あの当時は皆 戦争をすることに反対していなかった。なかには反対の人も もちろん いたのだろうけれど。とにかく皆 戦争に勝つと信じていたんだ。‘ と 言っていました。 その時私は父に‘勝てば戦争してもいいってもんじゃないんじゃない。‘ と言ったと思います。 父は‘それは日本が戦争に負けたから戦争は嫌だと言うんで、勝った国 は戦争は嫌だなんて言わないんだよ。‘と、言いました。 ‘そんなものかな・・・。‘と、思ったのですが もう一つ聞いてみました。 それは、‘もし、戦争が始まる前 皆が反対したら、戦争は絶対いけない 戦争はしたくないと言ったら そうしたら 戦争にはならなかったんじゃない かしら。‘と、言う事でした。 父は、ちょっと考えていたようでしたが ‘よく分からないけどな、反対 しても戦争にはなったかもしれないぞ・・・。‘と、言いました。 この時の答えが、昨年2003年3月20日だったと思います。 皆、あんなに反対していたのに戦争は始まったのでした。 反対していましたよね? テレビや新聞で反戦の報道がたくさん流れていましたよね? 世論調査とかでも、反対の数字のほうが多かったですよね? なのに、戦争を始めた人たちは そんな一般の普通の人たちの声なんて 聞いてはいないわけです。 我が家で購読している新聞に 59年前 1945年3月10日の 東京大空襲の記事が掲載されていました。 東京大空襲の記事は確か昨年三月にもこの新聞に載っていました。 じつは、私は昨年この記事を読んで ‘あー・・・東京でこんなひどい事が あったのか。‘と、東京大空襲を知ったのでした。 広島や長崎の事は夏になるとテレビなどで毎年特集したりしますが、 三月に東京大空襲の報道を見たという記憶がありません。 一晩に十万人も亡くなった空襲だったのだそうです。 私には この十万人という数さえピントこないのです。 ただ昨年の記事の中で、どうしても忘れられない記事があります。 この晩のある母と子の記事です。 書かれたのは、お母さんです。 これを読むと、戦争は相手がたとえ小さい子供であろうと そんな事に かまう事無く本当に無差別に人の持つ‘明日‘と言うものを奪うのだと 分かります。 この記事を読んでいて心が痛くなると言うか、辛くなると言うか、なんとも 言えない気持ちになりました。 私は今、子育て真っ最中です。 自分が、このお母さんの立場であったらどうであったか。 きっと 辛い気持ちを長い間背負って生きていらっしゃったのだろうと 思ったりするのです。 そして、これからもそうなのだろうと。 お母さんがこの大空襲のあった晩、我が子に言った ‘また明日‘ と言うフレーズは、子育て中の 特にまだ小さい子供の子育てをしている 人は、まず 言わない日はないのではないかと思うくらいよく使うのです。 ‘また明日 食べよう。‘ ‘また明日 見よう。‘ ‘また明日 来よう。‘ ‘また明日 やればいいじゃん。‘ ‘また明日 読んであげる。‘ ‘また明日ね バイバイ。‘ ・・・・・ 何気なく使う また明日。 こんなフレーズを重く抱えて生きている人がいると言う事実。 更に、このお子さんにもお母さんにも 誰も謝罪する事もなく今に至って いると言う事。 いろいろ事情は異なっても、このような辛い悲しい苦しい思いをした人が 今から59年前の3月10日に十万人もいたということ。 なんだか、腹が立ってくる。 情けない気がする。 日本という国は、小さな子供の‘明日‘さえ奪う国であったのかと・・・。 59年もたった事の後始末もできていないのに、日本という国はまた 争いごとに首を突っ込んで、今度はイラクで一般の普通の人たちに 辛い悲しい苦しいそんな思いをさせるような事に加担したわけです。 日本で以前そのような思いをした一般の普通の人たちが、あんなに 反対したのに それを聴くこともなく。 前のめりに、つんのめる様に、ただ前進していく日本とその政治を動かし ていく人たちがいます。 この人たちは‘国益‘と言う言葉(59年前には‘お国のため‘)を連呼 しながら、世界の中にただ一つしかない 確固たる平和を謳ったこの国の 決まり事、憲法第9条を変えようと言っています。 この人たちの言う‘国益‘とは、たぶん一般の普通の人たちの‘益‘では ないのです。 59年前に亡くなった一般の普通の人たちに、いったいどんな‘益‘が あったというのでしょう。 ‘国‘と言う怪物が一般の普通の人たちを蹴散らし踏み潰す、そんな図が うかびます。 この決まり事を変えようと言う人たちは、‘決まり事が世の中の現状に そぐわないから決まり事を変えるのだ。‘と言うのです。 でも・・・なんで? 憲法9条は国際社会の中で平和を謳う決まり事です。 今の世の中の現状は形はどうあれ、争いごとばかりです。 どちらをどちらに合わせたらいいのかなんて、すぐ分かるような気がします。 平和を謳う決まり事が争いばかりの現状にそぐわないのなら、決まり事を 変えるのではなく現状を決まり事に沿うように変えるべきです。 憲法を変えるのは机の上の作業です。 世の中の現状を変えるのは、人の心の作業です。 おそらく、後者の方が実行するには何倍も何十倍も何百倍も何千倍も 何万倍も憲法を変えるより大変な気がします。 でも、これは大変でもやらなければならない事の様な気がします。 ここで、安易な方法を選ぶ事はしてはいけないと思うのです。 争う事より平和に暮らせる事の方がいいのです。 平和に暮らすことは、平和のために戦う事ではないはずです。 平和は武力、力、では得られないと思うのです。 人の心、考え方、人としての理性、そういった人として持つべきものが もたらす物ではないかと思います。 イラクに自衛隊が行きました。 でも、なんで自衛隊なんでしょう。 自衛隊は軍隊だと言ったりする人もいます。 ならば、その持つ力は武力です。 イラクの子供たちに文房具を渡すのに武力がいるのでしょうか。 給水車を渡すのに武力がいるのでしょうか。 道を直すのに武力がいるのでしょうか。 医療活動をするのに武力がいるのでしょうか。 だいたい、イラクの人たちは武力を望んでいるのでしょうか。 力を望んでいるのは、もっと他の国ではないのでしょうか。 困っている人に手を差し伸べるのがいけないなんて言っているのでは ありません。 困っている人が本当に欲しい物を提供する方がいいと言っているのです。 今、自衛隊に就職希望の人が多くなっているのだそうです。 多くの人は国際貢献を目指して自衛隊を目指しているのだそうです。 でも、たぶんこの人たちは戦争で人殺しをしようと思っているわけでは ないと思います。 そして、この人たちが実際に自分たちの思う仕事 困っている世界の人を 支援する活動ができるようになるまでにかかる時間で、自衛隊に代わる 支援の為の技術者プロ集団を作る事はできないのでしょうか。 もちろん、今日入隊した人が明日海外に行くわけないですよね。 時間はあるはずです。 世界は今だけではないのだから。 はじめに 自衛隊ありき 武力ありき で考えるのはよくないと思います。 今のイラクにだって自衛隊ではない支援ができると思うのですが・・・。 自衛隊を欲しがっているのは誰なのか、もう一度よくあたりを見回して みるのも大事かと思うのでした。 |